「戯言の部屋」

セピアス、戯言を語るの間

行きずりの部屋

2008-10-29 03:26:30 | ショートショートショート


 その部屋は「行きずりの部屋」と呼ばれていた。
 部屋の中には、一人の女がいて。
 彼女がその部屋の主だった。
 部屋は常に整頓されていて、余計なものが一切なく必要なものは十二分に揃っていた。
 いつもあるべきものがあるべき位置に収まり。
 こざっぱりとした雰囲気を湛えて、客人を迎え入れるのだった。

「行きずりの部屋」には鍵がかかっておらず。
 常に誰でもが入ることが出来た。
 勿論、マナーの悪い人間は入ることは出来ないが。
 常識の範囲で行動出来る人ならば、彼女は拒まなかった。
 毎日誰かしら部屋に訪れる。
 彼女は笑顔で迎え入れて、客人をもてなすのだった。
 部屋のコンディションは常に最適に保たれ。
 たおやかな午後の光が一杯に降りそそいでいる。
 小さな丸いテーブルや、カウチには無数の傷があったし。
 ソファの布張りは色褪せていたけれど。
 しかしそれはむしろ、大切に使い込まれた暖かさを感じられた。
 誰かがこの場所に座って、自分と同じように手足を伸ばし、心を開放したのだと。
 そんな風に思える。
 だからこそ、ここにいると心が落ち着く。
 訪れた者は、誰もが同じことを言う。
 自分の部屋ではないのに、自分の部屋のようにくつろぐことが出来る。
 充分に羽を休めたら、好きな時に出て行ける。
 訪れることを拒絶されないし、追いかけ引き止めるものもいない。
 それが、「行きずりの部屋」だった。

「行きずりの部屋」は完全な正方形だったが。
 実は西向きの壁に、小さな扉があった。
 壁の色と同色の扉でしかもノブのない押し戸なので、気付く人は滅多にいなかった。
 この扉の向こうには、小さな部屋があった。
 そう、「彼女の部屋」である。
「彼女の部屋」の中央には、大きなガラスの器があって。
 そこには、溢れそうなほど沢山のガラス玉が犇いていた。
 悲しい時や苦しい時。
 彼女はこのガラスの器に、ひとつずつガラス玉を入れている。
 透明なガラス玉は、器の中にひっそりと転がってゆく。
 このガラスの器を打ち壊し、ガラス玉を昇華すること。
 彼女はずっとそれを切望していた。
 それは、彼女一人の力ではどうしても出来ないことだった。
 だから、「彼女の部屋」に入ってこられた人に彼女は、いつも器の中のガラス玉を見せてきたのだ。
 誰もが、その器の蒼い輝きに目を奪われる。
 手を触れようと、指先を伸ばす者もいた。
 でも結局は誰も、その器に触れることはなかった。
 なぜなら、「行きずりの部屋」では決して見せない本当の彼女と対面してさえ。
 彼女が求めるものを与えるよりも。
 自分が求めるものを彼女に与えてもらいたい、と望む人ばかりだったからだ。

「彼女の部屋」に、今は訪れる人はいない。
 彼女はやがて、部屋に真鍮の鍵をかけた。
「彼女の部屋」で、ガラスの器からはとっくの昔にガラス玉が溢れ落ちているのに。
 彼女はどうすることも出来ない。
 ただこの「行きずりの部屋」に訪れる人に、心を砕くだけだ。
 人々は彼女に求める。
 自分の中の真実を見極めたい。
 自分の中にある真実を吐露したい。
 自分の中にある何かを見つけたい。
 未来に希望を見つけたい。
 この「行きずりの部屋」に来て、彼女の漆黒の瞳に向かって手を差し伸べる。
 差し伸べる手を見たら、彼女はどうしても両手で包み込んでしまう。
 それはその人のためではなく。
 自分自身のために。

「行きずりの部屋」で寝そべりながら。
 彼女は一人、虚ろな眼差しを中空に向ける。
 かつては、「彼女の部屋」を解き放つことが望みだった。
 ガラスの器を壊し、ただありのままの彼女でいられることが望みだったのだ。
 でも今。
 彼女は、息の根を止めてもらいたいと望んでいる。
 やがて「彼女の部屋」中にガラス玉が満ちてしまう、その前に。


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2 コメント

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ちょっと表現をかえた真理? (黯彡)
2009-01-05 01:17:12
 比喩を「部屋」だったけど 違うものに当てはめるとシックリくる感じですね
「とある人?」って タイトルつけたいくらいの 感じだね
 私は見つけられない様 ジャングルに隠した挙句 二重の鍵・・みたいな人を・・

えっ っと 違う違う 私の事じゃなくて・・
 わ わたしは 疲れて 軽く 枯れて来たぐらいでって なんだかナ~ ごめんネ じゃっ 
 
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んふふ (セピアス)
2009-01-16 23:38:21
>「とある人?」って タイトルつけたいくらいの 感じだね
 この物語は、個人的に非常に深い意味を持つ小説でつ。
 この「部屋」にも意味があるし。
「彼女」には具体的なモデルがいます。

 いつもいつも扉は隠されていたけど。
 それでも「鍵」をかけることは無かった。
 しかし、希望を捨てるつもりで「鍵」をかけた。
 彼女は部屋の中で独りぼっちで生きていくつもりだったから。

 しかし人生とは分からないもので。
 もうダメだ、と思った時に意外な出会いが訪れたりもします。
 現在「彼女」の扉は開かれ、彼女はガラスの器の前に佇んでいる状態です。
 その中身を捨てるのか捨てないのか。
 時間をかけて思案しながら、見極めようとしているって感じですかね(笑)
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