今日、昼間のラジオ放送、吉田拓郎「元気です」が流れる。カーラジオで聴きながら胸に込み上げてくるものがある。「アンパンマン」のリクエストも多いと・・そうだよね、このような事態だからこそ励ましのメッセージを届けたい。本土在住の多くのリスナーから連日、番組宛にメールが届き、皆さんはポッドキャストで聴いています。支えになるなら微力でも発信し続けたい、希望を持つこと。
地震災害、被災地への義援金受付が県内でも始まり、多くの善意が寄せられています。血液センターには普段の倍以上の献血者が足を運びました。支援を続けましょう、出来るところから。
今日も講演会に出席、那覇市内のホテルが会場。講師は建築家の隈研吾(くま・けんご)氏で演題「地球を元気にする建築」、パワーポイントで網羅された建築作品は国内に留まらず海外での実績も華々しい。講演で一貫して主張されたのは・・日本の建築は場所に敬意を表し自然との共生・調和を図るということ。東京表参道のルイ・ヴィトンジャパンビルの設計を手がけた時は木材を駆使する手法がフランスのオーナーに採用されたそうですが、木材ということで東京都の建築許可が下りない・・考えた末に木材にスプリンクラーを設置する案でクリアしたとか、高知から愛媛へと抜ける所謂・竜馬脱藩の道沿いに茶堂の設計を依頼された際には屋根全体の茅葺きを提案。これも行政の許可が下りないので茅葺きに窓を幾つも据えつけるアイデアでクリア。これにより施工主と建築家との間に揺るぎない信頼が生まれると・・・。リニューアルする東京の歌舞伎座については従来の建物の外観を踏襲しつつ、歌舞伎関係者の依頼を取り入れましたとの弁。曰く、大間(おおま・ロビーに相当)に漆調の赤い柱は建築家の発想からすればウ~ン?ですが、伝統文化の継承を考慮して何本もの赤い柱が立つそうです、落成の暁には。築地に建つ松竹ADKビルもこの方の設計なのですね。
今日は那覇市内で経済評論家・勝間和代さんの講演を聴く。講演会のタイトルは・・水平思考でビジネスモデルに変革を~ラテラルシンキングの思考法~分かりにくいがテンポの速さが小気味良し。よ~く理解できました。問題や課題に取り組む企業の具体的な実践例・ビジネスモデルの取組みを挙げて説明して頂いたので、これも理解が進む。講演が終了して質疑応答になり、沖縄の特産品をどのように発信して売り込むかについては、「軽い・日持ちする・配りやすい」がキーワードと答え、海の幸山の幸に恵まれた沖縄では生鮮食品の割合が高いが、これは「重たい・かさばる・配りにくい」となってはいませんか・・と。商品の利便性を考えましょう、との提案。また、位置的にみて沖縄の中国との近さはビジネスチャンス、エージェントとして沖縄を起点にコールセンターを中国で展開、クオリティコントロールを沖縄、オペレーションを中国というポジションも面白いのでは・・と。さらに本土との違和感について・・沖縄県の地図を正しい位置に据えましょう、沖縄の役割が地理的に見ても多大であると理解できる地図を作成すべきだと。なるほど、これも合点はいく。昨今の報道・・本土側の沖縄にたいする無知・無理解は地図上のポジションを理解しないことに起因していることも一因と思えば、たかが地図、されど地図。
風が少し気になるが、西原マリンパークに出向く・・公園の一角で読書に耽るため。白砂の浜にはビーチバレーに興じる若者、遊具が揃う公園は家族連れ。近くに馬場が出来たのか、数頭の馬に乗馬待ちの行列を見受ける。週末や休日を過ごす行楽地として人気が定着した感あり。ビーチの管理棟からはエンドレスに昭和歌謡流れる、坂本冬美、ザ・ピーナッツ、かぐや姫、アルフィー・・演歌・フォークとジャンル問わずの模様。管理棟スタッフの趣味とみる。波穏やかなビーチの向うは太平洋、道々のイペーが一斉に綻び啓蟄の一日は初春 様相。でも風は肌寒い、気を付けませう。
暖かな陽気が続いて、イッペーが満開。黄色の花弁が青空に映える、南米産の外来種ながら、この地にしっかりと根付きました。淡い紫のメイフラワーもこの時期に開花するので、黄色や紫のコントラストはウォーキングでウォッチングする楽しみに追加。
山田花子さん・・実物は小っちゃくて、可愛い。昨日、朝日放送のテレビ収録で吉本新喜劇のメンバー4人が局にお邪魔したわけですが、まあ・・のべつ幕なしで皆さんの賑やかなこと。関西弁ペラペラでもないですね、意外に。「ぜーんぶ社長の御用達」という特番の制作で沖縄入りした由。ラジオ局も訪問ということで、お昼を挟んで小1時間の滞在で収録も無事終了。メンバーはテレビ番組でも馴染みの顔ぶれでしたが、ひげ親父は山田花子さんが気に入りました。放送は朝日放送が3月20日午後、沖縄では4月2日以降、日曜日の午後の予定らしい、QABで。
初の外国人選手として1951年から日本プロ野球界での活躍目覚ましく、現役時代はメジャー仕込みのプレーで常勝巨人や中日を支え、監督としては1974年に中日20年ぶりの優勝に貢献。ウォーリー与那嶺こと与那嶺要さんが2月28日にハワイで逝去、享年85歳でした。父親が沖縄出身の日系、いや沖縄県系二世。確か中城村に親戚がいますね、ウチナーンチュからするとハワイの県系人は身近な存在。謹んで御冥福をお祈り申し上げます。ハワイの県系人で思い出したのはプロレス創世期に力道山の試合でレフェリーを努めた沖識名(おきしきな)、この方は沖縄出身のハワイ育ち。プロレスラーからレフェリーへの転身でテレビ中継全盛期のプロレスを支えました。ジャッジが日本人レスラーびいきであったり、試合中、外人レスラーにシャツを破られたりして、それなりに人気を博してね。
泡盛同好会に栄町の娘連、おばぁラッパーズが出演。ラップのリズムにノリノリ市場興し。しかまち、かんぱち、栄町!中部の方ならば・・さしずめ しかまち、かんぱち、中の町。昨日、衣替えのつもりで一足早くかりゆしウェアを着用に及んだものの昨日から寒が戻り、参った。半袖薄着には時期尚早。