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「戯言の部屋」

セピアス、戯言を語るの間

近状報告

2006-07-05 23:47:55 | Weblog

 後輩に
「ブログ更新したほうがいいですよ」
 といわれたので。
 何おう!と言う気持ちと嬉しいwという気持ちを抱えて、漫画喫茶へGo~。
 
 どうせならということで。
 後輩くんについて語りませうか(☆∀☆)シュピーン

 私はWワーク(=派遣)していた頃は、夜19時~23時勤務でした。
 直採用(=バイト)となり、朝9時~18時勤務に変更。
 今月から社員となります。
 昼勤になったのは4月なんで、実は去年の11月から働いているとはいえ、なんとなく昼勤の方皆さん「後輩」と見るのがこそばゆいw

 この後輩くんは、なんつーか・・・。
 
 苦労する星の元にいるね

 な感じ。
 真面目で実直。
 気遣いが出来る。
 やさしい。
 こういう人は、世の中の「いいかげんさ」や「曖昧さ」を受け入れることが出来ずぶつかっちゃう。
 だから、苦労する。
 もっと適当に考えれば、楽になれるけど、楽になることをよしとしない。
 それはとてもいいことで、そして成長する種になるものです。

 生真面目さってね、とても愛らしいですよね。
 昔は、そういう生真面目さって結構否定的でした。
 でも今は、純粋さの表れであると思っています。
 世間にいくらでも転がっている「いいとも悪いともいえない曖昧なもの」や「みんながよくないと分かっていても、生活に支障がない限り取り立てて何とかしようとは思わないもの」とか。
 こういうものを見過ごさないのって、結構勇気要ります。
 時に指摘することそれ自体、「よけいなお世話」になったり「メンドクサイ話題」になったりしますから。
 でもね、そういうのを見過ごさないことが、私には真摯な姿に見えて、とても眩しく思えるのです。
 本当の「正しさ」
 それを常識とか場の空気とか伝統(悪い意味での)に流されず、きちんと自分の良識に従って追及していく。
 とても難しくて美しい行為だと思います。

 某ボケツッコミの相方様のブログなぞを読んでいて、時折胸が熱くなることがあります。
 何かしよう、何とかしよう。
 そんな焦燥に駆られることもあります。
 大切なものは何なのか。大切にしたいものは何なのか。
 暗い空に浮かぶ小さな星に手を伸ばすように。
 あえいで、あせって、空回りして、そしてもがく。
 そんな風に考察して行動すること自体、とても充実した時間だなあと思ったり。
 
 私の中の、残酷な人格がほんの少し昇華していくようで。
 大切なきっかけをありがとう、と思うのです。
 でも気恥ずかしくて、口に出して言わない(←意地っぱりw) 


GHOST IN THE SHELL → STAND ALONE COMPLEX

2006-06-29 15:21:46 | Weblog
 最近の夜のお供(なんかえっちぃ言い方だな)は攻殻機動隊です。
 現在2nd Gigに突入しましたので、それまでの作品で「ウホッ!」と思ったことを書いてみやうかと。

 まず、「GHOST IN THE SHELL」から。
 大前提の設定として、草薙素子は全身義体をしているわけで。
 これはSTAND ALONE COMPLEXの第8話「恵まれし者たち~MISSING HEARTS~」でも触れますし、2nd Gigに至っては、かなり重要なファクターになります。
 で。
 全身義体となると、勿論顔も義体となるわけで。
 これは2nd Gigで有名なアノ台詞。
「いい顔をしているだろう?」に言われるが如く。
 本来、「表情がない」はずなんです。
 その点、STAND ALONE COMPLEXも2nd Gigも、素子は実に表情豊か
 8話の最後なんて、バトーににっこり「微笑み」かけてますかんね。

 映画「GHOST IN THE SHELL」では、義体らしさがかなり忠実だと思われます。

 この表情の無さ!
 まばたきすらしないんじゃないの?っていう目の感じ。
 流石は押井守です。
(でも個人的には、SACの紅い瞳の素子が好きw)

 映画の方は、なんというか「本当の存在、偽りの存在、その境界線が曖昧になるネットの世界で、アイデンティティーは一体何処にある」みたいなテーマがある(とセピは思っています)中。
 いかに機械の「高性能」さを出すかってのはかなり重要だったんでせうね。
 
 オープニングで素子が服を脱ぎ捨てますが、本来の光学迷彩使用を考えると、アレが正解。
 服状光学迷彩って、ありえない(って理屈で考えたいけないのかもしれませんが)
 凹凸は少ないのが望ましいのは間違いないと思うので。

 
 続きまして「STAND ALONE COMPLEX」
 これは作品のベースにサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』がありますが。
 
 まずですねー嬉しかったこと。
 最終話でトグサが投げ捨てる『ライ麦畑でつかまえて』の本ですが。
 これ、実際に発売されている↓白水Uブックスの本です。


 
 『ライ麦畑でつかまえて』は世界中で色々な言語に訳され発売されていますが、日本で発売されているものの中には「アメリカで発売された本を日本語訳したもの」「イギリスで発売された本を日本語訳したもの」とあるんですが。
 サリンジャー自身が「イギリス版は間違っている」と言ってあり、上記の本は訳者が初めて発売された『ライ麦畑でつかまえて』(ちなみに初版本はアメリカにて発売)を元に日本語訳したものなんです。
 だから、かなり初版本に忠実に訳されているというわけです。
 それを物語に起用してくれたことが嬉しく。
 ああ、こだわってんなあと・・・(考えすぎ?)

 最終回の書庫のシーンとかは特に、『ライ麦畑でつかまえて』好きにはたまらないんですよ。
 例えば、素子が階段下で赤いハンチングを手に取ります。

 嗚呼、ハンチング!!

 『ライ麦畑でつかまえて』の主人公が、NYで1ドルのハンチングを買い、それが物語り通じて出てくるんですね。
 というか、「人の心の温かさ」をあらわすファクターなんです。このハンチング。
 特にね~

 このように素子が、ひさしをぐるっと後ろに向けて被りますよね?
 これも『ライ麦畑でつかまえて』の中ではお約束の行動。
 というか、素子流の「ジョーク」なのだろうと、私は解釈してます。

 さらにさらに!
 書庫に続く階段を、素子が降りるところ。
 手すりに書かれた落書き↓

 これも、『ライ麦畑でつかまえて』で出てきます。
 小学校と博物館にあるイタズラ書きですね。
 これはアオイのイタズラなのか、スタッフのこだわりなのか判断つきかねるところですけど。
 っていうか、本当に細かいとこまで演出されている!!

 (✿ฺ´∀`✿ฺ)ノ グッジョ!

 さてはて。
 2nd Gigは、かなりこだわって細部まで見ていきたいですな。
 今日はこれからCDを買ってきますです~♪
 ではでは~。

デビューなレビュー

2006-06-26 21:17:21 | Weblog


 土曜日の朝。
 居間のテーブルの上にポツンと置かれた、私宛の小包。
 なんじゃらホイ?と思って開けたら・・・・。
 出てきたのは一冊の本。

 そう。
 『夢のつづき』(日本文学館より刊行)というタイトルのオムニバス本です。
 で。
 セピアスの小説が。
 なんとこの本に収録され7月1日に発売されます!!
 自費出版ではないですじょw
 私以外の作家も含んだのオムニバス本とはいえ・・・。

 私の小説が本に起用されました!!

 やったあああああ!!
 O(≧▽≦)O 嬉シィィ
 目次に載った、私の名前・・・嗚呼、これが見たくって私は物心ついた頃からずっと小説を書き続けてきたのです。
 とうとう・・・。
 とうとう・・・。
 完全な形ではないとはいえ・・・夢が叶いましたよ~(感涙)
 
 本当はその小説本の写真をUPしようと思ったのですが、刊行は7月1日予定なので、色々支障が出るかな?と思い自重。
 これでやっと、「小説家」としてのキャリアが出来ました!
 文学賞へ応募する時、いっつもなんか哀しかったんですよね。
 これはらは違うぞい♪

 7月になりましたら、より具体的に紹介いたしませう。
 いやはや。応援してくださった方々。

 本当にありがとうございます(ペコリ)

 小説家として、ささやかながら大きな一歩を歩きだせましたよ!! 


本来のテイストに戻ろう

2006-06-22 22:07:37 | Weblog

 最近、あまりに忙しく。
 記事が更新できにゃい。

 orz

 ほぼ12時間会社にいますから。
 絶対自分の仕事じゃない案件もやってる死。
 特にスタッフが5~8人しかいないのに、全回線(=20)鳴ってしまう時など
 ァ '`,、'`,、'`,、'`,、(´▽`) '`,、'`,、'`,、'`,、'`,、
 と、笑うしかない。
 最近は、ちょっと現実逃避が入る。
 現実]ε=ε=ε=ε= ヾ(*~▽~)ノ(←嬉しそう)

 時々イラっとしてるので、きっと後輩からは「ちょー怖い人」と思われているに違いない。
 むしろ、女王様キャラとか?
 ノンノン違うんですぅぅ~。
 イジラれキャラですからっっ!!

 最近錯乱気味だったこともあり。
 暗い記事ばっかりだったもんで。
 ここらで一発、私らしいテーマを。

 男性推理作家が描く女性キャラの戯言

 どーだ。私らしいだろ~ (>∀<)テヘッ☆

 常々常々、思っていたんですよ。
「ミステリ作家って、あんまり女性を描くの得意じゃないな?」
 とね(暴言)
 ま、魅せるところが「謎解き」と「テーマ」なので、そこに重きを置くモンじゃないんですが。
 時折ですねー「嗚呼、マジいただけない!!」と思うこともしばしば。
 一部の人の反感を買うこと必須で言ってしまいませう。
 個人的に・・・森博嗣京極夏彦
 森博嗣は特に・・・本気で嫌いになりましたから“西之園 萌絵”。
 こういうキャラが物語りを引き立たせるのかな?と思うも・・・いや、別に彼女がいなくてもいいだろ、とやっぱり思う。
 イメージは松たか子。
 松たか子嫌いですからね。なんかね、ぴったりとくるんです。
 次に京極夏彦。
 京極・・・「女性の描き方」さえよければ・・・好きな推理作家1位にランクインだったのに・・・。
 個人的な見解を述べると「狙い」すぎの感がある。
「こういうの、いかにも女子高生が憧れるタイプだろうな」と想定して書いたような感じが頂けない。現役女子高生だった私は、「女子高生の妄想に、こんないかにもなのあるかい。興ざめなり。」と思っていました。
 全国の京極ファンの方。まあ抑えて抑えて。
 ただの戯言ですから。
 京極の作品は、大変優れています。
 ただ、女性の描き方が私の感性に合わないだけですたい。

 その点、島田荘子は素晴らしい。
 女子高生も、女子大生も、スターも、近所のオバちゃんも。
 あらゆる立場・状況における「女性らしさ」がうま~く書かれている。
 本気で、「いるいるこういう人」とか「分かる分かる~」と膝を打ってしまいます。
 特にね、「プライドが高く、それが鼻につく女性」の描き方が天下一品。
 痛快ですらあります。
 以下は、『斜め屋敷の犯罪』の一節。
 社長とその娘が開くクリスマスパーティに、取引先の社長や秘書や部下が訪れ、自己紹介をする場面です。
 文中の「彼女」が、社長令嬢英子です。


「すぐお隣にいらっしゃる素敵なお洋服の方が、菊岡さんの秘書でいらっしゃる相倉さん。お名前の方は、何ておっしゃるんでしたかしら?」
 無論クミというい名を彼女ははっきりと憶えており、本名でないなと踏んでいた。
 しかし敵もさるものでまったく動じる気配はなく、堂々と砂糖をまぶしたような猫撫で声で、クミです、よろしく、と言った。
 この女はもまれている、、、、、、、と英子は思った。やはりホステス稼業の経験があるに違いない。
「まあ、素敵なお名前!普通の方、、、、じゃないみたい!」
 それからせいぜい時間を置いて、
「タレントさんみたいだわ」
と言った。
「本当に名前負けしちゃうんです」
 相倉クミはいっこうに男性用の声の調子を崩さない。
「私ってこんなにおチビちゃんだから、もっとスタイルいいと名前負けしないんですけど。英子さんみたいに背が高いといいんだけどなぁ」
 英子は一メートル七十三ある。そのためいつも地下タビのごときペタンコ靴しか履けないでいる。ハイヒールなど履けば、たちまち一メートル八十近くになるからである。英子もさすがに言葉につまった。

 素晴らしいぃぃ!!
 この憎々しさ。はっと息をつめてしまうような二人の牽制。
 d(>∀<)bグッジョ
 物語には、さらにこの二人の女性の戦いが描かれます。
 ああいう「いかにもな女性同士のどろどろ」感を描ける男性って、本当に凄いと思う。
 勿論、女性の勝気さや弱さや美しさも、島田荘子は「女性の目で見て共感」出来る。
 それってね、本当に凄いことだと思いますよ。

 セピの小説も、男性が主人公であることが多いですが。
 世の男性に「ああ、分かる分かる」と言っていただけるような男性を描いてません。
 訂正、描てません
 ソレほど文才がないのもそうですが、男性の目というフィルターを通していれど、やっぱり私が描いているのは「女心」だからではないかと。
 言い訳?
 まあ、いいじゃないですか。
 日々、精進していきますよん♪


クロマになりたい

2006-06-18 22:49:28 | Weblog

 再度攻殻機動隊な季節がやってきました。
 いかん。
 ダメだ。
 マジで愛している、この世界観。

 何度目になるか分かりゃしませんが、STAND ALONE COMPLEXからSAC 2nd GIGまで見直しています。
 もう少しでSTAND ALONE COMPLEXが終わるかな?というところ。
 同時にサントラCDも買う予定。
 なぜならカラオケで「inner universe」(=STAND ALONE COMPLEXのオープニングテーマ)を歌うも、満足に歌えなくて悔しかったから☆
 
 さらに衛星放送が受信出来るよう、申し込みをする予定。
 ・・・・嗚呼、ハマるととことん逝ってしまう。
 それが私なんです。

 で。
( ´艸`)ムププ
 今日はさらに新しいアイテムをばw



 じゃーん!!『攻殻機動隊 1.5』でごわす!!!
 未収録の漫画に加えてDVDがついている、ご垂涎もの。
 友人にこの存在を教えてもらい、「ぢゃあ、見かけたら買っといてよ。」などとのたまったら、本当に友人が買ってきてくれたといふ。
 冗談だったんだが・・・いや、本当にありがとう。

 中を読んでみると、本当に1と2の中間の話でした。
 しかもね~、所々のネタがSAC 2nd GIGに引用されている!!
 あー!!こりは~!!と何度叫んだことでせう。
 
 コミックスの1と2の背表紙が、銃の背をあらわしていることすら知らなかった、なんちゃって攻殻機動隊ファンの私ですが・・・。
 嗚呼、なんだか熱くなってきたぞいぞい♪


活字中毒とその弊害

2006-06-15 22:23:12 | Weblog

 セピアスが好きなのは、中古と明治・大正・昭和の文豪作品です。
 勿論最近の作家もこよなく読みます。
 電車の中で、読むものがないと途端に不安になります。
 行きの電車の中で小説を読み終わってしまい、帰りの電車の為に小説を買うこともしばしば。
 確実に1日ないし2日に1冊は読んでいるでせう。

 さて。
 セピは多分に影響をされやすい。
 殊に、明治文豪の小説なんて読んだ日にゃ、その日一日頭の中で語られる言葉が旧字体になってます。
 普段は「あーコレちょーウマイ」なんて言ってるくせに、本を読んだ後は

「嗚呼、美味しひ。」

 と、なってます。
 そんでまた、そんな風に旧字体で話す自分に悦に入ってます(←終わってる)

 みんなの部屋でもチロリと書きましたが、最近は『文人悪食』という本を読んでいて、名だたる文人の食生活を書いた本を読んでます。
 これが面白いのなんの。
 図書館で借りた本ですが、買うこと決定。
 石川啄木の「借金踏み倒し癖」とか、与謝野晶子の「やってらんない境地のお嬢っぷり」とか。
 意外性を見せてくれる上に、作者もマタ随分文章力のある人で。
 すっごい引き込まれる。

 徒然なる夜のお供にはいいかも。
 でも、腹はきちんと満たして読んで下さいまし(微笑)

ダヴィンチな日々

2006-06-12 22:25:12 | Weblog

 と、いうわけで読み終わりました。
 小説『ダヴィンチ・コード』

 身の回りの方は、概ね「小説」→「映画」という流れが多いらしく、私のやうに「映画」→「小説」という人は実は皆無!
 小説の方が、絶対面白いと思うんだけどなー。
 ラストを映画で知ってしまうことになるとしても。
 私は「映画」→「小説」派。 
 小説から享受されるスペクタクルな想像に、映画が敵うわけないじゃろー・・・なんて思っていたので(暴言)

 実際映画の方は、歴史や背後に潜む団体の紹介を「ちょびっつ」しか提示しない。
 だもんで、見ている人が「なんかあんまりよくわかんなかった」で終わってしまうきらいがありそう。
 幸運にもセピは、カソリックとプロテスタントの学校に通っていた(しつこいようですが、無神論者です)ので、聖書の知識はある程度あります。
 聖書の授業もあったしね。
 だから、ぽんぽん飛び出す聖書の世界の「言葉」に、ついていくことが出来ました。
 薔薇十字軍や錬金術について、個人的に研究(ってホド大層なことじゃないが)してた時期もありますから。

 小説を読んで思ったのは・・・。
 学術的要素が強すぎるかも~って。
 登場人物達が、数々のナゾを解き・・・ナゾがナゾを呼び・・・物語は展開していくのですが、主人公が象徴研究家ということもあり、どうしても「論文」ちっくになりがち。
 つまりですね、小説たる「情緒的な描写」が少ないんですよ。
 面白いんですが、気持ちとして入り込んでいけない。
 そのせいか、ラストで解き明かされる最大の謎も、「おおおおおおお!」って驚くことはなかった。
(映画で見ちゃっているせいもありますけど)
 もっと心理描写が織り交ぜられていたら、たとえ結末知っていても、多分鳥肌が立つくらい感動していたと思うんですよねぇ。

 でも映画も映画でよかったです。
 謎解きの映像は、原作を読むとマタいっそう素晴らしさがよく分かる。
 クリプテックスを解くシーンとか・・・よかったなあ。
 こちらが分かり安い映像で、且つ美しく表現しているので、胸にじーんときました。

 で。
 小説を読んで、個人的にお気に入りだった部分。
 ダ・ヴィンチの下記の絵の違いですね。

 これは実際小説をお読み下さい。
 上記どちらもダ・ヴィンチの作品です。

 女性崇拝については、自分も少し考えたこともあり。
 研究したこともあり。
 特にギリシャ神話の起源とか。
 女神崇拝の民族と、男神崇拝の民族の結合が、「ゼウスとヘラ」という夫婦を生み出したとかね。
 戦争によって生まれるもの、歪められるもの、でも密やかに生き続ける伝承・・・。
 経典も宗教も文学も、陰惨であり美しくもあり哀しくもある歴史が密やかに寄り添っています。
 
『ダヴィンチ・コード』
 自分の中では、まあまあ高得点。
 人にオススメ出来る作品だと思いましたw


ネタばれ?

2006-06-10 19:26:26 | Weblog

 引越しに伴い、トップページの画像を変えました。
 前回はイムサKの小説を英訳したものを背景に、トカレフの画像を貼り付け作成。
 今回トカレフ画像に、ある有名な文章を載せてみました。
 それは・・・
「未成熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。それに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある」
 攻殻機動隊Stand Alone Complexの最終話でも出てきました。
 元ネタは言わずとしれた『ライ麦畑でつかまえて』です。
 これの原文での文章でごわす。

『ライ麦畑でつかまえて』は、生まれて初めて原文で読んだ小説。
 原文で読みたいと思わせてくれる程、すばらしい作品でした。
 英語の文章は、ひとつの単語に複数の意味があり、また「抽象的な表現」を状況に応じて行う為、翻訳する人の「味」が出がち。
『ライ麦畑でつかまえて』の一人称を「僕」でなく「俺」と書く翻訳本もあり。
「ありえね~!!」と怒った記憶が・・・(苦笑)
 だもんで、翻訳でなく原文を読みたいと思ったのです。
 つっても、英語の辞書片手にですけど。
 大変でしたが、より作品の素晴らしさが分かりました。 

 ちなみにコレ以外では・・・。
 映画「今を生きる」の小説の原文を読み・・・読もうとし・・・挫折。
 
 『ハムレット』とか・・・読みたいですねえ。原文で。
 一文の長さがハンパじゃないですけど。
 シェイクスピアの時代は舞台セットが充実してない為、ぜ~んぶ状況説明が「台詞」に託されているんですよね。
 で、独特の言いまわしをしている・・・・うう、途中で挫折しそうだなあ。

 もっとドイツ語が堪能なら『特殊相対性理論』の論文を読みたい(←物理の授業を一度も受けたことないくせに)
 でもでも、天体物理は大好きなんですぅ~。
 しかし、絶対ムリ。
 だって知っているドイツ語「Danke(ありがとう)」「Bitte(どういたしまして)」「Ich bin Student(私は学生です)」「Ich liebe dich(私は貴方をお慕いしております)」のみ。
「ドイツ語で考えなさいよ!」とアスカに言われて「バームクーヘン」と応えたシンジ君ばりです☆


ディベート

2006-06-09 22:20:16 | Weblog


 正直、ディベートって苦手くんです。
 理由はいろいろありますが・・・。
その1 すぐ熱くなる(=スイッチが入る)
その2 「そういう考え方もあるのか~」と思いがち
その3 けっこうスジを通したいタイプ(自分の意見限定です)
その4 話の本筋から脱線するのが嫌い
 が、主な理由でないかと。

 語りたい内容があって、それを相反する意見があったとして、言語というファクターで戦うようなディベート(一応色々な形のディベートがあるので、ちょっと限定)
 一体何を造り出すというのでせう?
「俺の意見を聞け」とか「私の考え方に倣ってよ」な態度が、時間の経過と共にチロチロし始める。
 熱くなって、相手の言葉を最後まで聞かない。
 だから「●ゃべり場」とか「●まで討論会」とか嫌いなんです。イライラしちゃう。

「話し合う」というのは好きなんです。
 個人が持つ「考え方」や「見方」や大切だと思う「心理」を、見せ「合う」もしくは繋げ「合わ」せる行為ですから。
 大変建設的で、支えあっている感じがします。
 でもディベートは・・・「論争」ですからね。
 理論・論述・論議で「争う」わけですからね。
 そりゃー、精神的に消耗するよー・・・・・と、思うわけです。

 反対意見を聞き入れることは、勿論大切。
 物事は静があり動があり、陽があり陰があるわけですから。
 あらゆる物事は、相反するもののようで二律背反アンチノミーというのが現実ですから。
 でも、結局一番難しいのは「中庸」を見つけることでないかと。
 そして「中庸」を実践することだと思います。

 何が明確に間違っているとか・・・何が明確に正しいとか・・・あんまりナイと思うんですよ。
 概ね、「そう言いたい気持ちはよく分かる」ってな感じなんじゃないかな~。
 極論に対して、「はぁ?何意味のないこと言ってんの?」と思うことはありますが。
 そりゃ、問題外。
 でもねー。
 ともかくさ、せめて最後まで人の話は聞きましょうよ。
 たとえ共感することが出来なくってもさ、と思ってしまいます。

 うーん。
 やっぱ、ディベートは苦手た~~~!!


彷徨う

2006-06-08 23:03:39 | Weblog

 社会人1年目にして、いきなり長期出張を言い渡された時。
「チャンスだ!!」とも「頑張るぞ!」とも思いませんでした。
 転部(営業→企画開発部)を狙ってたし。
 どっちかっていうと・・・「え!?何で私?っていうか、今住んでいるところどうなんの!?」という気持ちが渦巻いていました。
 この頃家の事情により、東京近郊県から離れることはかなり危険だった故。

 しかして名古屋に行き、外回りの営業を続けたわけですが。
 初めの頃は、寮の友人と仲良く語りあう時間が楽しく。
 存外、共同生活って私駄目かと思っていたけど、意外に大丈夫だったんだ~と思っていましたが。

 恐ろしいことに、同じ寮の女性が、一人マタ一人と辞めていく。
 課の違う子と私だけが、広~い寮に残されました。
 そして課の違う子は、神経科に通っていました。
 なんつうか、そんなに体が悲鳴をあげてるんだから、むしろ辞めた方がいいよってくらい追い詰められていましたね。
 そして、私はとうと・・・・。

 当時の記憶が、ナイ。

 相当辛かったんでしょうねえ。
 本当に思い出せないんですよ。
 人間、あまりにつらいと「忘れる」という防衛本能が働くのだと、初めて知りました。

 記憶が繋がるのは、名古屋から千葉に戻ってきた日。
 久しぶりに会った先輩が私を見て。
「お前、どうしたの!?」と驚かれたトコロから。

 当時のことで微かに思い出せるのは・・・。
 毎日仕事終わった後(注:夜中23時)町を彷徨っていたやうな。
 部屋の中で、ずーっと泣いていたりしていたやうな。
 
 あんな状態から思えば。
 
 今の職場は天国だ!!

 人も殺せる忙しさでも、ね。