旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

デパートの外商と落語家の息子   

2016年06月15日 17時46分03秒 | エッセイ
デパートの外商と落語家の息子   

 今ではずい分斜陽化したが、それでも老舗の百貨店の権威は残っている。特に地方都市にその傾向がある。デパートの花形部署はオーダーの紳士服売り場や、家具売り場もあるが何といっても外商部だ。デパートは基本的に何でも売っているのだから、客のお金持ち(昔は税制が優遇されていたのだろう、開業医が多かった。)の衣食住、冠婚葬祭、何にでも対応できる。客の方は少々値段が高くても包装紙は見栄えがするし、時間と手間を節約できるメリットは大きい。苦労を重ねた創業者なら物の値段にこだわるだろうが、お医者さんなんかはそうでもない。
 外商部の社員の抱える数百人いる顧客の内、一人の娘が結婚するとしよう。結婚式の引き出物を頼まれたとする。3万円のものを500人分(金持ちなので)としたら、それだけで1,500万円の売り上げだ。ところが金持ちの客をたくさん持って、毎月多くの売り上げを計上する社員でも、給料はあまり高くない。同年輩の商社やメーカーに比べると、デパートの給料は安い。外商部員は自身も金持ちの息子が割りと多かった。親戚縁者だけでも結構な売り上げになるし、金持ちの心金持ちが知る、というものだ。お金持ちは、貧乏な家庭出身の苦労してきた青年、なんてのが別段好きじゃあない。第一話しが合わない、詰まらない。
 しかし努力型のセールスマンの中には独立を試みる者が意外にいた。自分にはこれだけの顧客がいるし、毎月X千万も売り上げているのに給料は固定でボーナスもしれている。一人でやったら、月数百万の売り上げでも大もうけだ。そこで時計、宝石、家具等の歩合制の会社に入ったり、自分で会社を始めたりする。会社勤めならよい。当てが外れても生活は出来るし、最初は期待外れで嫌味を言われても後で取り戻すことも可能だ。ところが思い切って独立した連中は潰しが効かない。成功するのは5人に1人か、10人に1人か、セールスの達人なのに。
 大方のセールスマンはかん違いをしている。あれほど個人的に仲良くしていたのに、と思う。でもそれは売る方の一方的な思い込みだ。客はあくまで×△デパートの田○だと思っている。デパートが抜けた田○はただの人に過ぎない。別に田○を特別に思っていた訳ではないし、肩入れするいわれはない。裏切られたと思う方がおかしい。×△デパートの信用と包装紙がないなら、物が高額であればあるほど買いたくはない。第一品物が時計だの宝石だの偏っているから需要もない。
 ×△デパートといって開拓したり引き継いだ客は、個人の客とは云えない。そこで勝負をする方が裏切りだ。デパート時代の客の大半を失い、それでもそこから這い上がって新しい客を開拓するのは5人に1人というくらい難しいのだ。後ろ盾と信用なしでセールスすることは実につらい。

 日本を代表する広告代理店、○通などはよく落語家の息子とかを採用する。汚ねえ、縁故採用じゃん、と言うがそれのどこが悪いの?芸能関係の家庭で育ったボンボンは、テストの成績は悪くても華やかな環境に慣れているから物怖じしない。満点に近い成績の秀才がいくら英語が達者でも、話しが合わなきゃ溶け込めない。英語が必要なら、帰国子女の社員に担当させるか通訳をつければ済む話だ。
 ○通は長い経験で、どんな社員が育つのか分かっているのでよくそういった類の縁故採用をする。おまけに親の縁まで利用出来るのなら願ったりだ。


托鉢を差し出す老婆と孫娘  

2016年06月15日 17時44分40秒 | エッセイ
托鉢を差し出す老婆と孫娘   

 タイ・ラオス・ミャンマーといった国では、成人の通過儀礼のように若者が出家する。3ヶ月6ヶ月1週間と期間はマチマチだが、息子が頭と眉毛を剃ってお坊さんになる姿を見てお母さんは泣く。一生ではなくても我が子が家庭からいなくなるのが寂しいのね、と思っていたら違った。
 出家する(中には生涯僧となる)息子の動機の一番は「家庭の事情」だが、よく聞いてみるとお母さんのためと言う。仏教において女性は不利だ。男性はあくまで可能性だがその生涯において解脱出来るが、女性は一度男に生まれ代わらなければ解脱出来ない。そんな女性が最も徳を積む行いが、息子を僧にすることだ。得度式におけるお母さんの涙は、そんな大きな徳を与えてくれる息子に対する感謝と誇らしさの、嬉し涙だったのだ。
バンコクであろうが田舎の村であろうが、オレンジの衣を着たお坊さんは裸足で列をなし、大きな鉢を抱えて托鉢をする。鉢に入れるのは米(ラオスではもち米、タイはうるち米)だけではない。バナナやマンゴー、キャラメル、おかずはビニール袋に入れて差し出す。朝早くから行列が来るから、炊き出しは早朝からやっているんだろう。
坊さんにご飯等を渡す役は女の人が多い。その家にお婆さんがいたら、彼女が給仕係りだ。差し出す方はうやうやしく鉢に入れるが、貰う方は特に頭を下げたりはしない。流れ作業で結構忙しい。そんなお婆さんにくっついてよくチビの孫娘が手伝っている。何が楽しいのかクスクス笑って、お婆さんに叱られる。小さな手を合わせて、恥ずかしそうにモジモジしながらお辞儀をする。この可愛らしいチビッ子が成人して結婚し、お婆さんとなって托鉢にご飯を差し出す。そんな循環が続いてゆけば良いのだが。
印度ではガンジス川で沐浴をする信者がめっきり減った。社会主義のラオスでは一度仏教が禁止され、僧が還俗させられた。バーミアンの大仏はタリバンが爆破した(クソ、行く予定だったのに)。ISはパルミュラの遺跡を破壊している。カンボジアではポルポトによる悲劇があった。
娘よ、たくましく健やかに、真っ直ぐ生きよ。亜細亜の大地は豊かで暖かく、生命で溢れている。


生き字引と誰でもシステム   

2016年06月15日 17時43分07秒 | エッセイ
生き字引と誰でもシステム   

 この話も古い。パソコンが普及する前だから25年は経っている。当時の工場の部品在庫や倉庫の棚にあるストックの管理は、台帳かオフィスコンピューターで行っていた。在庫は多過ぎたら金銭的な負担がかかるし、少ないと必要な日に足りなくなって、最悪製造ラインが止まってしまう。そんな工場には大てい生き字引のようなベテランがいた。
 部品番号か探しものを言うと、それはどこそこの棚の右から数えて何番目にある。まだ1箱残っているはずだ、などとスラスラ答える。何千というラックの中身(刻々と変わる在庫数)が、全てこの人の頭の中に納まっているようだ。これは随分と便利だ。おまけに彼は、発注が必要な品などを教えてくれる。しかしその人が休暇を取ったりすると、途端に分からなくなってパニックになったりした。
 そういった大ベテランは大きい所も小さい倉庫も、一人だけで二人いることはまずない。今はパソコンと手軽な在庫管理ソフトがあるから、生き字引の脳で頼りにされる人はいなくなっただろう。他方当時のアメリカではどうやっていたのか。歩く在庫管理のようなベテランは、いたとしてもごく少なかったと思う。アメリカ人は一つの会社に長くいるケースは、日本よりずっと少ない。数年で転職する人は、数千もある在庫を覚えられるはずはないし、覚える気もなかろう。彼らはオフコンを使った入出庫の管理プログラムを使っていた。
 プログラムの構築には相当の手間と金銭が掛かったろう。しかしプリントアウトした紙を見れば、A-17の棚からQPxx-xという部品を5個取り出してB棟の▽○室のラインCに届けよ、と書いてある。その紙に従えば、今日入ったばかりの新人でも直ぐに仕事が出来る。逆にベテランになっても、その紙切れに従って初日と同じ仕事を繰り返す。これなら人が急に辞めても恐くない。
 このシステムはドライで基本的に人を信用していない。可能なら物の移動や棚入れも自動化してしまいたい。でもまあこう言っては何だが、部品の保管や出し入れなどは、機械に任せてしまっても良いのではないかな。