旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

マイナーな宗教

2016年01月10日 16時22分03秒 | エッセイ
マイナーな宗教

 宗教の世界で時代によって分裂したり、新しい宗派が生まれたりすることはよくある。キリスト教はカトリックからプロテスタント、イギリス教会が生まれ、近年ではモルモン教、ものみの塔といった新興宗派が出ている。カトリック自体が原始キリスト教の精神とはかけ離れて、権力者の政治統治に迎合したものとなった。近代以降は政教分離が進んだが。他にロシア正教、ギリシャ正教、アルメニア正教、エチオピア正教、エジプトのコプト教徒などがいる。キリスト教会自体から迫害を受けた宗派は数知れない。
 仏教がお釈迦様の思想からすれば、考えられない奇奇怪怪な変化を遂げたのは、日本人なら分かるだろう。原始仏教に近いと思われる上座部仏教でも、いくつかの派がありミャンマーでは「森の人」という異端の宗派が流行った歴史がある。
 イスラム教もずい分色々ある。スンニ派、シーア派の話しではない。トルコに行けばメヴレヴィー教団が、両手を伸ばしてぐるぐると何時間でも旋回している。アレウィー派(シーア派に近い。信者の大半はクルド系の人)といって、多数派のスンニ派から極端な迫害を受けている人達がいる。
 さてこれで三大宗教は終わった。次に大きいのはヒンドュー(ユではなく小さいウにしたいが出来ない。)教か。これもビシュヌ派、シヴァ派があるな、詳しくは知らないが。五番目はユダヤ教?どっこい、シーク(シク)教でした。ターバン巻いたインド人。あのターバンの中にはとぐろを巻いた長髪がぐるぐる巻きに入っているって知ってた?シークは髪とひげを切らない、剃らない。女性もみんな長髪だ。
 約3,000万人の信者って、そんなに少なかったの、意外だ。13億弱の人口を持つインドでシェア1.7%だ。電卓を叩いて、違ってるやんけ、とは言わないこと。海外に住むシーク教徒を入れて3,000万人だ。神戸にはシーク教寺院がある。印僑の中でシーク教徒の占める割合は、信者数に比して高いはずだ。ちなみにインドの宗教分布はこうなっている。ヒンドュー79.8%,イスラム14.2%,キリスト教2.3%,シク1.7%,仏教0.7%,ジャイナ教0.4%。仏教が生き残っているのね。でもこの中にはインドに住むビルマ族が多いのかな。最近ベンガル人を中心に急激に増えているのがイスラム教だ。見るからに濃いいベンガリアンにガネーシャの置物をプレゼントしてはいけない。
 さてシーク教徒、あんなに目立つしよく宗教紛争の対象になるのにね。だってターバン巻いたインド人って、ターバン巻いて長いひげをはやしているのはシークだけだよ。シーク教徒は何故なのかは知らないが、背が高くて体格が良い人が多い。軍人やタクシー運転手、銀行やホテルの守衛などが多い。シンガポールやビルマ戦線で日本軍と戦った英印軍の中にもシーク教徒は多かった。
 シーク教は16世紀にグル・ナーナクによって作られた新しい宗教だ。輪廻転生を肯定し、カーストを完全否定している。神は一つだとして唯一神を標榜する。宗教は違えど目指す神は一緒だとして、原則として他宗教への攻撃はしない。イスラム教のジハード(努力。元々はこの意味。今は聖戦と訳されるけどね。)もヒンドュー教の苦行も、キリスト教・仏教の出家も否定する。世俗の職業に就いてそれに真摯に励むことを重んじる。酒・タバコ・麻薬は禁止。離婚は好ましくはないが、やむを得ない場合は仕方がない。同性愛を受け入れはしないが、差別はしない。
 おお、公平で合理的、オープンマインドな宗教だこと。シーク教のベースとしてはヒンドューよりイスラム色、特に神秘派の影響が強いが。イスラム教との直接の繋がりは全く無い。別の宗教だ。よくインドでシーク教の寺院が多数派のヒンドュー教徒に焼き打ちされたりする。シーク教徒が勤勉で金持ちが多いのが原因か?ねたみ?そう言えば中東のドバイとかでもよくシーク教徒を見かけた。大富豪としてではなく、出稼ぎ労働者としてだ。出稼ぎ主流のインド人やバングラデシュ人より、教育水準が高くて勤勉なんだろうね。あくまでも一般論だから、怒らないでねインド人。
 或いは植民地主義の悪しき遺産なのかもしれない。分割統治という奴だ。イギリスが得意とした手だ。多数派のビルマ族を支配するのに、キリスト教徒が多いカレン族を優遇し、フランスはカンボジアとラオスを間接統治するのにベトナム人を使った。シーク教徒もそうだったんだ。権力者の犬、うらみは百年続く。だいたいインド人は未だに英国人に対して卑屈な態度を取りがちだ。こういうのは人の習性で染み付いているから三世代位たたないとなかなか抜けない。子供は親を見て育つからね。後で述べるパールシー教徒に関しても、イギリスは中間層として優遇した(利用した)。肌の色が白くてアーリア系の顔立ちをしていたせいだろう。シーク教についてはこれくらいにしておく。

 次はジャイナ(ジナ)教。この宗教は古いよ。開祖はお釈迦様と同年代、本名は「ヴァルダマーナ」尊称は「マハーヴィーラ」。唯一神とか吠える宗教ではなく、彼は釈迦と同じように思想家だった。真理は多様に言い表せる、と説いた。一方的判断を避けて「相対的に考察」すること。「これである。」「これではない。」という断定的な表現をさけ、常に「ある点からすると、」という限定を付すべきだとする。いいね!これは良い。ジャイナ教万歳。「絶対」とか「唯一」とか叫ぶ奴は阿呆だ。
 ジャイナ教は、徹底した苦行と禁欲主義をもって知られる。極端な不殺生と、球根すら出来るだけ食さない菜食主義。空中を飛ぶ小さな虫を吸い込まないように口を布で覆い、歩いて虫を踏まないようにホーキを持って地面を掃きながら歩く、と言われる。それは嘘のようだ。ホーキは座る時に地面を掃くらしい。こうなると漁業・牧畜・林業等は出来ず軍人にはなれない。農業すら難しい。したがってジャイナ教徒は商工業に従事する人が多い。商才に長けたジャイナ商人として定評がある。彼らにとって最高の死は、引き続いて行われる断食による餓死だ。マハーヴィーラもそうして死を迎えた。
 ジャイナ教は仏教と違ってインド国内でしか広まらなかったが、有名なアジャンタの遺跡も仏教だけでなくジャイナ教の寺院跡が残っている。現在の信者数は450万人。インドの全人口の0.4%未満だが、日本では神戸市中央区にジャイナ教寺院があるそうだ。僧侶の全てではないが、無所有の教えを守るために裸行を通す派もある。ジャイナ教徒の結束はきわめて固く、婚姻も多くはジャイナ教徒だけで行われている。

 次はパールシー。ササン朝の滅亡を機にイラン(ペルシャ)のゾロアスター教徒の一部は、インドのグジャラート地方に海路退避した(西暦936年。一説では716年)。今では本国イラン(信者数3~6万人)よりもインドのゾロアスター教徒の方が人数が多い。パールシーとはペルシャの意味だ。ゾロアスター(ザラスシュトラ)は紀元前1,600~1,000年頃に生きた人。善悪二元論を唱え光明の神アフラ・マズダを信仰し、光(善)の象徴として純粋な「火」を尊ぶため、拝火教とも呼ばれる。遺体を鳥に食べさせる鳥葬(ないし風葬)を行う。聖典は『アヴェスター』。ちゃんと邦訳がちくま書房から出版されている。えらいもんだ。古代ペルシャ語の分厚い本を訳した先生も出版社も、いったい何人の日本人が『アヴェスター』を読むと思ったことだろう。拾い読みを試みた事があるが、内容が抽象的、象徴的過ぎてさっぱり分からなかった。あれを読み通した人、手を挙げて。あんたはえらい。
 パールシー達がグジャラートに入った時に、ヒンドュー教徒のマハラジャと次のようなやりとりがあったと伝えられている。
マハラジャが言う。「もうあなた方の住む場所は残っていない。」パールシーの長老は、杯に並々と入れたミルクと砂糖を持ってきてもらう。長老は溢れそうなミルクにゆっくり砂糖を入れ慎重にかき回す。「王さま、このようにミルクで一杯になった杯にも砂糖は溶けます。砂糖を入れてもミルクはこぼれません。私達もこの国に住み、この国を甘くしてみせます。」この答えに感じ入ったマハラジャはパールシーを受け入れた。但しこのマハラジャは頭がよい。父方の子孫はパールシーだと認めるが、母方は認めないことを条件とした。つまり娘が異教徒と結婚したら、パールシーであることを止めなければならないのだ。この方法では、増えて行くことは至難の技となる。
 2010年現在、6万人強のパールシーがインド国内にいるとされているが、数は減少傾向にある。現在もパールシーはグジャラートのマハラジャとの約束を律儀に守っているため、女性が異教徒と結婚したら信仰は捨てなければならない。パールシーは教育水準と財産保有率が高いため、少子化が進んでいることも原因になっている。
 パールシーは特に東インド会社と結びつき、ほとんどのパールシーはムンバイ(旧ボンベイ)に移住した。彼らは主に貿易によって財力をつけ、強い経済力と支配的な地位や人々の上に立つためのノウハウを身につけた。インドの二大財閥のひとつ、タタはパールシーである。ムンバイの寺院には、イランから運ばれてきたザラスシュトラが点火したと伝えられる炎が、消えることなく燃え続けている(はずだ。異教徒は寺院に入れない。)郊外には鳥葬用のサイレントタワー(沈黙の塔)があるが、都市化が進み遺体の死肉を食べるハゲワシが減少して困っているそうだ。

 さて国際都市、唐の長安には様々な異国人があふれていた。酒場では金髪、碧眼のスレンダー美女がテンポの速い胡旋舞を舞う。酒は硝子の杯に入れた葡萄酒だ。唐代三夷教とは、景教:キリスト教ネストリウス派、祆教:ゾロアスター教、明教:マニ教のことだが、長安にはそれぞれの教会・寺院が複数建てられていた。
 マニ教は興味深い。開祖マニはササン朝ペルシャの人(西暦216-276,or277)。ユダヤ教・ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義等の流れを汲む。経典はマニ本人が記したが、現在ではほとんど散逸している。かつては北アフリカ、イベリア半島から中国にかけてユーラシア大陸で広く信仰された世界宗教で、キリスト教が国教化される以前のローマ帝国全域にマニ教信者が増加し、原始キリスト教と並ぶ大勢力となった。信者は白い衣服を身につけ五感を抑制することを目指す。一日一食の菜食主義で、週に一度の断食といった禁欲的な宗教であった。
 中国において摩尼教(明教)は仏教や道教の一派として流布され、宋代には取り締まりを受けたが、宗教に寛容な元朝において復興した。明教と弥勒信仰が習合した白蓮教は元末に紅巾の乱を起こし、その指導者の一人であった朱元璋の建てた明朝の国号は「明教」に由来するものだと言われている。へー、自分で書いてへー、だな。「光明の父」「光明の母」「光の王国」、〝明〟教とはその教義に由来する。
 過去にあれだけ普及したのに現在では消滅した宗教と見なされていたが、中国の福建省においてマニ教寺院の現存が確認された。福建省、台湾と隣り合った沿岸の省だ。何やら南海大遠征を行った色目人、鄭和を思い起こさせる。鄭和はイスラム教徒だが。この寺院、文化大革命で紅衛兵にボロカスに壊されたけれど、何とか残っています。信者もいて、毎年マニの誕生祭を行っているそうだ。ちなみにマニ教の教義は、世界は光の王国(善)と闇の王国(悪)が対立していて、今は闇の勢力が支配していて人間の肉体も闇によって構成されているが、肉体には「光の破片」も残されている。智慧によって光の部分を自覚し、戒律を守り厳しい修行にすることによって光の部分を太陽に戻す努力をし、来るべき闇と光の最終戦争に備えよ、というものである。これでは時の権力者によって弾圧を受けるのも分かる。マニ教は各宗教のエッセンスを採ったような所から、他宗の信者への浸透は図り易かったが、独自性が保てなかったのかな。教義はドラゴンクエストみたいで恰好いいが。
 中国の白蓮教徒だが、この国は古くから特に王朝末期の農民反乱や世直しの動きが宗教色を帯びることが多い。古くは太平道、五斗米道、白蓮教、近年では義和団、太平天国。まあ中国では宗教というよりは、秘密結社の長い伝統と歴史がある。青幇、紅幇、洪門会などが有名だね。幇は運河の水運業ギルドの結束などから生まれた。古いもので実に興味深いが、今回は言及しないでおく。書かない積りのマニ教だけで、こんなにページを使ってしまった。編集長に怒られる。

 さてここらでインドも中国もペルシャも離れ、飛んでベトナム。ベトナムも多宗教な国なんだ。社会主義国だから建前は無宗教なのだが、まあ80%は仏教、主に大乗仏教だ。インドシナと言ってもベトナム(大越国)は文化的に中国の影響が大きい。ベトナム戦争の最中、サイゴン市内でよくお坊さんが焼身自殺をした。アメリカや他国の支配はいやだが、北の共産主義者の支配はもっといやだ。行き場の無い絶望のあまり、ガソリンをかぶるしかなかったのだろうか。体が燃えているのに合掌してじっと座禅を組み、やがて崩れ落ちる姿がTVで放映されていた。
 サイゴンの沖の島(or メコン川の川中島?)に何十年もココヤシしか食さないココヤシ坊さんというのがいた。あのおじいさんは、サイゴン解放(侵略)後、どうなったんだろう。話しが飛んだ。ベトナムは魅力のある国だ。この国のお人は個性が強い。キャラが立つ。インドシナの韓国人?そう言ったら、ベトナム人からも韓国人からもやり込められるな。
宗教も多彩だ。ホアハオ教も面白い。しかし信者数と教義の充実度から言って、これだ。カオダイ教。信者数は100~300万人。ずいぶんアバウトだな。総本山のあるタイニン省(サイゴン=ホーチミンcityから北西約100km)の人口の7割、あるいは3分の2が信者だという。1919年(1920年説あり)に二人のベトナム人によって唱えられた新興宗教だ。五教(儒教・道教・仏教・キリスト教・イスラム教)の教えを土台とするという。カオダイ教のシンボル「カオダイの目」はフリーメイスンを連想させる。
楽しいのは、聖人や使徒として孔子・老子・釈迦・観音菩薩・キリスト・ムハンマド、ここまではよいが、次、次、李白、ソクラテス、トルストイ、ヴィクトル。ユーゴーを仰ぐ。総本山は南国的で強烈な色彩乱舞、ネオンの氾濫。しかし信者は白いアオザイを身につける。一般の人も観光出来るから行ってみたら。面白いと思うよ。
今回のお題は変えないといけないね。メジャーな、マイナーな宗教でした。

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