=埋め立ては湖側へ27メートル以上=
平安時代末期(12世紀)の塩津港のイメージ図
◇長浜・・・滋賀報知新聞
古代から中世にかけ日本海・敦賀から京への中継港として栄えた、琵琶湖最北端の塩津港(長浜市)が、小都市として活況を呈していたと、県文化財保護協会などの発掘調査で明らかになった。
この発掘調査は、国道8号バイパス工事に伴い、平成二十四年から実施されているもの。今回の調査では、十二世紀ごろに造ったとみられる、船が着岸するための高さ一メートルほどの垂直護岸、幅一・二メートルの桟橋(さんばし)、石を張り込んだ傾斜護岸などがみつかった。
これらの埋め立て工事は、十二世紀前半から約六十年間だけでも、七回以上繰り返され、港の施設は琵琶湖に向かって二十七メートル以上も拡張されていた。
また、出土した遺物は、京をしのぐほどの濃密さで、塩津港がいかに繁栄していたかうかがえる。琵琶湖の水位が上昇して水没したため遺跡の保存状態はよく、土器類だけでなく、木製品や骨角器、金属製品などが豊富にみつかった。
県文化財保護協会は「これまで不明だった同港の姿を伝えるとともに、当時の物流、信仰、土木技術、造船技術など歴史資料が残され、海洋国日本の歴史を知る上で重要な遺跡といえる」としている。
塩津海道あぢかまの里 http://www.kkr.mlit.go.jp/road/michi_no_eki/contents/eki/s15_adikama/
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