南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

“生い立ち”の記

2012-07-05 17:10:41 | ユニオン
もっかもっか新たに兼務した県労福協理事長の職にも、早くなじむように猛烈ダッシュしています。
目の前がすっきりと晴れて視界良好にならないと落ち着かない性格が、周りの方々に迷惑かけているやもしれません。
落ち着くまで、もう少しだけお待ちください。

ところでこんな“生い立ち”の記を読みました。
今更と思われるかもしれませんが、常に原点を忘れないためにも紹介しておきます。

【何故、我々はこの提唱をするのか?】
それは我々労働者が日常生活において誰しもがしばしば直面するところの不時の際における必要な資金(例えば冠婚葬祭の時、家族の病気の時、賃金の遅配で生活に困っている時、災害の時、住宅関係の資金等)を我々労働者同士がお互いに扶けあってゆきたいと思うからです。
【何故、労働金庫でなければならないのか?】
それは、我々が乏しい賃金の中より生み出すところの零細な貯金は銀行でも郵便局でも喜んで預かってくれますが、一旦借りるとなると、我々がどんなに困っている時でも貸してくれません。
この様な時における我々労働者の頼むところは高利貸ししかないわけですが、このことが我々の生活にどんな脅威を与えているかは、玄に指摘するまでもないことです。
この社会の欠陥を我々労働者の団結の力で幾分でも解決してゆこうと思い、労金を設立することになったのです。


原文のまま紹介しましたが、1953年1月5日に出された「静岡県労働金庫設立趣意書」です。
爾来59年「静岡県労働金庫」は立派に大きく成長しました。
しかし設立の趣旨が労働者全般に浸透しているとは思えません。
年収200万円以下のワーキングプアと呼ばれる労働者は1100万人を数え、労働組合組合員数(1000万人)を大きく超えてしまいました。
みなさんはこの現状をどう受け止めるでしょうか。
静岡県労働金庫の“生い立ち”の記を読みながら、私は深く考えさせられています。