きらくなたてものや

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きらくな風高層マンション考

2006年02月06日 | 家づくりの理念
先日、ネット上のニュースで「6階(だったような気がする)の階段の踊り場から、誤って転落死?」という記事を読んだ。

この記事を読んでというわけではなく、前々からのことではあるが、高層マンションを本当に作る必要はあるのだろうか、そこは本当に人間の住む場所であろうか、という疑問を私は持ち続けている。

自分は高所恐怖症ではない(と思っている)。
小学生の頃、小学校の4階の窓の外に出て幅15cmほどの持ち出しスラブを平均台にようにして遊んでいたくらいだし(今やったら大問題?)、今でも建築現場で高いところに居ても恐怖感を感じることはない。
しかし以前、30階以上あるマンションのモデルルームに見学に行ったとき、バルコニーや階段の踊り場から下を覗くと、地面からとてつもなく大きな力で引き寄せられる感覚を覚えた。
地面からの呼びかけに素直に従ってみようかな、オレだったらきっと大丈夫、なんて想像してみるが、そんなことしたら間違いなく「死」だ。
そんな感覚を覚えたりするものだから、マンションの高層階に少なくとも自分は住もうとは思わない。
それでなくても、一歩間違えたら死がすぐに待ち受けている場所だ。
元来行動がそれほど正確ではないので(笑)、余計に一歩間違えたら…、ということを考えてしまう。
そのように、身近に「死」を意識しなければならない場所があることは、自分はどうも落ち着かない。

次に、巨視的な視点で高層マンションが必要なのかどうか調べてみた。

東京都の人口 1257万人(H15)
東京都の宅地面積 555k㎡(H15)
東京都一人当たりの平均宅地面積 44㎡
東京都一人当たりの有効平均宅地面積 35㎡
(有効率80%として)

神奈川県の人口 849万人(H15)
神奈川県の宅地面積 570k㎡(H15)
東京都一人当たりの宅地面積 67㎡
東京都一人当たりの有効宅地面積 54㎡
(有効率80%として)

東京都で考えると、容積率100%でも、3人家族で平均105㎡、4人家族で平均140㎡の住宅で暮らせることになる。
一般論で言えば充分以上の面積だ。
あくまでも「平均」の議論なので乱暴な計算ではあるが、仮に全ての土地が容積率100%でもそんなに窮屈ではない。
容積率100%で居住面積の確保が可能と仮定すると、東京でも平均せいぜい3階(層)建ての建物までで充分ということになる。

一方、現在空き家となっている住戸は全国で約650万戸。
全住宅戸数の14%に相当する。
7戸に1戸が空き家。
さらに今年あたりから日本の人口は減少するようだ。

今でも都心部を中心に、デカくて背の高いマンションがたくさん作られているようだか、一体この先どないするんやろ、と思う。いつか今のこのしくみが破綻するように思えてならない。

数字から判断すれば、これから新たに住宅を建てる必要性は、人口が増加傾向に転じない限り、間違いなく減り続けるということになる。
ということは、住宅の供給量を競う時代ではなく、住宅を新たに建てる意味と意義が一つ一つ問われる時代になるといえる。いやむしろ、そうなってほしいという願望のほうが強いかもしれない。

いずれにせよそのような状況を、とくに建築でメシを食う人たちは十分に見据える必要があるであろう。

5秒後に後悔、5分後に‘気持ちいい~’

2006年02月06日 | ピスカリア
自転車で葉山のI邸に向かう。
外はこんなに寒いとは知らず、自転車にまたがって5秒後に、自転車で行く判断をした自分を恨んだ。
耳がちぎれそうだ。

しかし5分も経つと身体も温まり、冷たい風が快感に変わる。
長谷のあたりで国道134号に出る。
海沿いの道を、海風にあたりながら走るのは何とも気持ちが良い。

家を出てから走ること35分。現場に到着。
車で来るのと所要時間はほとんど変わらない。

その後葉山に滞在すること約6時間。
この間葉山のまちなかで自転車で行く用事もあったのだが、このまちは基本的に道が「人間規格」の幅なので、車よりも自転車が便利である。
多少地形の起伏はあるが、それがむしろ心地よい。

Iさんのところに食事に来るときは、なるべく自転車で来よう。
それなら酒も飲めるしね。
(ほんとうは自転車も飲酒運転はあかんらしいが)

懐かしい場所

2006年02月06日 | 今日のできごと
I邸から自転車で家に帰るとき、長谷のあたりを通った。

長谷は、じいさんばあさんの家があって、子どもの頃よく来たまちだ。
自分の生まれたまちでもある。

懐かしい反面、自分の知っている風景とはだいぶ違っていた。
じいさんばあさんの家は当時板金屋であったが、今は住む人も入れ替わって骨董屋になっていた。(写真がそうです。)
向かいにあった個人医院は、駐車場になっていた。
じいさんに良く連れて行ってもらった菓子屋は、シャッターが下りて看板が外されていた。

懐かしい場所は、当時の思い出とともに、年月の重みを感じさせてくれる。