「戯言の部屋」

セピアス、戯言を語るの間

世界の終わり(ショートショートショート)

2007-05-13 22:28:21 | ショートショートショート


 僕は肩に担いだ荷物を降ろして、ふっと吐息を吐いた。
 目を細めて、その先を見つめる。
 ここが、世界の果て。
 随分長く旅をしてきたように思うが、実際はもっと短かったのかもしれない。
 午前3時のデイリーニュース。
 キッチンに取り残されたコーヒーマグ。
 オレンジの電飾に彩られたダイナー。
 ひっそりと奏でられる都会の夜が、遠くにも近くにも感じる。
 白く伸びるハイウェイを見たのは昨日だったのか。テールランプの中で佇んでいたのは何年も前のことだったのか。
 そしてこんな風に、縹渺とした大地にいるのは本当に現実なのか。
 夢も現も、空も土も、風も光も。
 全てが曖昧で、形を成さない。
 ただ分かっていることは――――ここが世界の果てということ。
 それだけは、確かだった。

「明日で人類が滅亡するとしたら、何をする?」
 彼女はマニキュアを塗りながら、上目使いで僕を見た。
 エスティーローダーのマニキュアの、可愛らしいベリーフィズ。それは珊瑚色の彼女の爪に、とてもよく似合っている。
「そうだな。まずは仕事には行かない。」
 僕は寝転がったまま手を伸ばし、クラッカーを一つ摘み上げた。
 ブラックベリーのジャムをたっぷりと載せる。
「それから?」
「それから―――アブサンを飲む。」
「何でアブサン?」
「昔から憧れてた。どんな飲み物なのかなって。」
 僕は笑ってクラッカーを口にほうりこんだ。甘くて酸味のあるブラックベリーが、口いっぱいに広がってゆく。それは小さな黄金色の雫になって、僕の心に沁み渡っていく。
「陳腐ね。」
 彼女は爪に息を吹きかけながら、くすりと笑った?
「そう?案外そんなもんじゃないか?」
「私は違うわ。」
「そう?どうするの?」
「まずは世界の果てにゆく。」
 僕は噴出す。クラッカーが喉に詰まりそうになって、慌てて珈琲を飲む。
「世界の果てにたどり着いたら、音楽の出番。」
「なんだろう。世界の果てに似合う音楽。」
「シックで、でもキレイな音楽がいいわ。青空に吸い込まれるような。どこまでも伸びてゆくような。」
「ビリーホリディだったら、ベタかな。」
「陳腐よ。」
 彼女は肩を竦めた。
 僕は微笑んで手を伸ばし、彼女の腕を取った。滑らかな白い肌をなぞり、その指先をそっと口に含む。
 額を寄せて、僕らは見詰め合った。
「それで?音楽の次は?」
 僕は囁く。
 彼女の吐息が、僕の体を熱くする。
「そして・・・貴方と踊るの。」
「世界の果てでダンスか。それはいいな。」
「終焉のキスよ。」
「地球最後のアダムとイヴだね。」
 僕達はそうして、お互いの隙間を生めるように抱き合った。

 高い声がして、僕ははっと我に返った。
 見上げると、遥か上空で鳥が旋回している。
 荒い息をつきながら、額に滲んだ汗を拭った。
 日差しが眩しすぎて、空の色が分からない。
 光の粒子がそこら中に氾濫して、目が開けられない。
 ここは―――世界の果て。
 哀しみも苦しみも淋しさも、愛しさも喜びも幸福も、すべてが浄化され消えていく場所。
「そうだ・・・まずは・・・・まずは音楽だ。」
 僕は空ろに呟く。
 高く晴れ渡る空に、相応しいメロディーを。
 気高く崇高な旋律を。
 幽玄なるコーラスの響き。
 妙なるヴァイオリンの音色。
 ユーフォニアムとチューバの豊かな調べ。
 僕はそっと空を見上げた。
 確かに―――確かに聞こえてくる。
 花びらが降りそそぐように。
 幸せな音楽が、僕を優しく包み込んでくれるのを感じた。
「・・・よ・・・・人の・・・・・びよ・・・・。」
 僕はかすれた声で呟く。
 終焉の日。
 世界の果て。
 たった一人ぼっちの僕。
 メロディーは続いていく。
 真夏のパレードのように、暑く溶けた陽炎になって。華やかな優しい音楽が、僕を祝福してくれる。
 さあ。
 さあ、踊ろう。
 僕は手を差し伸べる―――薔薇色の亡霊に向かって。
 主よ、人の望みの喜びよ。
 今こそ、世界最後のダンスを踊る時だ。
 彼女は微笑みながら、芝居がかった仕草でお辞儀をする。
 ドレスもなく、靴もなく、アクセサリーもない。
 それでも日差しの中で笑う彼女は、何ものにも叶わぬほどに美しい。
 僕の手を取り、僕は彼女の腰に手を回し、そして二人音楽に体を預ける。
 くるくると僕の腕の中で彼女は回る。弾ける笑い。絡み合う視線。僕も笑って、軽やかにステップを踏む。彼女の髪がふわりと揺れる。指先で光るベリーフィズ。そして時折からだを寄せ合って、小鳥のように軽いキスを交わそう。
 いつか、この光の中に僕達、溶けていくだろう。
 だって今日は、終焉の日だから。
 この場所は、世界の果てだから。
 でも本当は―――。
 世界の果てなんてどこにでもあるのだ。
 薄暗いアパルトメントの片隅にも。
 汚れたダイニングキッチンにも。
 泡が消えたバスタブの中にも。
 どこでもいい。38口径を口に咥え、静かに瞳を閉じればいい。
 誰もが、世界の果てへと隠遁出来る。
 そうさ、やっぱりビリーホリディは似合わない。
 たゆまなく優しいメロディーの中で、言葉もなく愛を語りあう一時には。
 主よ、人の望みの喜びよ。
 彼女は笑っている。
 それが幻でも、構わない。

 淡くぼやける視界の中で、僕は自分の汚れた両手を見た。
 紅く染まる両手が、微かに震えるのが見えた。
 音楽は続いている。
 世界はもう直ぐ、終わりを迎える―――。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
約束では無いが コエた約束 (黯彡)
2007-05-28 22:24:01
へ~ もしも最後の日 だったなら と考えてみて

この登場者の様に 他人と自分の為の行動が出来たらいいよねww

自分と他人の為じゃ なくてね 
 
返信する
ほっほう (セピアス)
2007-05-28 22:49:40
「他人と自分の為」、と「自分と他人の為」。
 なるほど、似ているようで違いますね。
 黯彡さんはいつも絶妙なラインを突いて下さる。
 なにがしかの物語が生まれてきそうな・・・主題となる命題が生まれてきそうな予感がしてきました。
 これはちょっとじっくり自分の中で、色々考えてみます。

 わーい。ネタもらっちゃったwww
 
返信する