旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

社長のバカは遺伝する。 

2016年06月09日 17時58分16秒 | エッセイ
社長のバカは遺伝する。   

 経営に四苦八苦している熱血社長に、目をかけている若手の社員がいた。社長は彼のことをいつも気にかけていて、将来は自分の右腕に育って欲しいと期待している。仮に社員の名を○元としておく。○元はやる気も能力もあるが、不器用な性質でミスが多い。
 社長は家で夕飯の時などに、よく奥さんに向かって愚痴をこぼした。「バカの○元がxxx」「今日もバカな○元がxxx」悪気がある訳ではない。社長はドジな○元がかわいくて歯がゆいのだ。社長は休日に○元を昼食に招いた。○元が頑張って新しい取引先を開拓したので、奥さんにご馳走を作るように頼んだ。独身の○元をねぎらってあげようとしたのだ。
 当日○元が社長の家に着くと、偶々家にいた小学生の小僧が玄関に出て彼を迎えた。小僧は大きな声で親に告げた。「バカの○元が来たよ。」
 ここで終わった方がすっきりするのだろうが、余計な一言。このケースでは子供は悪くない。子供は親を見て育つものだ。だがこれが奥さんやお抱え運転手なら話は別だ。社長が人を見下す態度を取るからといって、社長の奥方や運転手が同調するのはおかしい。お前が偉いのかよ。人前で人を見下すような社長もゲスだけどね。心の中だけにしようね。


おナベとおカマ   

2016年06月09日 17時56分53秒 | エッセイ
おナベとおカマ   

 以前偶々TVで見た中国映画は、レスビアンの話だった。学者の娘が主人公で、彼女は軍人と結婚するが夫は家にいず、父親の助手として都会から来た娘と恋に落ちる。まあ嵐で体が濡れて二人で風呂に入るとか、いろいろあるわけよ。過激な描写は無いが、二人とも清楚な美人で妙にエロチックが映画だった。ところがこの映画の結末が凄い。二人の関係が発覚して死刑になるのだ。最後は処刑に使った銃弾の代金を遺族に役人(軍人?)が請求しに来るところで終わる。まさか死刑とは。色々な意味で衝撃的な映画だった。
 おナベはおカマに合わせて作られた言葉で、男装の同性愛者を言うからこの映画とは違う。日本はどうか。日本の歴史は男色の歴史だ。衆道は若衆道の略で男色のことだが、この言葉が使われたのは江戸時代に入ってからである。江戸期は陰間茶屋とかナヨナヨした女っぽい男もいたし、役者は半分男娼(男女どちらも相手)だった。
 戦国の男色は凄い。主な戦国大名で男色の気配が見当たらないのは、秀吉ただ一人だ。ちょっと組み合わせを見てみよう。
足利義満 – 世阿弥。 武田信玄 – 高坂弾正、他。 上杉謙信 – 直江兼続。 織田信長 – 前田利家、森蘭丸、他。
伊達政宗 – 片倉重綱、只野作十郎。 徳川家康 – 井伊直政。 西郷隆盛 – 僧の月照。
 特に好き者は信玄、信長、正宗といったところだ。男の嫉妬、恋文、刃傷沙汰、全く戦国武将のイメージが変わってしまう。三代将軍の家光は女に全く興味がなくて男ばかりを追いかけた。乳母の春日の局が一計を案じ、京都の公家の娘の尼さん姿を見せたところ、彼女のつるつる頭に欲情して女も悪くないとなった。
 中世の男色の相手はナヨナヨのおカマちゃんではなく、屈強な武将である。利家も兼続も180cmを越す大男だった。また当時の人達が男も女も男色に嫌悪感を全く抱いていないのが面白い。男色にうるさいカトリックの僧がある大名に苦言を呈すると、それじゃあと布教の許可が取り消された。
 明治になる前の日本は同性愛を含めた性に対して、実に寛容な社会であった。明治になると急に気取って口うるさくなってしまった。しかし家光は別にして、彼らはホモとはいえない。男と同じかそれ以上に女好きだ。別にどっちでもいいじゃない、くらいの恐るべきアバウトさだ。ああしちゃいけない、これは悪い事だと自分に枠を嵌めてイジイジと悩むような人物は、この時代には生きていけない。
 日本の同性愛に対する嫌悪感の低さは、現代にあってもTVのバラエティー番組に出てくるおカマちゃんキャラの多さを見て分かる。薄れてきたとはいえ、キリスト教のタブー意識の強い欧米ではこうはいかない。ただ隠れホモ度は欧米の方がずっと多いように思う。罪の意識におののく方が恋情は募るということか。
 おナベのタレントはほとんど出ていないが、男装の同性愛者はキャラが固定化されていて窮屈なんじゃないかな。おカマの姉さんの持つ自由闊達さが無いのね。おカマとおナベは軍国主義や共産主義とは合わない。軍隊にホモやおカマがいたら軍規は保たれないし、生めよ増やせよ地に満てよの時代には子を生さない同性愛は国家の敵だ。ナチスドイツは徹底的に取り締まって、知的障害者と共にガス室に送り込んだ。TVにおカマが溢れているのは平和で自由な証拠なのかもしれない。
 おカマちゃんの会話はどうしてあんなにテンポが良くて面白いんだろう。あたしにはこれ以上失うものはないのよ、という開き直りなのか、ここまでさらけ出して世の中のいったい何が怖いというの。おっと口調がおネエっぽくなってきた。飲みにいって内容のない会話をする女のいる店より、おカマちゃんバーの方が断然楽しい。
 日本も盛んだが、タイのおカマ文化は凄いね、はじけ飛んじゃってる。タイのハイスクールで男女の他におネエ用のトイレを作ったってニュースでやっていた。あの国ではおネエなだけでいじめられることはないのだろう。昔のことだが、バンコクの繁華街パッポンではトップレスのゴーゴーバーに並んで、オカマバーが流行っていた。そこにはステージがあって、世界の女優のモノマネとかえらくレベルの高いショーをやっていた。本物の女の子よりもずっと美人のおネエがいてため息が出た。何かもったいない。
 客も先生とか役人とかが普通に来ていて、家に来ない?と誘われた。まあ腕力では俺の方が強いし、ストレートにセックスに誘っているわけではないのだろうが、でもなんだかなー。フィリピンにもおネエはいた。ミャンマーでも聖地ポッパ山には、神が乗り移る霊媒の人達がおネエキャラだ。イランにはおネエの踊り子集団がいる。迫害を受けて命がけのようだ。インドでサリーを着た男娼を見た。インドは男同士で手をつないでいる変な二人連れが多かった。イスラム圏も多いらしいね。トルコとかいかにもいそうだ。男性器を取って性転換する手術で有名なのは、モロッコじゃなかったのかな。
 だけどどの国もおナベは夜の闇に隠れて陽の下では見かけない。率が少ないのか、まだタブーが大きいのか。ヨーロッパのホテルでは、短髪の美少女が体にぴったりした男女兼用の制服を身に付け、ふち無し帽をピタっと被っている。その中世的な美しさにドキっとなるが、あれは同性愛とは何の関係もない。すみません、趣味に走りました。
 最後にタイに戻っておカマちゃんエピソードを一つ。どこかで聞いたか読んだかした話だ。タイで日本語教師をしていた日本人のお姉さん(この人は真性女性)が、任期が終わり帰国した。しばらくして連絡が入り、昔の教え子が何人かで日本に遊びにやって来た。元先生はディズニーランドや箱根に連れて行ってもてなした。帰国を前にしてタイの教え子達に、どこか行きたい所はある?と聞いた。
 すると一行の中にいたおネエキャラの若者二人がモジモジしながらSENTO、SENTOに行きたいと言う。よく聞くと銭湯のことだ。先生は二人を連れて近所の銭湯に行き、番台のおじさんに二人のことをよく頼んでホテルに戻った。しばらくすると二人は無事に戻ってきたが、妙にはしゃいでいる。帰国となり空港で日本の印象を尋ねてみると、様々な答えが戻ってきたが、くだんの二人はお互いに顔を見合わせて「銭湯が一番良かった。銭湯って凄い。」と顔を赤らめた。