きらくなたてものや

楽しむ、楽しい、いえづくり、まちづくり

武相荘の向こう岸

2006年02月09日 | 今日のできごと
鶴川街道から武相荘への道を振り返ると、エコヴィレッジ鶴川の現地がよく見える。
建物を建てるために木々を伐らざるを得なかったけど、隣の山を残したので、建物の背景が緑となり、建物が緑に包まれる印象となる。
建物の敷地もたくさん緑を配して、緑の中に焼杉張りの建物が埋没しているような、そんな感じにしたい。

それにしても、辺りに建つ住宅地はデコレーションケーキのようだ。
その先にある武相荘のように、建築素材が限定されていた時代のほうが豊かな空間と感じるのは皮肉だ。

雨のみち

2006年02月09日 | 今日のできごと
冬の武相荘記録その5

門には縦樋がない。
雨水は、銅の軒樋から、端のアンコを伝って、そのまま地面に滴り落ちる。
滴り落ちた先には、葉をあしらった水甕がある。
その水甕の配置をよく見てみると、アンコの真下に来ておらず、葉の先に落ちるようになっていて、葉を伝って甕に水がたまるしくみになっている。
写真で、地面が濡れているところを見てみれば、それがよく分かる。

確かに、3m近く上から落ちてくる水を甕で受けたら、かなり騒々しいかもしれない。
そのための配置の妙なのだろうか。

現代の家づくりだと、雨の道の計画は往々にして疎かになりがちである。
一方で生活に根付いた文化とは、こうした生活の微細な一コマ一コマに至るまで、全身全霊を込めてよく計画されているなあ、と思った。

同じ人の手でも

2006年02月09日 | 今日のできごと
冬の武相荘記録その4

武相荘をさらに進むと、散策道がある。
あたりはコナラを中心とした雑木で覆われた林だ。

そして散策道の脇には、柵らしき装置がある。
木目を見るとナラ系に見えたので、たぶん目の前で伐ったコナラをそのまま使っているのだろう。
それは柵なんだろうけど、柵にしては低く、腰をかけるのにちょうどよい形と高さになっている。

本当ならばこのように、人の手が入るほどに世界は美しく、合理的となる。

しかし、どこまでも人工的な世界が続く現代日本の空間は美しいだろうか。
現代では往々にしてガードレールや金属製の手すりなどで作られてしまうその部分は美しいだろうか。
同じ「人の手」によるものでも、この差は一体どこにあるのであろうか。


自然曲線と格子窓

2006年02月09日 | 今日のできごと
冬の武相荘記録その2

昔は立派な製材機なんてなかったから、木をチョウナだけで整えて使うことが多い。
だから木を木の形のままとして、自然の造形を楽しむことができる。
壁はだいたいが左官等の湿式工法だから、自然の造形でも追随して納まる。

その横で、人間の造形の美としての格子が配される。

自然と人工。
自由と秩序。

その調和が美しい世界を作る。

ところでこの写真の左には、一本引込戸がある。
戸が室内側で、ガラス格子戸の腰から下を横切る。
鴨居がガラス格子戸を前にして、軽やかに納まっていた。

木の世界は伝統を踏まえ、伝統を超える。

機知と美学の表徴

2006年02月09日 | 今日のできごと
エコヴィレッジ鶴川の現場に立ち寄った後、何人かの住民の方と白州次郎・正子夫妻が暮らした家「武相荘」を訪れた。
エコヴィレッジ鶴川に関わるようになって2~3年経つが、こうして「武相荘」に足を踏み入れるのは恥ずかしながら初めてのことだ。
前々から行きたいと思っていたので、ようやく念願がかなった。
評判通り、行ってみてとても豊かな気持ちになった。
豊かな空間、品、ことばと出会うことができた。
そして一緒に行った方々と豊かな時間をすごすことができた。

その中で出会った豊かな空間や品を幾つか紹介。

写真は敷地内の店舗の置看板。
背景となる赤茶けたところは、鉄の錆だ。
鉄の錆も、使いようでとても美しい。
そして錆は時空を超えた深みを感じさせてくれる。

そういえば鶴川街道から武相荘に入るときも「錆」が出迎えてくれた。
「ぶあいそう」と「さび」。
端(はな)から白州さんの機知と美学とを感じた。