所在地:高島市マキノ町沢(旧高島郡マキノ町沢) map:http://yahoo.jp/yFWb1m
現 状:長法寺
区 分:居館」
遺 構:土塁、類似石碑
築城期:室町期
築城者:田屋淡路守
目標地:長法寺
駐車場:長法寺
訪城日:2014.6.28
お城の概要
今も、境内北東にL字状の土塁が残る。当日は住職さんにお願いして土塁を拝見する。土塁内側は庭園化。
マキノ町沢には2つの城跡。長法寺館(田屋氏)とこの地の西にある沢村城(饗庭氏)がある。
長法寺は戦国期の天文4年(1555年)に建立されたのが、江戸時代の寛文3年(1663年)に田屋(田谷)氏の居館跡に本堂が建立されている。
寺門?館門(四足門)跡の敷石
本堂再建の石碑に領主田谷氏館跡に、この寺が建ったと刻まれています。
歴 史
長法寺館には、寺伝によると田屋淡路守の居館。田屋氏は、この地森西集落の西側に山城・田屋城を詰城とし、平時は下屋敷に住した。
天文7年、六角定頼と田屋氏の間に合戦が起こり、田屋氏は当館を棄てて詰め城田屋城に篭り、長法寺館は六角方の手に落ちた。
田屋氏は、北近江で勢力を伸ばしてした浅井氏と縁戚にあたり、天文以後次第に浅井氏被官と化し、浅井長政の高島領有に大きく尽力した。
田屋明政は浅井亮政の娘婿であったが、田屋氏の消息は天正3年(1575年)大處神社棟札銘の田屋淡路守重頼を最後に途絶えている。
本能寺の変後の天正10年(1582)6月、近江高島郡は丹羽長秀に与えられた。翌年3月に賤ヶ岳の合戦が起こり、羽柴秀吉方の長秀は、柴田軍の南下を阻止するために知内浜城をはじめ、森西城・沢村城・田屋城(詰め城)等を修築したと伝わる。
長法寺の裏に、土塁が残る。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城
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