城郭探訪

yamaziro

沓掛北砦 近江国(西浅井・沓掛)

2016年03月24日 | 

大川の橋上

駐車場スペース  登城路(関電鉄塔管理道)

水源山地整備事業碑

自然の谷川がⅤに、また木橋。その比先は比高2mの段差

お城のデータ

所在地 : 長浜市(旧伊香郡)西浅井町沓掛 map:http://yahoo.jp/PGhj0y

現 状:山林・山頂

区 分:砦

築城期:ー

築城者:ー

遺  構 :廓・土塁・箱堀(水田・足入り)、土橋、堀切、

標 高:358m 比高差:190m

目標地:八幡神社の北へ約400m

駐車場:国道8号線添い空地

訪城日:2016.3.23

お城の概要

 尾根先の標高358mの頂部から南東方向に並行して二本の支尾根が伸びている。この頂部と支尾根が城域。
頂部が北郭で北東端を堀切で遮断し、北西と南西側は谷へ落ちる急斜面で、南東側は箱堀で主郭と隔てられている。

 主郭は27m×18mの削平台状地と南側の腰郭から成り、その周囲は箱堀で、北東側と南東側は足入り状の箱堀。主郭南西側の箱堀を介した支尾根も削平。
砦は、自然地形を利用した堅固な防備を固めた縄張りだが、こんな奥まった山頂から、街道監視の役割(街道が見えたのか?)か疑問。

しかし仮説だが、登城路の途中に削平地が多数残る・・ここなら監視も可能だが?。山頂部は詰め城か?頂部は狼煙台か?

また、滋賀県中世城郭分布調査の沓掛北砦の説明には「敦賀と塩津浜間の街道を挟んで、沓掛北砦(城)との対面の西の山中にには、街道を東西の高地から監視する「殿山の遺構」があるようだが、風化激しくブッシュが酷く踏査・測量は困難のようだ。」

お城の歴史

築城期・築城者や詳細は不明

 「弘治元年(1555)の師走の12月26日には、塩津の熊谷平治郎は三千騎を率いて、疋田城を攻撃した」・・・とあるように、熊谷氏が或る時期に隣国で隣接の越前の疋田氏と敵対関係にあった事。その事が塩津街道の周辺に構築された諸砦の存在と関連付けらる。

北の廓(狼煙台・物見櫓か?)

 

北廓の東の箱掘主郭の土塁土塁主郭土塁sy

主郭部手前の桝方状の登城道、曲がると北廓の鉄塔が見える、その東側上部が主郭土塁 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、

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