うわっ恥ずかし、穴があったら入る。
誰でも消したいちゃい記憶ってあるじゃない。無い、今まで生きてきたどの瞬間も愛おしい、などとほざく人がいたら気持ち悪い。あんた、ベトベトのナルシストだろ。自分のことが好きで好きでたまらない、などと言う奴とは絶世の美女を除き一緒にいたくない。美女なら許す。女性陣がいくら抗議の声を上げても、関係ないもんね。美女ならナルシストでもアナリストでもエクソシストでも何でも許す。もし目の前に突然キーラ・コルビ(フィンランドのフィギアスケーター、美女美女)が現れ、ハローとハグしてきたら俺はちびってしまうに違いない。
逆に自分の事がきらいでたまらない、という人には親近感を抱くが、それも程度の問題。あんまりにもこだわり過ぎるのはいやだな。あんた、自分にしか関心がないの、それって逆さナルシストじゃん。だいたい話題が常に自分ばかりじゃつまらない。
子供の時は今よりずっと消したい事が多かった。子供の生活は大人よりもドラマチックだ。今この瞬間、世界を消せるボタンが手の中にあれば押すね、とかよく思ったものだ。無くてよかったね。あったらみんな何をしていても突然理不尽に消えていたと思うよ。実際親に見せられない点数のテストが戻ってきた時、それを畳んでよくマンホールの穴から落としていた。マンホールの中を点検する人がいたら、わっテストだらけじゃんか、全部同じ名前だと思ったことだろう。
本当にたまらない思い出は書かない。ワーワー、消したい記憶は山ほどあるけど教えないもんね。まあ差し障りのない所を二つ書いて穴に入る。それだって十分恥ずかし。小学校の四年生の頃だった。夏休みに京都の叔母さん一家が遊びに来たんだ。当時住んでいた横浜の家は広くて、テーラーをやっていたから職人さんが住む所もあり、叔母さん一家が泊まるスペースは十分あった。3-4泊なら大歓迎で終わったのだろうが、5日6日一週間たっても帰らない。多分10日位いる積りだったんだろう。この叔母さんは京都にお嫁に行って以来、ずっと向こうだったから、その夏は横浜・東京にじっくり滞在したかったんだろうな。だけど子供とはいえ、よく知らない叔父さんや小さい子と毎日食事をするのは気まずかった。おおらかな子供じゃあなかったんだな。せっかくの夏休みなのにゆっくり出来ない、とか思っていたひねたガキだった。一週間位たった時、畳に寝転がってつい独り言をつぶやいた。「早く帰らないかな。」えっ、その時部屋に人の気配を感じて身を起すと、びっくりした顔をした叔母さんがいて、至近距離で目と目が合った。二人共一瞬固まってしまった。次の日叔母さん一家は、唐突といった印象を残して京都に帰っていった。
俺はどーしよーと思ったけれど、こりゃどーしよーもない。大好きな叔母さんだったのだが、今度会ったら確実に気まずい。しかし京都は遠かった。記憶の中で次に会ったのは、大学生になった自分が京都に行って叔母さんの家に泊めてもらった時だ。叔母さん一家、特に子供たちが何のこだわりもなく歓迎してくれた。
仕事でヨーロッパを移動していた。その時は確かイギリス、ドイツ、スイスと旅したが、ヨーロッパの短距離の航空会社は馴染みの薄い会社もあった。ある移動で席が微妙に空いていた。あそこも二つ空いてるじゃん。移りたいな、いいかな。そこで紺のブレザーを着て荷物を棚に入れているCAに聞いて見た。「席を替わってもよろしいですか?」すると彼女しばらく黙っていて素っ気無く言った。「後にしたら。」なっ愛想の悪いCAだな。釈然としないまま席に座った。すると彼女も席に座るじゃないか。CAじゃないの、お客さんだった。紺の上下にスカーフって紛らわしい。これはささいな間違いだが、顔がサっと赤くなるような、妙に恥ずかしい思い出だ。あー書いちゃった。穴はどこ?
誰でも消したいちゃい記憶ってあるじゃない。無い、今まで生きてきたどの瞬間も愛おしい、などとほざく人がいたら気持ち悪い。あんた、ベトベトのナルシストだろ。自分のことが好きで好きでたまらない、などと言う奴とは絶世の美女を除き一緒にいたくない。美女なら許す。女性陣がいくら抗議の声を上げても、関係ないもんね。美女ならナルシストでもアナリストでもエクソシストでも何でも許す。もし目の前に突然キーラ・コルビ(フィンランドのフィギアスケーター、美女美女)が現れ、ハローとハグしてきたら俺はちびってしまうに違いない。
逆に自分の事がきらいでたまらない、という人には親近感を抱くが、それも程度の問題。あんまりにもこだわり過ぎるのはいやだな。あんた、自分にしか関心がないの、それって逆さナルシストじゃん。だいたい話題が常に自分ばかりじゃつまらない。
子供の時は今よりずっと消したい事が多かった。子供の生活は大人よりもドラマチックだ。今この瞬間、世界を消せるボタンが手の中にあれば押すね、とかよく思ったものだ。無くてよかったね。あったらみんな何をしていても突然理不尽に消えていたと思うよ。実際親に見せられない点数のテストが戻ってきた時、それを畳んでよくマンホールの穴から落としていた。マンホールの中を点検する人がいたら、わっテストだらけじゃんか、全部同じ名前だと思ったことだろう。
本当にたまらない思い出は書かない。ワーワー、消したい記憶は山ほどあるけど教えないもんね。まあ差し障りのない所を二つ書いて穴に入る。それだって十分恥ずかし。小学校の四年生の頃だった。夏休みに京都の叔母さん一家が遊びに来たんだ。当時住んでいた横浜の家は広くて、テーラーをやっていたから職人さんが住む所もあり、叔母さん一家が泊まるスペースは十分あった。3-4泊なら大歓迎で終わったのだろうが、5日6日一週間たっても帰らない。多分10日位いる積りだったんだろう。この叔母さんは京都にお嫁に行って以来、ずっと向こうだったから、その夏は横浜・東京にじっくり滞在したかったんだろうな。だけど子供とはいえ、よく知らない叔父さんや小さい子と毎日食事をするのは気まずかった。おおらかな子供じゃあなかったんだな。せっかくの夏休みなのにゆっくり出来ない、とか思っていたひねたガキだった。一週間位たった時、畳に寝転がってつい独り言をつぶやいた。「早く帰らないかな。」えっ、その時部屋に人の気配を感じて身を起すと、びっくりした顔をした叔母さんがいて、至近距離で目と目が合った。二人共一瞬固まってしまった。次の日叔母さん一家は、唐突といった印象を残して京都に帰っていった。
俺はどーしよーと思ったけれど、こりゃどーしよーもない。大好きな叔母さんだったのだが、今度会ったら確実に気まずい。しかし京都は遠かった。記憶の中で次に会ったのは、大学生になった自分が京都に行って叔母さんの家に泊めてもらった時だ。叔母さん一家、特に子供たちが何のこだわりもなく歓迎してくれた。
仕事でヨーロッパを移動していた。その時は確かイギリス、ドイツ、スイスと旅したが、ヨーロッパの短距離の航空会社は馴染みの薄い会社もあった。ある移動で席が微妙に空いていた。あそこも二つ空いてるじゃん。移りたいな、いいかな。そこで紺のブレザーを着て荷物を棚に入れているCAに聞いて見た。「席を替わってもよろしいですか?」すると彼女しばらく黙っていて素っ気無く言った。「後にしたら。」なっ愛想の悪いCAだな。釈然としないまま席に座った。すると彼女も席に座るじゃないか。CAじゃないの、お客さんだった。紺の上下にスカーフって紛らわしい。これはささいな間違いだが、顔がサっと赤くなるような、妙に恥ずかしい思い出だ。あー書いちゃった。穴はどこ?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます