城郭探訪

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長沢城 近江国(近江町)

2015年07月03日 | 平城

城址碑

お城のデータ

所在地 : 米原市(旧坂田郡近江町)長沢  map:http://yahoo.jp/36uR88

築城年 : 平安期

初城主:長沢太郎冠者土佐守義盛

区 分:平城

現 状:集落

遺 構:堀・城跡碑

訪城日 : 2015.6.27

お城の概要

 長沢城は近江町長沢地区に位置し、旧国道8号線の西側集落の全て、四方は水田と1m余りの比高をもって立ち上がっており、幅1m程の水路が廻っている。

また、所によっては同様の水路が集落内に入り込み、屋敷を区画している。

北と西側水路には、横矢掛りの屈曲が認められる。

歴 史

 城域の北西部は真宗大谷派の福田寺が大きくその地を領有している。

長沢城の内堀に掛けられていた反り橋(そりばし)が長沢からおよそ2km南の宇賀野にある坂田神明宮に移設され現存している。

福田寺境内にある書院は、浅井長政の小谷城から移したものと云われ、浅井御殿と呼ばれ県の文化財に指定されている。

 長沢城は保元の乱(1156)の戦功によって長沢領を与えられた長澤太郎冠者土佐守義盛が築城した城であるとされ、周囲に二重の堀を巡らした堅城であったと伝わる。

 延元4年(1239)には、長浜の布施山から福田寺が移され、長沢城と福田寺は長く共栄したとされるが、応仁の乱(1467~77年)の頃に何が原因か定かでないが長沢城は閉城したと伝えられる。

大永5年(1525)、天文7年(1538)の二度に亘る六角氏による浅井氏攻めでは、六角氏の本陣が長沢城に置かれ、また、天文年中には長沢村の北国街道に関所が設けられ、浅井氏や若宮氏の被官が在番していた戦略上の要地であった。

その後は、織田信長の一向宗弾圧に抗して福田寺が江北十ケ寺の中心的存在となり、僧兵や寺侍、宗徒の拠点となったが、慶長2年(1597)秀吉の古城取り壊し布告により長沢城の残部も取り除かれた。

なお、湖北十ヶ寺は福田寺を含め、箕浦誓願寺(米原市箕浦),戌亥福勝寺(長浜市大戌亥町),十里金光寺(長浜市十里町),榎本浄願寺(長浜市榎木町),上坂順慶寺(長浜市西上坂町),上坂授法寺(以上旧坂田郡),内保誓願寺(長浜市内保町),尊勝寺称名寺(長浜市尊勝寺町),益田真宗寺(長浜市益田町)をさす。

参考資料: 滋賀県中世城郭分布調査・ウィキペディア(Wikipedia)、淡海の城

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