お城のデータ
所在地:長浜市木之本町田部 map:https://yahoo.jp/_K2sHI
現 状:寺社地、宅地
区 分:居館
築城期:室町期
築城者:田部氏
遺 構:田部家墓
標 高:145m 高差:-
駐車場:西光寺前駐車場スペース
目標地:西光寺
訪城日:2016.6.4、2018.7.21
お城の概要
木之本町田部集落の西光寺の門前の宅地が。「遺跡ウォーカー」の比定地である。
遺構は破壊されているが、田部集落の墓地には立派な「田部家」がある。https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1042126439283264&set=pcb.1042126992616542&type=3&theater
お城の歴史
当初は浅井氏の家臣の田部氏の居館(城)
元亀争乱の際には朝倉氏が駐屯し、その後は、丁野の中島宗左衛門も在城しました。
『江州佐々木南北諸氏帳』には「田部山城主 住 佐々木随兵 田部民部少輔信頼 元勢州田部義士後弾正正義氏男」とある。
『信長公記』 巻六 元亀四年
11、決壊 阿閉謀叛の事
8月8日になり、江北の土豪阿閉淡路守貞征が信長公へ内通してきた。すると信長公は夜中にもかかわらず岐阜を出陣し、そのまま敵城月ヶ瀬城へ攻め寄せ、翌晩までに開城させてしまった。そして10日には旗下の諸勢を大嶽北方の山田山に集結させ、越前への主通路を遮断した。このため越前から出陣してきた朝倉義景の二万の援軍は小谷に近付くことができず、余呉・木之本・田部山方面に布陣しなければならなかった。
また近年になって浅井久政は大嶽山麓の焼尾という地に砦を築いて浅見対馬に守らせていたが、この浅見も阿閉貞征にならって信長公へ通じた。
参考資料:信長公記、江州佐々木南北諸氏帳
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