南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

「幸福」の意味

2013-03-13 21:55:27 | Weblog
疲れたときなどに時々思います。
(今、私は幸せなんだろうか?)

「幸福」とはなんでしょうか?
「幸福」を測る方法はあるのでしょうか?
それらが分かれば、生き方を変えたり、政治への活用ができます。
国民総生産(GNP)ではなく国民総幸福(GNH)で国家の発展を測るブータンは有名ですが、我が国にはそういう雰囲気がなかなか育ちません。
どうしてでしょうか?

国家目標として、快楽を最大化し苦悩を最小化することで、最大多数の最大幸福を保証するという国もあるようです。
しかし、その概念を具体的政策に結びつけることは難しい模様です。
「幸福」は気分や感情の微妙な変化を含んだ幅広い意味を持つ言葉だからです。

アメリカの心理学者エド・ディナー教授は「幸福度」についてこう話しています。
「生活に満足し、喜びを感じることが多く、悲しみや怒りといった嫌な感情をあまり感じないならば、その人の幸福度は高い。
反対に生活に不満があり、喜びや愛情をほとんど感じず、怒りや不安のような嫌な感情を抱くことが多いならば、その人の幸福度は低い」
当然すぎるほど当然のことですが、あらためて考えると、まさしくその通りですね。

ボランティア活動や同好の集まりに満足や喜びを感じる人々もいます。
そうかと思えば、一人静かに瞑想することを幸せと感ずる人もいます。
こと左様に「幸福」の意味は実に多様で、人それぞれです。
人それぞれだとすると、人それぞれの「幸福度」測定法はあるはずです。

“日常再現法”というものがあります。
昨日行なった様々なことを思い出して、その時の気分を記録していきます。
あまり複雑にしないで、できるだけ簡単に測ります。
例えば、
1 非常に幸せ
2 まあまあ幸せ
3 あまり幸せでない…という具合です。
これを繰り返していくと、あなた自身の「幸福」の意味の定義づけができます。
気分が落ち込んだ時は、“非常に幸せ”の行動パターンを意識的に取り込むことで抜け出せるはずです。

ちなみにこの何日間かの私の“非常に幸せ”パターン。
「〆さんま」を食べたとき
床屋さんの椅子で熟睡したとき
和牛串焼きを食べたとき。

なんとまあ単純な男でしょうか。
さてさて明日はどうしましょうか?

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