お城もデータ
所在地:伊香郡高月町磯野 マップhttp://yahoo.jp/urTKPU
城 主:磯野丹波守
区 分:山城
遺 構:削平地、竪堀、堀切
城 域:210m×75m
標 高:271m(磯野山)
戦 い:永正14年(1517)
○浅井亮政
VS
●磯野丹波守員栓・赤尾氏
訪城日 : 2013.12.02
お城の概要
斜度40度ほどの急斜面を下る。
下山してみると "急傾斜地崩壊危険区域"の立て札が建てられており、道理で急斜面のはずと納得。
山頂には、長さ30mほどの楕円形の削平地があり、ここが本丸。
北に走る尾根の斜面に4段ほどの削平地が続く。登るときには気がつかなかったが、急な斜面に竪堀が30mの距離をおいて2本掘られている。
なお、磯野山城には堀や土塁などは無く、竪堀と堀切だけを防御施設としており、堀切,竪堀は全部で14条あるという。
歴 史
『江州南北諸士帳』に磯野城主 佐々木浅井随兵 磯野源三朗、伊予守元摂州 磯野伊予守通信、同磯野右衛門太輔、佐々木隋兵磯野末宮沢右衛門」の名が見える。
磯野山城は京極氏の家臣・磯野氏の居城で、江北で京極氏に替わって浅井氏が台頭した後は浅井氏の家臣となる。
磯野員昌は浅井氏の家臣の中でも勇猛であったとされ、元亀元年6月姉川を挟んで浅井・朝倉軍と織田・徳川軍が戦った姉川の戦いで、浅井・朝倉軍が小谷城へ向けて退却する際、磯野員昌は手勢五百を率い、敵中突破をして佐和山城に立て籠もっている。
磯野員昌は、後に織田信長に降り高島郡新庄に封じられ、織田信澄の養父となっている。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、近江の城郭、江州佐々木南北諸士帳
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