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元祖・東京きっぷる堂 (gooブログ版)

あっしは、kippleってぇケチな野郎っす! 基本、自作小説と、Twitterまとめ投稿っす!

探偵キック 弐

2021-06-12 07:24:43 | 夢洪水(散文・詩・等)
探偵キック

 二日後にキックという興信所の社員がレク夫妻の元へやって来た。キックは応接間に通され、まず早口で「日当プラス交通費等の必要経費」などの調査費用の契約書と「秘密厳守」などの社会的責任の振り分けの承諾書について説明し、サインと印鑑を要求し、素早く手続きを済ませた。

 そしてキックの失踪人捜索が始まった。空はどんよりと曇っていた。

 まずキックは娘の部屋を徹底的に調べた。彼女の部屋には手がかりとなりそうなものは一見なにもなかった。ピンクのソファーやベッド。29インチのTV。整然とCDと文庫本の並んだ本棚。そして机の上のパソコン。

 女の子の部屋にしては実に無機質だった。ソファー、ベッド、TV、本棚、机、パソコン、それらがまるで関連性を欠いてポツンポツンと八畳くらいの部屋に雑然と何かの記号のように置いてあった。

 結局、手がかりとなりそうなモノは彼女のパソコンのハードディスク内とフロッピーディスクに納められた大量の交換メールと、電子手帳内の殆ど名前の書いてない電話番号にしぼられた。あとは聞き込みに頼るしかない、とキックは思った。

 それから一週間かけてキックは興信所の上司を通して、情報屋から電子メールの差出人のアドレスと電子手帳に記載されていた電話番号をもとにプライベート情報を裏からハッキングしてもらい、現実に交流のあった人物を15人にしぼった。しかし、そのうちの一人は、すでに死亡していた。自殺だった。

 殆どの電子メール交換は実際に会うことのない仮想の恋愛ごっこだったし、殆どの電話番号はインターネットに接続するためのプロバイダのアクセスポイントとデタラメに書いた存在しない番号だった。

 何故、彼女がそういう事をしていたのかはキックはあまり考えたくなかった。薄々思うところはあったのだが、まだ早いと思った。ただ最近の失踪者によく見られる非現実領域の拡張をやっていたのは確かだと思った。

 キックは、その死んだ一人を除く14人に直接会いに行き、レク夫妻の娘の最近の様子や行動について、さりげなく聞いて回った。

 集めた情報を整理し分析し、もう一度彼は、その14人に会いに行き、彼女の人物像について、再び、さりげなく聞いて回った。

 興信所の方でもキックのバックアップをしていた。情報屋から得たプライベート情報をもとに、その15人のごく親しい友人と見られる人々に彼らの性格や女性関係の事を、さりげなく近づいて調べ、分厚い資料にしてまとめ上げ、キックに手渡した。

 キックは、その会社からの資料と自分の聞き込んだ情報から、彼女と失踪以前に性的交渉を含んだ恋愛関係にまで発展したのは、どうやらカルチュアと死んだ一人を含めた5人であると断定した。

 聞き込みから彼女には“売春・愛人・風俗譲・アダルトビデオ出演・薬物中毒”などの不道徳な噂が数多く出てきたが、実際念密に調べてみると、そのような事実を証拠立てるようなものはいっさい見つからなかった。

 売春や愛人の相手らしき人物は存在していなかったし、あらゆる表裏の性風俗データベースにも、AV制作関連のデータベースにも、いっさい彼女の存在に該当するようなデータは無く、非合法ドラッグの販売ネットワークからも、彼女へまたは彼女からの関与に関する情報はまったく浮かんでこなかった。


 キックは、ここいらで少し、判明した事実を整理してみた。

 
1.失踪時にレス夫妻の娘と恋人関係にあったのは、カルチュアと自殺した1人を含めた5人である。
 
 
2.他に交流のあった10人とは、顔見知り程度で実際は殆ど話もした事のない関係だった。
 
 
3.どういう訳か死んだ1人を除く恋人4人も、他の10人も彼女のことを売春やドラッグ等の常習者だと思い込んでいて、口汚く罵る。
 
 
4.売春やドラッグ等の事実は全く確認できなかった。
 


 キックは彼女は何だか、とても自分自身を偽悪化させてみせる傾向があり、本当はとても孤独な人物ではなかったのかと思った。そして、次にカルチュアと死んだ恋人を含めた5人の恋人を集中的に調べてゆくことにした。
 

 一人は東京大学3年生の「カルチュア」

一人は九州の精神病院に入院している「キーホー」

一人は北大の1年生「キップル」

一人は四国に住んでいる某企業専属のフットボール選手「ミック」

一人は彼女が失踪した当日に自殺した沖縄の無職の「青年Z」


 キックは上記の順番通りに再び一人一人に直接会いに行き、彼女との出会いから失踪するまでの関わり合いの中に失踪の理由となるような出来事があったのではないかと、裏ポケットに隠しマイクをしのばせて録音しながら今度はかなりプライバシーに突っ込んだ聞き込みをしていった。自殺した無職の青年Zに関しては彼の住んでいたアパートの近隣住人と友人・知人関係から身辺調査をするしかなかった。

 今回の調査はかなり立ち入った質問が含まれていたり、強迫神経症のキーホーの病状が思わしくなく面会の許可を取るのに手間取ったりして、かなり難航したが、約3週間かけて日本中を飛び回り、約30時間分のかなり重要な手掛かりとなるような証言をテープに録音する事ができた。

 

kipple


探偵キック 壱

2021-06-11 07:39:03 | 夢洪水(散文・詩・等)
探偵キック


武蔵野市の閑静な住宅街に住むレクさん夫妻の一人娘が失踪した。

 レクさんは、かなりの資産家だったので最初は誘拐かと思った。

 しかし娘の机の中から、“さよなら”と書かれたワープロ用紙が発見された。

 ワープロ用紙は数十枚あり、全て真っ赤な特太明朝体で埋め尽くされていた。

 みっちりと真っ赤な“さよなら”がギッシリと浮き出るように並んでいた。

 レクさん夫妻は、それを見て、すぐ警察に捜索願を提出した。

 しかし、警察の失踪人捜索にはあまり期待できそうになかった。


 失踪事件は頻発しており、ありふれたこの程度の失踪に対しては一応書類上の手続きと、失踪人データベースに登録して全国の警察NETから検索できるようにし、顔写真を他の失踪者たちと並べて小さくポスターに印刷して全国の主要駅構内に貼っておき、情報を待つ、くらいの事ですませていた。

 五万といる全国の失踪人に対して熱心に調査するための人手も予算もあるわけが無く、よほどの重要人物や特別例を除いてはたいてい、ポスターを数ヶ月貼っておいて何の連絡も無ければ後はコンピュータ内のデータとして残され、法律通りに処理されてゆくだけだった。一定期間経過後、失踪状態のままであれば、死亡とみなされる。


 レクさん夫婦は警察があまり熱心に動かない事情を知り、何とか他の捜索方法はないかと考え、自ら動き始めた。

 娘の机の中に例のワープロ用紙と一緒に入っていた、電子手帳の中から失踪時につきあっていたと思われる恋人の電話番号を見つけた。机の上にはパソコンが一台置かれていたが、レク夫妻には使い方が分からなかった。

 恋人の名前はカルチュアと言って、名前の他は何も分からなかった。レク夫妻は彼に電話をして娘が失踪した旨を伝え、とりあえず家まで来て最近の娘の様子や思い当たる事などを聞かせてくれないかと彼に頼んだ。

 カルチュアは、“すぐに、そっちに行きます。そして知ってる事をすべて話しましょう”と答えたが、何故だかその口調は、とても荒々しかった。

 翌日の正午近くにレクさん夫婦の元に、その青年、カルチュアは現れた。彼は大学生で剛健そうな身体と鋭い目つきをした頭の良さそうな青年だったが、何故だか不機嫌そうに口をひん曲げて薄笑いを浮かべていた。

 カルチュアは、応接間に通されると出されたお茶にも和菓子にもいっさい手をつけずにぶっきらぼうに怒気を含めた口調で話を始めた。

「彼女はね、僕の他にも少なくとも3人の男とディープな交際をしてましたよ。風俗でもバイトしてましたし、援助交際だって結構気楽にやってたでしょうね。ドラッグだってばりばりですよ。」

 レク夫妻は、一瞬にして青ざめた。2人とも娘の事を今どき古風すぎる程、真面目だと逆の心配をしていたくらいだったのだ。

「本当なのですか?いったいどういう根拠で、あなたは娘をそんな風に言うのですか?娘の事は親の私たちが一番良く知ってます。」

 と言うレク夫妻の質問に、カルチュアは無表情に即答した。

「電子手帳に僕の名前が載っていたんでしょう?それで僕が彼女の公然の1人の恋人だけだと思い込んだわけだ。他の名前の記入されていない電話番号は調べてみましたか?Eメールは調べてみましたか?冗談じゃない、僕は彼女の大勢の単なる性的な遊び相手の一人にすぎませんよ。失踪の理由は他のヤバいドラッグ系の男連中との何らかのトラブルでしょう。いや、売春での金銭的なトラブルかも知れませんね。」

 レク夫妻は、震えていた。そして震える顔にカルチュアに対する憎悪を伴った不愉快さを露わにしていた。

 カルチュアは娘の実体を決して信じようとせず、現実を他者への怒りにすり替えているレク夫妻の惨めさに内心せせら笑い、さらに調子に乗って罵った。

「あんたらの娘は淫乱な豚女で自己の快楽のみにしか他者との関係性を持てない救いようのないバカだ。自己利益しか考えない、ただのけだものだよ。だから自殺の心配なんて皆無だろうねぇ。そんな内省的な精神なんか持ち合わせちゃいないよ。どうせSEXかドラックがらみでヤバくなってトンズラしてるに違いないさ。いいですか?あの豚女は自殺なんかするほど人間的じゃないですから、その心配だけはいりませんよ。」

 レク夫妻は、とうとう怒った。夫婦でブルブル身体を震わせ、こぶしを握り、声を揃えて怒鳴った。

「じゃあ、お前は何故娘と付き合っていたんだ!根も葉もない嘘ばかりつくな!もう、いい!さあ、今すぐに出て行け!」

 カルチュアは待ってましたとばかりスクッと立ち上がり、スタスタと玄関に向かいながら、

「何故って決まってるじゃんかよ!性欲の処理だよ!他に何があるってんだ!ば~か!娘が娘なら親も豚だ!けっ!」

 っと捨て台詞を残して、ペッと壁に掛かっている高価そうな絵画に唾を吐きつけた。そして乱暴に扉を蹴り開け、そのまま出ていった。

 残されたレク夫妻は、しばらく呆然としていた。あんなに清楚で真面目な娘が、まさかそんな事をしている訳がないと、何度も何度も自分自身に心の中で言い聞かせていた。

 それからしばらくレク夫妻は2人だけでボソボソと話し合い、自ら現実に向かい合うのはストレスが溜まりそうだし、ひょっとすると、とても精神衛生上良くない事かもしれないという結論に達し、親戚関係を通じて興信所に娘の調査を依頼しようという事にした。もし娘が社会の手本になるような我が良き家庭の名に傷が付くような事をしていたとしたら、それはいっさい報告しないで欲しい、ただ、居場所を見つけて連れ戻してきて欲しい、という条件を出した。

 ここまでで、すでにレク夫妻は、もう娘に失踪したまま見つからないでいて欲しいと願い始めていた。ただ、失踪したなら世間に向けて捜索にこれくらいの努力をしましたよ、という何らかの証拠、痕跡を残したかったのだ。

 そして娘の失踪という現実を忘れ、のほほんと朗らかに暮らして、もう一度子供を作って、どこからみても模範的な家庭を築き上げていけばいいさ、と考えていた。

 

kipple


ただの、シナリオ的な、「ペルソナ乱舞」

2021-06-10 07:15:21 | 夢洪水(散文・詩・等)


ただの、シナリオ的な、
「ペルソナ乱舞」

 


 若い男がいる。名をロミと言う。彼は音楽家だ。彼はサックスを吹く。

 近頃、騒がしい音の渦の中で、女の声が聞こえる事がある。コンクリで固められた冷たい地下室で、蒼空の空気の下の空気の感触を求めて叫んでいる様な細い淋しげな声だ。

 彼は、女の顔を想像する。それはモノクロで仮面の様な顔だ。仮面というと無機質な印象だが、その女の仮面は人間の俗臭を取っ払った、例えば怪奇物の主人公、ドラキュラやマッドサイエンティストやサイコ野郎の、少々狂った潔癖さ、峻厳さにも似たようなものだ。

 又、それは実際、ロミ自身の俗臭を何か外部的な力によって削ぎ落として貰い、完全に透きとおりたいという、助力希求とも言えるかも知れない。

 女は彼自身の希求の声であって、又、無意識が作り出した理想の助力者の姿なのだ。

 
 夏の暑い日、ロミは暗いスタジオで演奏している。他にメンバーが5~6人。音は混沌としている。若者達の内包され、出口を知らない理想と、そのためのエネルギーの使い方が楽器を演奏するという行為によって、異なった方向に狂気のように噴出しているのだ。

 彼らは、それによって、大きな錯覚に落ち入っている。しかし、それが、単なる代理的行為だとは誰も考えない。彼らは陶酔する事によって内面の混沌を発露させ、一時の満悦を得ようと言うのか?

 サックスを吹くロミの回りから、突然、音の渦が耐え、例の女の声が聞こえてくる。

 ロミは、スタジオの外へ出る。暑い午後。彼は水を飲む。あたりには夏の攻撃的な光が満ちている。

 ほこり立つ地面から、湧き出したように、黒い不気味な生物が現れる。その生物は傲慢そうに男の前に立ち、命令するように言う。

「そんなオナニー楽器、壊しちまえよ。自分の骨を、しゃぶってるようなもんだぜ。」

 その生物は、くちゃくちゃ風船ガムを噛んでいる。

「なんだよ、君は。」

「へへ、俺はお前だよ。」

「・・・・・・・・・・」

「俺は、お前の事よく知ってるさ。お前は仮面になりたいんだ。だけど、お前である俺は仮面なんか、ぶっ壊すのさ。」

「何を言ってるんですか。」

「ひとつ教えてやろうと思ってな。お前の女は、お前に仮面なんかくれやしないよ。くれるのは、仮面の下だ。」

「俺の女ってのは、何の事だ?」

「お前は、今日、その女に会うんだよ。」

 その生物は風船ガムを膨らます。

 
 ロミは自分のアパートに帰る。アパートの戸を開くと部屋の中で、自分が笑って振り向いた。

 ロミは、ドアを閉め、再び、外へ出る。

 
 ロミは喫茶店で、ガラス窓ごしに外景を見つめている。白く光る歩道。街路樹が立っている。そこに女がいた。

 彼女は、歩いていた。彼女は、しゃがんだ。そして空を仰ぎ、ロミの方を見た。ロミの回りから再び音声がとぎえ、女の声が聞こえてくる。グラスを通して、彼女が見えた。

 
 鋭い斜陽が電車の中に差し込んでくる。ドアを挟んで、ロミと女が手摺りにもたれて、窓外を見ている。

ロミ「ねぇ、俺と、どこか遠くに行かないか。」

女「私と?」

ロミ「僕は君を知っている。君は僕の中で、よく声を出す。」

女「どこへ行くの?」

ロミ「遠くだ。」

 
 プラットフォームにしゃがむロミと女。夕陽が反射するビルが眩しい。女はマッチに火をつける。ロミは煙草を吸う。女は、火を見る。火は街と重なる。

女「内蔵が燃えるわ。」

ロミ「どういう事?」

女「別に意味はないのよ。ただ、そんな街なのよ。」

 
女「私、近頃、変な夢を見るの。」

ロミ「どんな夢?」

女「私は雑草の高くのびた土道を、歩いているの。空が、じわじわ降りてきて、私は急ごうとして、身体を動かすの。すると後ろから声がするの。」

ロミ「どんな声?」

女「話し声よ。ボソボソと、そして、いきりたったような。そして私が振り向くと、あなたが2人、にっこり笑って立ってるのよ。」

 
 ロミと女はラブホテルに入る。広い部屋の中で、ロミは女を吸いとるように抱く。時間が過ぎ、眠っている女の手を男は握ろうとする。すると女は手を返し、金を要求する。

 ロミは、しばし呆然とするが、黙って金を払い、ホテルを出る。女を残して。

 
 ロミと、さっきの生物が向かい合っている。

ロミ「俺は、お前の正体がわかる。」

 生物は、黒い布を取り、もう一人のロミ自身となって現れる。

もう一人のロミ「そうさ、お前も自分の正体が分かっただろ。女を抱いて代償に金を払うのさ。それで、いいのさ。」

ロミ「それは、お前の姿だ!俺は違う。」

もう一人のロミ「ふん、分からない奴だな。お前が、いくら仮面であろうとしても、その下には、ちゃんと肉欲と打算が渦巻いているのさ。」

ロミ「それは、お前のせいだ。」

 もう一人のロミは、ロミに風船ガムを、ぶつける。ガムはロミの顔で弾ける。2人は、しばしの間、殴り合う。

 殴り合ううちに、画面は白くなり、白に様々な色が飛び散り、薄く白くフェードアウトして、後、顔全体に白いパックをし、ところどころ極彩の色が飛び散ったロミの顔が現れる。

 仮面と化したロミの顔だ。闘争は仮面の勝利に終わったのだ。

 
 ロミがサックスを一人で吹いていると、女が来る。隣に座し、誘惑する。ロミは動じず、吹き続ける。女はロミのパックを、ぴりぴりと剥がしてゆく。

女「私、ずっと前に、これと全く同じ行為をしたような気がするわ。同じ人が、いつの世にもいるのよ。」

 女はロミのパックを、半分以上、引き剥がす。

女「私が金を要求したのは、あなたのせいよ。あなたの。」

ロミ「死のうか。」

女「死にましょう。」

 
 ロミと女が首をくくる。ロミと女が、ぶら下がった間から、遠くの道が見える。そこを、ロミと女が、すれ違っている。

女「ほら、同じ人は、いつの世にもいるのよ。私もあなたも。」

ロミ「そうだね。」




 




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シナリオ的な、あまりに、シナリオ的な、「ペルソナ乱舞」

2021-06-09 08:02:50 | 夢洪水(散文・詩・等)


シナリオ的な、あまりに、シナリオ的な、
「ペルソナ乱舞」

 





 目だ。目。目が、ゆっくりと、閉ざされてゆく。暗くなる。暗く。

 そして広いホールに突然、スポットライトに照らされたロミ1の姿が浮かび上がる。

 演劇調にロミ1は叫ぶ。

「俺は夢を見た。夢の中では俺は理想の俺となって現れるのだ。それは俺の中の俗念を完全に排除し、真の純潔と美の意図のもとに作られた姿だ。俺は夢の中で女になった。演奏中によく現れるあの女だ。」

 ロミ1の顔が次第に、女の顔に変わってゆく。

 首を一回転させると、もうすっかり美しいピンク色の女だ。
 


 ピンク色の女は暗い地下道を抜け、ビルの林立するアスファルトを歩き、背の高い草の道を歩き、そして視界の素晴らしく開けた海に出る。

 ピンク色の女は海を凝視しているが、何かの気配に俊敏に反応し、その方角を見る。すると、そこに忽然とロミ1とロミ2が現れる。

 ロミ2は透明な仮面を付けたロミ1の姿だ。ロミ2は、するするとピンク色の女に欲望をむき出しにした表情で近づき、彼女を砂浜に押し倒す。

 ロミ2がピンク色の女を犯している最中にロミ1はサックスを吹く。空高く、神に近づこうとするかのように。
 


 薄暗いが、かなり広いスタジオ。舞台の上では、ロミ1(テナーサックス)を含めたグループが演奏している。メンバーは全員、化粧をし奇妙な衣装をまとっている。

 曲が進むにつれ興奮したメンバーが狂ったように暴れ回る。ロミ1は音に酔いしれ身体を震わせ、オルガスムスに入っていく。

 射精した瞬間、音の渦が、かっ消え、ロミ1の頭の中に夢の女が現れ、何かを叫ぶ。ロミ1は、一瞬、サックスを口から離すが、すぐに狂気の如く吹き始める。

 音楽は次第に、とてつもない不協和音と化し、爆発するように終わる。



 外は雲一つ無い上天気だ。ロミ1は陽だまりの中で、汗だくのまま、しゃがみ、コーラを飲む。遙か彼方から誰かが歩いてくるのが見える。

 それは仮面を付けたロミ1、すなわちロミ2だ。ロミ1はロミ2と向かい合う。ロミ2はロミ1の前に立ち、傲慢に笑う。

ロミ2「そんなオナニー楽器、壊しちまえ!自分の骨をしゃぶってるようなもんだぜ。」 彼は風船ガムを噛んでいる。

ロミ1「余計な、お世話だ。」

ロミ2「ふん。俺は、お前だよ。お前は、そうやって仮面をつけてるんだ。」

ロミ1「           。」

ロミ2「だけど、お前は、いくら高潔ぶった仮面を付けていても、素顔は貪欲な俗物なのだよ。仮面なんてぶち壊せ!」

ロミ1「必ず、仮面が素顔になる時は来る。」

ロミ2「ひとつ教えてやろう。お前の女は、お前の気取った仮面を、ひっぺがしてくれるだろうよ。」

ロミ1「俺の女とは何の事だ?」

ロミ2「お前は今日、その女に会うんだよ。ほら、夢の中のピンク色の女だ。」

 ロミ2は、風船ガムを膨らます。

 
 

 ロミ1は街を歩いている。人々は化粧をし、機械的に整然と歩いている。ロミ1は小さな小屋の様な映写館に、ふと入る。

 

 
 暗い室内で、5~6人の奇妙な人々が、じっとスクリーンを凝視している。ロミ1も彼らに混じって見る。

 やがて、スクリーンの中にはロミ1の夢の中のピンク色の女が現れる。スクリーンの中では、静かな人のいない公園を、その女が歩き、立ち上がり、座り、空を仰ぎ、まるで、白痴のように彷徨っている。

 ロミ1は、どんどん身を乗り出してゆき、ついに、スクリーンの中に入り込む。

 
 

 ロミ1はピンク色の女を、公園内を、追いかける。

ロミ1「 待てよ 」      ピンク色の女、待たない。

ロミ1「 待てよ 」      ピンク色の女、振り向く。

ピンク色の女「何?」

ロミ1「俺は夢の中で君になった。」

 ピンク色の女は、黙したまま顔をそむけ、再び歩き出す。

ロミ1「そ、それで、君は海で、2人の俺を見たんだ。」

 ピンク色の女は、困った顔で言う。

ピンク色の女「そうよ。」

ロミ1「見たのか?」      目を丸くする。

ピンク色の女「見たわ。」

ロミ1「本当か?」

ピンク色の女「わかったわ、いらっしゃい。」

 ピンク色の女はロミ1の手を引く。

 

 
 灰色の淋しい路地を通って、ロミ1とピンク色の女は、ラブホテルに入っていく。

 広い部屋の広いベッドで、異星人同志のように緊張して2人は抱き合う。

 ロミ1の頭の中で、唯一の理想像と同化した、このピンク色の女の、あらざるべき肉欲を憎み、それを拒まずに通過させた自分の凡俗さをも憎み、2つが混在し痛烈な激怒となり、ピンク色の女が事が済み、ロミ1に報酬を要求した時、突如、ロミ1はピンク色の女を乱打し、半殺しにして立ち去る。
 



 ロミ1は街を歩く。人々は奇怪な化粧をし、いっせいに振り向いて、ロミ1を見下して笑う。ロミ1は顔をふせ、足を早める。肌が鳥肌立つ。そして逃げるように走り出す。

 
10
 

 ロミ1は、自分のアパートに帰る。ドアの隙間から、自分の部屋を見ると、中で自分(ロミ2)が振り返って笑っている。

ロミ1「外へ出ろ。」

ロミ2「よし。」

 ロミ1は息をきらしている。ロミ2は立ち上がる。

 
11

 
 ぶどう畑。2人は向かい合っている。ロミ2がガムをロミ1に吐きつける。そして、殴り合いが始まる。

 風景に、白に赤や緑、様々な絵の具が付着し、それが、薄ぼけ、パックしているロミ0の顔が出現する。

 
12 
 

 パックしているロミ0は静かな公園でサックスを吹いている。そこへ、あのピンク色の女が、何処からともなく現れる。

ピンク色の女「パック仮面の下は、どんな顔?」

 女はロミ0のパックを額から徐々に、剥がしてゆく。血だらけの醜い皮膚が見える。

 女は大きな悲鳴を上げる。

 ロミ0は走り出す。鏡に映じた自分の顔を見て大きく呻き、走り、車にひかれ、割れた頭蓋からピンク色の脳味噌を散乱させる。

 
13 
 

 目。目が開く。ピンク色の女がベッドの上で勢いよく上体を起こし、目覚める。ベッドの近くには大きな窓がある。

 ピンク色の女は、変な夢を忘れようとするように、外の景色を見る。

 窓からは向こうの公園が見え、そこではロミ1がサックスを吹いている。





 




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あこがれのピンク色の女

2021-06-08 07:11:55 | 夢洪水(散文・詩・等)

あこがれのピンク色の女



 珍品屋で真っ赤な大きいゴミ箱を買った。

 珍品屋の店員はピンク色のスカートをはいていた。

 珍品屋の店員はピンク色のストッキングをはいていた。

 珍品屋の店員はピンク色のスニーカーをはいていた。

 珍品屋の店員はピンク色のノースリーブを着ていた。

 珍品屋の店員はピンク色に髪を染めていた。

 珍品屋の店員はピンク色のピアスをしていた。

 珍品屋の店員はピンク色の口紅を塗っていた。

 珍品屋の店員はピンク色のコンタクトをつけていた。

 珍品屋の店員はピンク色のマニキュアをしていた。

 珍品屋の店員はピンク色のニーソックスをはいていた。

 珍品屋の店員は透き通るような肌をした美しい女性だった。


 ロミ君は、圧倒された。

 平然と彼女から珍品を買ってる他の客がバカに見えた。

 彼女に圧倒されない奴は、皆バカだと思った。

 それから、たびたびロミ君はその店に通った。

 いつの間にかロミ君の頭の中で彼女は絶対ピンクになった。

 彼女のイメージは一つの超宇宙的絶対美のピンク色となった。


 ある日店で、2人のスキンヘッドが彼女の事を口汚く罵っていた。

 それを見たロミ君は激怒して2人に喧嘩を売った。

“表へ出ろぉい!このつるっぱげ野郎!”

 ところが裏の空き地でロミ君は2人にこてんぱんにやっつけられてしまった。

 ロミ君は土の中に首を残して埋められ、血へどを吐いた。


 その日から、その2人組のスキンヘッドは何の恨みか、

 ねちねちと、しつこく、ロミ君をつけまわし、いじめ始めた。


 一度、珍品屋のあこがれのピンク色の女の前で彼らにイタズラされた。

 スキンヘッド達はロミ君の尻をネチネチと撫でたり揉んだりした。

 ロミ君は死にたくなった。

 ロミ君はピンク色の女神の事を一心に想いながら首を吊った。

 しかし、こともあろうか例のスキンヘッド2人組に助けられた。

 スキンヘッド2人組は恩をきせ、ますますロミ君をいじめ続けた。

“助けてやったじゃねぇかよぉ。俺たちゃ、命の恩人だぜぇい!”


 ロミ君は、もう恥ずかしくてピンク神の店には行けなくなった。

 ある日、スキンヘッドがロミ君の家に来て珍品屋で買った、

 例の赤いゴミ箱を踏みつぶした。彼女の分身を壊した。

 ロミ君は殺意を覚えたが、彼らが恐ろしく何も言わずに涙を浮かべた。


 ある雨の日、またスキンヘッド2人組がロミ君の家に来て衝撃的な告白をした。

“おい、僕ちゃん、あの店の女の子を、2人でこましちまったぜ!”

“俺達とあの娘と3人で一晩中やりまくったぜ!”

“俺が彼女のマ◯コをいじくり回し、相棒のチンポを彼女がくわえてなぁ”

“一晩中、ズッコンバッコンよぅ!ぬるぬるの、べちょべちょよぅ!”

“いぃ~い、うめき声だったぜぇ。ああ思い出しただけでピュッだ!”

“いぃ~い、テクニックだったぜぇ。ああ、思い出しただけでピュッだ!”

“綺麗なナイスバディが、くねくねつるつる、よく動くんだぁぁあああ!”

 さらに2人は、もっといや~らしく下劣極まりなく彼女の肉体の評価をした。

 あそこはA、あそこはB’あそこはチト黒いとか・・・

 ロミ君は恐怖から平然を装ったが、彼らが帰った後、泣きわめいた。

“ぢぐじょう!ぢぐじょう!ぢぐじょぉぉぉおう!”

 そしてロミ君は大降りの雨の中を飛び出し、珍品屋に向かった。


 息を切らせて珍品屋に着くとピンク色の彼女がいた。

 彼女は相変わらず圧倒的に美しく輝いていた。

 ロミ君は目に涙を溜めながら、

H「これ」

 と言って、再び赤いゴミ箱を買った。

 彼女はロミ君に天使のような笑顔で優しく微笑んだ。

“有り難うございましたぁ-”

 ロミ君は金を払い口を一文字に結び赤いゴミ箱を小脇に抱えて、

 ダッと店を脱兎の如く猛烈な勢いで飛び出し、そのまま走り続けた。


 そしてロミ君は踏み切りまで辿り着くと立ち止まり暫くじっとしていた。

 そしてロミ君は線路に耳をつけて電車がやってくるのを待った。

 そしてロミ君は線路の上に赤いゴミ箱を抱えて寝っころがった。


 その赤いゴミ箱はロミ君にとって全ての神聖な唯一のピンク色の女だった。

 



そう簡単にゃぁ死なせないぜぇぇええ、とスキンヘッド2人組は笑った。

ウオォォーーーン、ルルル。



kipple

シャル・ウイ・ダンス?

2021-06-07 07:49:12 | 夢洪水(散文・詩・等)

シャル・ウイ・ダンス?


 
シャル・ウイ・ダンス?

ダンスと言えば

暗黒舞踏!

 
(出してくれ!人生から!二人でルンバ!)

暗黒舞踏とは人間から全ての虚飾をはぎ取った真の姿!真の苦悩・悲しみ・喜びをダンスする!日本最高の芸術!





(苦悩の中で諦め、唇と狂気のダンス!)

 




 


(陽気にトリオでダンス!)








(悲しみの中でこそ笑え!目玉とダンス!)




俺たちゃスキンヘッダーズ!人間から全ての虚飾をはぎ取り!真の苦悩・悲しみ・喜びを嫌と言う程、教えてやる!それが俺達の役目だあ!逃げても無駄だ!待ってろよ!ロミ君!一緒に踊ろうぜぇぇえええ!





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ニトロソアミンと音 ③

2021-06-06 07:44:15 | 夢洪水(散文・詩・等)

ニトロソアミンと音
 


 隣のテーブルの男がイソイソと黒い鞄にノートや書類やらを詰め込み、席を立った。そしてドアのチャイムを響かせ雨の中へ去って行ってしまった。
 店内には冷気が流れ込み、もうもうと立ちこめた煙が多少、薄らいだ。

 僕は“涼しいな”と思った。
 店のあちこちで堰を切ったように会話が沸き起こった。彼女と僕もそうした。
「ねえ、これからどうするつもり?」
 彼女はストローの紙を、くるくる巻いていた。
「当分、ぶらぶらするさ。別にやりたい事も無い」
 ウエイトレスが床を歩く音。
「暮らしてゆけるの?」
「ああ」
 彼女は昔のように左の眉を下げて話した。僕は彼女が昔、残していった本を手提げ袋から取り出し、渡した。
「これ俺の部屋に忘れていったろ。扇風機はイカれていたよ」

「あら、ありがとう。でも、…あなた、ヴィアン好きだったでしょう。確か、この本、私からのプレゼントじゃなかったかしら」
 そうだったのかもしれない。
 僕は又、煙草を吸った。レジの鳴る音。

 思い出した。この本は彼女の言うとおり僕へのプレゼントだった。あの三枚の便箋に書いてあった。
 僕は言った。
「いや、違う。これは君の本だ。プレゼントじゃない」
 彼女の顔が曇り左眉が、ますます下がった。
「そう?そうかしら。じゃ、いいわ」
 彼女は知っていた。その時、彼女は僕の言葉をどう思ったか、わからない。どうでもよい。もう。

「君は、これからどうするんだ。田舎へ帰ってから」
 今度は僕が左手でストローの紙を丸め始めていた。何故だかは知らない。
「たぶん、結婚するわ」
 僕の左手はストローの紙を引きちぎり、右手は煙草を揉み消した。
「そう。もう潮時だもんな」
 彼女は一瞬、険しい目をした。
 そして言った。
「でも、わからないわ。明日は明日の風が吹くわ」

 風なんか吹きゃしない。風は過去に吹くんだ。そして全てを風化させる。酒と薬に浸って惨めな暮らしの中で死んでいったヴィヴィアン・リーは、よくその事を知っていただろう。

 去年の三月、まだ小さな会社に勤めていた頃、僕は出向先の上司と冗談半分に禁煙の約束をした。そして不思議と、それは長く続いた。
 仕事は特にどうという事は無い。コンピュータの端末の前に一日中座ってプログラムを作るだけだった。すでに、あるプログラムをCOPYし、それに少し手直しを加えテストし、注文通りに動けば、それで終わりだ。僕は毎日、キーボードを叩き続け、それにつれて時は速度を増し次々に様々なものが失われ、過去に突き放された。
 再び僕の回りで人が死に始め、街や流行や全てが風化し始めた。

 ある夜、したたか酔っぱらった僕は、ある女性にこんな事を話した。
「オズの魔法使いの話は知っているよね。孤児の小さな女の子、ドロシーが。ある日竜巻に巻き込まれてオズの国へ行く。なんだかんだあるけど、そこでは結局、全てドロシーの都合のいい様に事が運ぶ。そんでドロシーは望み通りに再び故郷のカンサスの家に帰る。魔女の銀の靴の踵を三回、打ち鳴らすだけでね。ねえ、オズの国は本当にあったんだろうか?」

「映画では、それはドロシーの熱にうなされた際に見た夢だったはずよ」

「そう、夢だったんだ。しかし夢の中に、ちゃんとあったんだ。夢の中では本当に存在していたんだ。ねぇ、もしもだよ。今いるこの世界が誰かの夢だったらどうなる。ドロシーが入眠幻覚としてオズの国を創り上げたように、この世界の誰かが全てを創り上げているとしたら」

「じゃあ、その人が目覚めたら消えちゃう」

「そんなら、ドロシーが、いなくなったオズの国はどうなった?へへ、オズ・シリーズは、全部で四十巻あるんだよ」

「あらあら、それなら残された世界は、それなりに創世者なしに、何とかやってゆくんじゃないの?」

「うん、じゃあ、この世界、僕らの世界を創り出した夢想者は誰だと思う?ねえ、近頃、世界が何だか黴臭くなったと感じないかい?ちょうど四年くらい、前からさ」

「さあ?じゃあ、その人は四年くらい前にこの世界から消えた人ね」

「うん。この世界は、その人が生まれたときから始まった。その前の歴史も何もかも、その人の幻想の産物って事だ。その人は別の次元からやってきたんだ。無の中に実体化して、この宇宙を創り出した。そして肉体の消滅とともに再び別の次元に帰った。この世界は虚構の宇宙なんだよ。そして、その人は四十年生きて死んだ。で…・主人公のいなくなったこの世界は勝手にしやがれってんでポンと放り出された。それから世界は、次第に軽くなり古臭くなり焦点をぼかし消えてゆこうとしている。ぼろぼろと崩れていく。彼は、おそらくドロシーが再びオズに戻ったような事は、しないだろう。この世界は、もう創世者にしても収拾がつかなくなったからさ。死んで、それきりさ。僕らの世界は、もうじき終わりさ。そろそろ潮時だよ」

「その人って、いったい誰よ」

「ジョン・レノンさ」

 僕は高笑いしてタンブラーやグラスを、ひっくり返した。まともじゃない。
 その女性は立ち上がり目を剥いた。大勢の客がギョッとして僕を見た。

 そのプロジェクトは三ヶ月間でカットオーバーだった。要するに三ヶ月過ぎると僕は又どこか別の場所で同じような仕事をする事になった。
 その三ヶ月の間、僕の右耳はじょじょに聞こえなくなった。再び僕は、いくつかの病院で診察を受けた。結果は相変わらず。異常なし。僕は眠れなくなった。右耳から絶えずジェット機の爆音が聞こえてきたからだ。しかし、この問題は、すぐに解決した。僕はヘッドホンで「セックス・ピストルズ」を聴きながら寝た。快い騒音は不快な耳鳴りを見事に追い払ったのだ。
 僕は眠れるようになった。しかし、どういう訳か今度は左胸が痛み出した。内側でネズミが粘膜をかじっている様に感じた。それも何十匹のネズミが。
 医者に診せると、またもや結果は同じ、異常なし。原因不明。僕は身体全体がズンズン重くなってゆく様に感じた。

 そんな時に僕は、思わぬ事に気づいた。知らぬ間に僕は、ある女に恋していた。僕は本当に恋した事は無かった。いつも、苦しまぬため誰をも遠ざけていた。しかし今度は回避できなかった。おそらく本物の恋だったのだろう。「セックス・ピストルズ」も役にたたず僕は再び眠れなくなり、そしてキリキリと胸が痛んだ。

 僕は何回か「好きだ」と言い、いつも彼女は無感動に拒否した。
 彼女は、よくこう言った。
「だって、しょうがないもん」
 地球上から、この(しょうがないもん)を全てとっぱらったら一体どうなるのだろう。やはりジョン・レノンの夢として静かに何もかもが消えてゆくのかも知れない。

 僕の左肺のネズミは、たぶんその女のネズミだったんだろう。鬼と女は魔界の者にて、人を喰らう。これは本当だった。
 女が僕の前から永久に去った時の言葉を憶えている。
 それは、こうだ。

「じゃね」

 女が、いなくなって僕の左胸は、その痛み方を変えた。ガサガサゴソゴソ鳴るのだ。おそらくボリス・ヴィアンの小説のように肺に睡蓮の花でも咲いたのだろう。
 プロジェクトが終わり禁煙を約束した上司と別れて転勤すると、僕は再び煙草を吸い始めた。今度は二箱では効かず、三箱になった。

 再び僕の回りで人は死ななくなり右耳は、シンとなった。つまり右耳は爆音を響かせる代わりに全く聞こえなくなってしまった。

 特に、どうという事はない。まだ、左耳があった。





 僕は灰皿に山積みになった吸い殻を数えてみた。十二本。

 外では雨が勢いをまし、まだ降り続けていた。いったい、いつになったら止むのだろう。
 ブラッドベリの小説に雨の降り続ける惑星の話があった。その惑星の雨は、かつて一瞬たりとも止んだことが無い。不時着した隊員たちは全てを削りとる雨の中を太陽ドームを求めて、じめじめした奇態な植物の生い茂るジャングルを彷徨う。しかし、いくら歩き回っても太陽ドームは、すでに廃墟と化している。彼らは一人づつ狂っていき、死んでいく。雨は全てを溶かし全てを狂わせ消してゆく。精神をも記憶さえも。
 僕は、ふと外の雨を見続けているうちに、この話を思い出した。

 僕は十三本目に火をつけた。彼女との会話は一向に進まなかった。突然、どちらかが話し始め、すぐにぱったりと止み沈黙が長く続いた。おそらく、どちらも、もう話すべき時間を見失ってしまったのだろう。振り返る事のできる過去は記憶を浸食する雨や風に、すっかり喰い荒らされ未来につながるものは何も無いのだ。
 僕は左耳を澄ませて音ばかりを探していた。
アスファルトを削る車の音。彼女の息。雨の音。グラスの触れ合う音。遠くから聞こえてる鐘の音。

  鐘の音!雨の中を迷子のように彷徨う過去の音。

 僕は思い出した。音を見付けた。「みつばちのささやき」で少女が聴いたオルゴール。それは、僕にとっては、小学校一年生の時に見た夢の中にあった。

 夢の中で僕は深夜の校舎を訪れる。薄暗く静まり返ったガランとした廊下を僕は歩いていく。誰もいない廊下は長く長く伸び暗闇の中へ消えてゆく。何故か僕の教室だけ灯りが燈っている。僕は後ろの戸を開け中に入ってゆく。しかし、誰もいない。そして、そこには天井から巨大な鐘が吊り下がっている。声が、どこからとも無く聞こえてくる。

「お前は、ここに来てはいけない。ここはお前の来る場所ではない」

 昼間になる。僕はランドセルを背負い再び、黄色い光に輝く廊下を歩いている。僕は教室の後ろ戸を開け中に入っていく。中には児童たちが僕に背中を向けて座っている。僕は「おはようございます」と言う。
 すると子供たち全員が、いっせいに振り返り僕を見る。児童たちの顔は皆、真っ青で瞳の無い真っ白い目を光らせて気味悪く笑っている。僕はビックリして廊下に飛び出して一目散に走る。しかし、廊下に終わりは無い。しだいに、あたりは薄暗くなってゆき、笑い声がいつまでも僕を追ってくる。そのうち、僕は気づく。廊下に終わりが無いのではなく、僕がいくら走っても前へ進む事が出来ないのだ。後ろを振り返ると教室の後ろ戸が開いていて、中では、まだ皆が青白い顔をして僕の事を見ている。
 そのうち、笑い声は鐘の音に変わり、僕の回りは何百もの鐘の音に取り囲まれる。場面が変わり、僕は父と母と弟と食事をしている。母が言う。

「今日は、あなたのお誕生日ですよ。素敵なプレゼントを送ります。部屋に戻ってごらんなさい」
 僕と弟は部屋に戻り布団を敷いて一緒に寝る。あたりは暗くなり、夜がやってくる。ふと気づくと母が青白い顔をして足下に立っている。
「さあ、これがプレゼントですよ」
 僕と弟の真上には、巨大な鐘が無数に天井からぶら下がっており、けたたましく鳴り始める。鐘の音に無数の笑い声が重なり、僕と弟は泣き叫ぶ。夜の教室が追ってきた。

 僕のデジャヴの中でオルゴールは鐘だった。

「最近、何か面白い映画見た?」
 長い沈黙を彼女が破った。僕は十四本目を揉み消した。
「うん。最近、映画ばかり見ている」
「何?」
 彼女は少し笑った。彼女のコーヒーカップは、カラだった。僕のは、まだ半分残っていた。
「ネバーエンディングストーリー」
「ああ、ミハイル・エンデのね。オズの魔法使いのドイツ版よ」
「…・・そう」
 僕も少し笑った。

 しばらくして僕らは店を出た。雨が横なぐりに僕らを襲った。どういう訳か彼女は僕にピッタリと身体を寄せてきた。僕は彼女の腰に手を回し強くひいた。コートが、ガサガサ音をたてた。

「あの頃に戻らないかしら、ねえ」
 彼女は小さく、ささやいた。
「戻らないよ。あの頃なんてもう無いよ。なにもかも風化した。この街も何もかも変わった。僕も誰も」
「私も?」
「そうさ。違う?」
 彼女は何も言わなかった。ただ下を向いてニッコリと笑った。

 時の雨は幻かもしれない。この世界に静かに降りそそぎ、全てを削り去っていく。もしかしたら、この街、この世界が、ちっとも変わらなければ時の雨は降り注ぐ事は無いのかもしれない。
 ちっとも変わらない世界を想像してみてほしい。いつも同じ車が走り、いつも同じ人々が店の隅にいて、いつも静かな曇り空。まるでキリコの絵のように建物の影が冷たく伸び、シンと静まり返っている。おそらく、そこには通り過ぎる時間も無い。失われるものも無い。永遠に、ただあるだけ。

 悲しみも喜びも無く、音さえも吸い込まれる様に消えてゆく。

 権力社会、強弱社会、様々な人々が、この世界で喧騒を創りあげた。しかし時は闇からの雨と風に引き裂かれ、置き去りにされる。それぞれの喧騒は、それぞれの不確かな記憶の中で時折り、カタコトと静かな足音をたてる。そして、その足音も、いつかは完全に消える。

 彼女は故郷に帰り、おそらく最初に愛した男と結婚する。
 記憶の中の足音は時折、ひょんなタイミングで先々につながる。
 そして僕の場合、全ての足音は容赦なく僕を置き去りにした。

 彼女と僕は、烈しい雨音の中で別れた。もう会う事も無い。又、遠くで鐘が鳴っていた。彼女の赤いセーターは雨にかすむ街の中に小さく、小さく消えていった。
 僕は胸ポケットから煙草を、ひっぱりだして一本づつ、ポトポトと水たまりに落とした。煙草たちはゆっくりと溶けて奇妙な絵になった。それは、こんな形だった。

 別れる時、彼女は僕に言った。
「じゃね」

 それから三ヶ月経ち、僕は死んだ。
 トラックにひき潰された訳でも、サンシャインの天辺から飛び降りた訳でもない。
 死んだのだ。
 闇が押し寄せてきたのだ。
 過去の遙か彼方から闇が僕の記憶を飲み込み、咀嚼し、変容させた。
 闇は、ある時点までの記憶を解体させ僕を死という記憶の中に押し込んだ。僕を知っている人々の記憶にも僕の死という記憶が闇によって注入され、僕が生きていると思っている人間は一人もいなくなった。だから死んだのだ。
 僕は死ぬまでの三ヶ月間、あの雨の日以来、一本も煙草を吸わなかった。
 煙草を吸おうが吸うまいが特に、どうという事はなかった。
 どうって事ないのさ。
 僕は死ぬ時、唯ひとつ、天にいる、どこかの誰かさんに願い事をした。

 それは、
(七歳までの幻の時間を再び手に入れたい)
 それだけだった。

 僕の葬式には親戚が二十人ばかりと、二人の友人がやってきた。初夏の香りに包まれて、皆、涼しそうだった。光の雫が、いたるところに降り注いでいた。

 二人の友人だが、男の方は誰だかわかったが、女の方はどうしても思い出せなかった。おそらく僕の中の何かが思い出すのを拒んだのか、闇の風雨が記憶から彼女を削除したのだろう。

 あちこちで静かに蝉たちが音をたてた。


kipple

ニトロソアミンと音 ②

2021-06-05 07:59:21 | 夢洪水(散文・詩・等)

ニトロソアミンと音
 


 タバコ。僕が初めて煙草を吸ったのは高校一年の秋、図書館へ通じる板張りの廊下だった。友人と二人で窓際にもたれ雨によって削られていく校庭を眺めていた。あの時も雨が降っていた。校庭は、まるで泥のプールだった。友人は裏ポケットからゴソゴソと煙草を取り出し僕に囁いた。
「ヤニが欲しい。ああヤニが欲しい。お前もやるか?」

 僕らはキョロキョロと、あたりを見回した。廊下は闇に飲み込まれてシンとしていた。あの頃は妙に心の底がシンとなるような時間を感じる事ができた。思春期とは、そういうものなのかもしれない。僕が最初に吸ったのはフィルターの無い「朝日」という煙草だった。
 僕らは窓を背に、しゃがみ込んでイソイソと煙を吸い込み、諸器管を通して再び吐き出した。その反復を続けるうちに僕は少しクラクラしてきた。立ち上がって窓外を見ると雨の向こうの校舎の窓灯りが、やけにリアルに見えた。
 初めて煙草を吸う事と初めてSEXをする事に、さほど違いは無かった。終わった後に多少スッキリとして多少世の中がリアルに見える。そして、多少、情けなくなった。何かが削られた気がした。
 しかしSEXは中毒にはならなかった。


 僕はコーヒーを啜り煙草を吸い、又コーヒーを啜り煙草を吸った。
 初めて会った時、確かに彼女は左手でロングピースを吸っていた。だが今は吸っていなかった。
 曲は「アルビノーニのアダージオ」に変わり誰かが戸を開ける鈴の音がした。

 隣の男も煙草を吸っていた。彼は半分も吸わぬうちに灰皿の底に押し付けた。灰皿には八本の吸い殻があった。どれも先端から3cm程しか吸われていない。
 男の血液型はB型だろう。おかしな事に僕の知る限り、フィルター付近まで、きっちりと吸うB型の男はいない。

 僕の灰皿には、ちゃんとフィルターの直前まで吸い尽くされた煙草が山になっていた。まるでジェノサイドだ。
 曲が消えた。次にレコード盤に針の落ちるプチという音。

 六年前、僕はアルバイト先で彼女と知り合った。初夏だった。

 仕事は、すでに使われなくなった証券を穿孔し無効にする事だった。彼女は名義人ごとに、細かい証券を千株単位にまとめ直す事だった。
 どうという事は無い。窓の外では涼しい風が緑をさざめかせ、夏の気配が車道脇の墓地や誰もいない枯れ草の茂った公園に静かな音をたてていた。

 昼休みに僕と彼女は紺色の制服でごった返す食堂の窓際に座り話した。彼女は大学の友人や教授の失敗談を繰り返した。僕は相槌を打ち、そして、よく海と星の話をした。
 それは海底に眠る失われた古代文明であり、ブラックホールやサイバネティックス宇宙であり、とにかく目に見えない事柄だった。彼女は「ふーん」、「そう」、「おもしろいわ」伝々…と、ぼんやりと返事をし、指でテーブルに、おかしな模様を描いた。無限記号のバリエーションだった。

 彼女は、とても痩せていて大きな目をしていた。そして僕が、その目をじっと覗き込むと左の肩を下げ、ほんのりと顔を上気させ左手を口の端に持っていった。

 とにかく僕たちは次の年の春、彼女が卒業するまでの九ヶ月間、京王線沿線の六畳間のアパートで暮らした。
 彼女は彼女なりの生き方をし僕も、そうした。世界は唯、動いていた。
 僕らの回りに変わるものは無かった。僕には、そう思えた。

 朝、僕らは「イパネマの娘」を聞きながら牛乳を飲んだ。昼近くになると僕らは、それぞれの場所に外出し、それぞれの用を済まし帰ってきた。僕が帰ると大抵、彼女は夕闇の中でポツンと座っていた。

 一度、カラッポの部屋の中で彼女は一枚の写真を手に啜り泣いていた。それに、どんな意味があったのか僕は知らない。
 僕は唯、窓辺によりかかり夜が落ちるのを煙草をくゆらせ見続けた。彼女の、その姿は僕が見た中で一番美しかった。消えてしまう虹のように。

 そして彼女は、ある日、本当に消えてしまった。部屋は、またたく間に埃だらけになり、今度は彼女の代わりに僕がポツンと埃の中にうつむいていた。
 彼女が残していったのは期限切れの定期券とボリス・ヴィアンの「うたかたの日々」、そして扇風機と三枚の便箋だった。便箋には、こう書いてあった。
(この一年間で私は変わってしまいました。でも変わらないものもあります。私には故郷に好きな人がいます……伝々)

 そういう事だった。彼女は唯、卒業し故郷に帰ったのだ。彼女の中で何が変わり何が変わらなかったのか、何が嘘で何が真実か、僕には分からなかった。

 とにかく、それから五年の歳月が流れ全てが変わってしまった。



夏が来て僕は病気になり自宅に帰った

 冬になると僕は暖解期に入り再び大学に通い始めた。
 ちょうど、その頃からだ。徐々に全てが崩れ、違うものへと変化しはじめたのは。
 ジョン・レノンが撃ち殺され、一秒毎に全てが幻になった。僕は廃墟を好むようになり、朽ちた家や公園でラジオを聞いた。ラジオからは、ひっきりなしに「クリスマス・ソング」や「ギブ・ピース・ア・チャンス」が流れてきた。これが80年代の始まりだったのだ。

 店内は、やけにシンとなった。気づくと話している者が誰もいなかった。男は全員、煙草をふかし、うつむいて何かをしていた。女は退屈そうに雨の街を眺めていた。

「煙草ばかり吸ってるのね」
 彼女が言うと張り詰めた静寂が弾け、客の視線が一瞬、僕らに集中した。そして、いっせいにあちこちで音が起きた。椅子の軋み。息づかい。レジの音。咳。声。そして音楽。
「遺伝だよ」

 父は実によく煙草を吸っていた。僕の知る限り四十八歳で止めるまで毎日、四箱は吸い続けていた。
 僕が大学に入った頃、父は肺癌を宣告された。しかし相変わらず十分単位で次々と、その毒性の煙を患部に送り込んでいた。ただ父は「ルナ」から「マイルド・セブン」に変えた。
 父は淡々とアイソトープ療法を続け、二年後に肺癌は誤診であり、影は肺結核によるもの再診断された。そして父の中で何かの方向が変わったのだ。父はいっさい、煙草を吸わなくなった。父は自主的に入院し、そして退院した。

 父は家に戻り毎日、山ほどの薬を身体中に放り込み、規則的な運動を驚くべき執拗さで続けた。僕が大学五年になった頃には、父は見違えるほど、元気に明るくなった。これは本当に努力の成果だった。

 ある晴れた朝、父は脳溢血で倒れた。そして、その夜、僕の目の前で父は死んだ。葬儀屋が、すぐに飛んできて僕らは父の死体を黒いバンに運んだ。
 その時、看護婦が僕の耳元でささやいた。
(死体が硬直しているので両手を胸元に紐で結びつけておきました。あとで紐を切って下さい)と……。

 家に着くと葬儀屋は葬式のメニューを差し出した。Aコース、Bコース、Cコース、そして特にどうという事無く全てが終わり、人々が洪水のように押し寄せ帰っていった。イナゴの襲来と、さほど違わない。家は荒れ果て八畳間にポツンと父の死体があった。
 死体が焼かれ骨となり墓石の下に埋められた後、僕は思い出した。僕は紐を切り、手を開放してやるのを忘れていた。
 確かに死体の両手は最後まで紐で堅く結ばれていた。

 僕は父の最後の言葉を覚えている。倒れる前夜、父は、とても元気で楽しげだった。何故かは知らない。僕はTV映画を見ている父を残して、おやすみと言った。
 そして父は僕に、こう言ったのだ。
「ジャン・ギャバンは世界一かっこいいなぁ」

 僕はジャン・ギャバンの映画を、ひとつだけ見ていた。「ヘッド・ライト」。その中の彼は、ひどく惨めで、かっこ悪かった。

 店には、うんざりする程、煙が立ちこもった。

 彼女は何か話したい事があるようだった。しきりに右手で鼻の近くを、いじくっていた。僕は自分の五年間にも彼女の五年間にも、すでに興味を失っていた。僕が今、望むのは誰かがドアを開け、このいまいましい煙を外気に引きづり出してくれる事だった。
 僕は再び煙草に火をつけ、彼女は左手でテーブルに絵を描いていた。会話は、すぐに途切れ僕は音を探した。

 僕は父が死ぬ八ヶ月前に煙草を止めた。暑い夏だった。僕は一人で、あちこちを旅した。僕は静かな森の中を歩き、夏は、はちきれそうに、そこいら中に溢れかえっていた。

 夜叉が池に向かう途中、無人の村があった。道と村を結ぶ唯一の橋は枯れた川の中に真ん中でポッキリと折れ、藁葺きの家々は、かつてはあった「生命の記憶」を風雨に全て削りとられ、完全な廃墟と化していた。

 風化だ。僕は雑草の茂る枯れた川を渡り屋根の半分崩れ落ちた失われた家に入り、夜を過ごした。静まり返った森に囲まれ、その夜は、いたる所で奇妙な音がした。僕は屋根にポッカリ開いた穴から夜空を見た。

 僕は、一晩中そうやってUFOを探していたが、ついにやって来なかった。精霊もなりを潜めていた。

 その頃、東京では友人たちが紺色のスーツを着て、いたる所を走り回っていた。皆、就職戦線の魔力に踊らされていたのだ。

 そして彼らは着々と内定をとり、次の年には、それなりの就職先に落ち着いた。
 僕は、その廃村に三日間いた。そして三日目、そこを後にし林道を登っていくと凄まじい蝉たちの大音響に包まれた。
 僕の右耳は、それから、おかしくなった。電気ドリルで金属板を削る音が続き、旅の終わる頃にはボーッという低い汽笛の音に変わった。

 僕は、あちこちの病院で検査を受けた。しかし、どこでも結果は同じだった。…異常なし。

 そして耳鳴りは一時も止むことは無かった。そして、まだ煙草を止めていた。気が狂いそうだと思った。

 耳鳴りが始まってから僕の回りで人が死にだした。

 秋までに二人の友人が死んだ。一人は山中湖でボートから転落し、そのまま浮かんでこなかった。もう一人は白血病だった。一人は新聞記事に掲載され、一人は友人たちの間を伝言ゲーム的に駆け抜けた。僕は白血病だと最初、聞いたが、他の奴は殺されたと言った。

 冬が来て年が明けると祖父が死んだ。胃癌だった。
 死ぬ二日前に見舞いに行くと、祖父は自慢げに、そのひどく乾燥し骨と区別のつかなくなった病身を僕に、さらけだして笑っていた。
 その後、祖父は病床から死に物狂いで這い出し、床屋に行って実に綺麗さっぱりと頭髪を整えてから死んだ。死に顔はジャン・ギャバンに似ていた。

 春になると今度は父が死んだ。僕は、まだ煙草を止めていた。

 父が死んでから一ヶ月後、すでに働き始めた友人たちと、ハシゴ酒をした。彼らは髪を短くし同じ様な背広を着ていて、やけに陽気で活気にあふれていた。彼らは次から次へと煙草を吸い、次から次へと仕事の話をした。

 僕は長髪で汚いジーンズをはき、煙草も吸わず唯、隅でホールズをなめながら携帯用ステレオカセットプレイヤーで[DEVO]を聴いていた。[DEVO]の音楽は実に良かった。やるせない疾走感があった。
 退行的なロックを聴いている時だけ、僕は救われるようだった。[DAF][PIL]「ジョイ・ディヴィジョン」「モノクローム・セット」「フライング・リザーズ」「キャバレー・ボルテール」、、、。僕には友人たちと共に話せる様な事は何も無かった。彼らはアイドル・ソングや歌謡曲しか聴かない。

 彼らは口々に、「さて明日も仕事だ」と叫び合い、僕と別れていった。そして僕は新宿に一人残り、人々の間をふらふらと歩いた。
 僕は昔、よく行ったディスコに入り少女にひっかけられた。高校一年生くらいだろうと思った。その娘は、とても色が白く、ほっそりとしていて触れるとすぐにも崩れそうな感じがした。
 黄色いギャザーのスカートに薄い緑に白いストライプの入った麻のシャツ。ミルクみたいな顔をしていた。僕は、なついてくる、その娘に不思議な神聖さを感じた。清廉、自由、喜び、世界をリアルに感じる力。

 それから、その娘と僕はホテルへ行きSEXした。その娘は、とてもSEXを楽しんでいた。
 そしてロックについて僕と論じ合った。彼女は「ポリス」「カルチャークラブ」の素晴らしさを延々と説明してくれた。僕は悪くないと言いながら、スティングボーイ・ジョージは男芸者の最も手に負えないケースだと、彼女に対する奇妙でちっぽけな嫉妬心にかられて断定した。
 さらに僕はゲーリー・ニューマンの方がずっと可愛げがあると断定した。すると彼女はこういった。

「あなたみたいに全然味が無いわ」

 僕は再び煙草を吸い始めた。量は日一日と増えていき、一日二箱は吸うようになった。

 そして僕の回りで人は死ななくなり、耳鳴りは依然として止まなかった。



kipple

ニトロソアミンと音 ①

2021-06-04 08:09:22 | 夢洪水(散文・詩・等)

ニトロソアミンと音
 


…遠い昔、世界が消えてしまう前に、こんな男が生きていました…

 その頃、朝になると、どこからからともなくフルートの音がカラッポの部屋に流れ込み、まるで過去に吸い込まれるように僕の中で消えていった。誰かが何故か毎朝、フルートを吹いていた。
 僕は、その小雨のような悲しい音に包まれて湯を沸かしコーヒーを入れ煙草を吸った。しかしコーヒーを最後まで飲むことは、なかった。空しくて飽きてしまうのだ。そうして時が過ぎてゆき夜がやってきた。短い時も長い時もあった。

 来る日も来る日も十一時頃になると僕はポストの前で、じっと待っていた。待ち続けた。春の、やわらかい光が僕を覆い、自転車のカラカラ、キキーッという音。そしてカランとポストに郵便物の落ちる音。しかし僕宛ては、いつも無く、ただ遠くから街の音、人々のざわめきの音が聞こえてきた。
 静かに時は僕を置き去りにした。

 僕は午後になると、よく映画を見に出掛けた。午後は、どういう訳か、いつも天候が崩れた。たいてい細かい雨が降った。
 街を歩くと数百人分のざわめきが、あたりに沸き起こった。それと飛行機とヘリコプターの唸り。

 僕は、じっと自分の足音だけに耳を澄ました。騒音の中でも僕の音はコツコツとわびしげに響き震えた。道路に沈み込んでいくような気がした。あてどなく歩いて帰ると再びポストを覗いた。
 国道から自動車たちの流れるサラサラいう音。どこかの学校から下校時間を知らせるトロイメライが空一杯に広がりポストの中は大抵からだった。僕は、いったい何を待っているのだろう?
 そして静かに夜がきた。

 ある日、細かい雨がポストにはじける様を僕は突っ立って見ていた。そしてカノンの旋律を雨音に聴いた。
 カノン…デジャヴだろう。何年も前、僕はよく、お茶の水の喫茶店で人を待った。そこでは午後になると必ずパッヘルベルのカノンが流れた。
 ポストはカラのままだった。

 僕は地下鉄に揺られ「みつばちのささやき」というスペインの詩人の作った映画を見に出掛けた。
 僕は六本木のあちこちを歩いた。深海をさまよっているようで雨は降り積もるプランクトンの死骸のようだった。そして、たまらなく寒かった。
 僕は、ひたすら音を探したが、それはどこにも無かった。雨音さえも消えてしまった。

 まだ時間があったので僕は小さな喫茶店に入りコーヒーを飲んだ。女子学生たちが大勢いて次から次へと高い声と笑いを響かせていた。僕は背を向けて座り(コーヒーを飲み煙草を吸い)を交互に繰り返した。
 そして僕は音を見つけた。オルゴールのメロディが店内をゆっくり回って僕のところに来た。遠い昔に聴いた曲。しかし題名は思い出せなかった。僕は煙草を四本吸って店を出た。

 映画は静かに始まった。それは失われたものたちの映画だった。はかなく消え去る幻へのレクイエムだった。海の底に深く深く落ちていく様な映画だった。海の底には失われた古代の文明がある。僕たちの失われた伝承が薄く消えいりそうにして揺らめいている。

 精霊の存在を信じた少女は村外れにあるポツンと残された廃屋に行く。ある日、少女は小屋の中で「傷ついた若者の姿をかりた精霊」に出会う。若者は懐中時計の蓋を、ぱちっと開く。すると時計の中からオルゴールの音が流れ出す。
 次の日、再び少女は若者に会いに行く。しかし崩れかけた小屋の中に若者の姿は無い。少女が家に帰ると父親が同じ懐中時計を持っている。少女の前に座った父親はパチリと蓋を開く。すると時計の中から同じオルゴールの曲が流れ出す。少女は不思議そうに目を開く。
 若者は精霊ではなく脱走兵だった。彼は少女に出会った、その夜、射殺された。父親は、その遺品を持っていたのだ。

 僕にも昔、こんな事があったような気がした。今は、もう思い出せない。

 偶然の不思議ないたずら。オルゴールの音。失われた幻。

 僕は地下鉄の響きに合わせてカウントしながら家に帰った。静かな雨音と共に夜が、ゆっくりと滲み出した。
 いつものように錆び付いたポストの扉をきしませ中を覗くと僕宛ての手紙が雨水に滲んでしょんぼりと縮こまっていた。廃屋の中で立ち続ける少女みたいに。

 遠く夕暮れの彼方から列車の音がした。

 手紙は彼女からだった。五年前、僕が最後に出会った時、彼女はカーリーヘアだった。それを、ふと思い出した。
 そしてあの頃は全てが騒々しく全てがやっかいだった。



 僕は大学時代に入り浸りだった喫茶店で彼女と待ち合わせた。お茶の水に来るのは三年ぶりだった。そして、その喫茶店は、もう無かった。今は、もう無いのだ。
 深海の中では、全てがぼろぼろと崩れて跡形もなく消え失せてしまう。深海世界。

 そこには辛うじて過去の外観だけ保つゲームセンターがあった。色とりどりの音の渦巻きに入って行くと顔馴染みだったレジ係りの女性がいた。彼女は僕を憶えていた。

「あら」
 僕は他の店員たちはどうしているか、どうして店は無くなったのか、伝々・・聞いた。

「さあ、私はまだ、ここにいるけどねぇ。皆、何をしてるのかねぇ…」
 とにかく今は、もう失われてしまったのだ。ごく当たり前の事だ。特に、どうという事はないのだろう。

 仕方が無いので僕は、その過去の喫茶店の前で彼女を待った。雨が傘に落ちる音を聞きながら。
 よく見ると見掛けは似ているが、ぐるりはすっかり失われていた。変わらないのは車たちの音と空気の匂いだけだった。しかし、それだけでも変わらぬもののある限り僕は、この風景を異化する事が出来た。
 風景が僕を放逐したのか?それとも僕が全てを放逐したのか?おそらく両方だろう。雨の中、僕は煙草を三本吸った。そして三本のマッチを水たまりに捨てた。

 彼女が来た。ショートカットだった。時間はピッタリだった。
「あら、ゲームセンターになったの?」

 僕らは坂を下った。足音がピシャピシャ二重奏になった。ポツポツと雨音のように僕らは会話した。
 彼女は五年前、短大を卒業し故郷へ帰った。そして二年前に再び東京に出てきた。彼女の五年間に何が起きたのか、何故再びここで、こうして話しているのか僕にはよくわからない。とにかく僕は今、二十六歳になった。そして、おそらく彼女は二十五歳になったのだ。
 そして、おそらく五年前の全ては幻となり失われてしまった。

「キャンドル」という喫茶店に入った。ドアを開けると鈴の音がした。テーブルにはランプが灯され店中ふんわりとした油の香りに包まれていた。
 格子窓の彼方には雨に覆われたこの惑星の静かな外観があり、座ると木製の椅子はギシギシと軋んだ。
 彼女はコーヒーカップを指先で何回も弾いた。店内に「タイスの瞑想曲」が流れ、僕は静かに煙草に火をつけた。レコードはパチパチとはじけた。



「仕事は、うまくいってる?」
彼女の左手は左耳の上の髪を弄り回していた。この癖は同じだった。

「会社は三ヶ月前に辞めたんだ」
僕の右手は灰皿と口の間を行ったり来たりしていた。これも同じだった。

「そう。うまくいかないのね」
隣の席の男がノートに何か書いていた。ペンの走る音。

「まあ、特にどうこう無いけどね、僕には、こういうやり方しかできない」
奥の席の若いカップルが指を絡ませているのが見えた。

「私も会社、辞めたのよ。又、四国に帰るわ」
店のあちこちで椅子が軋んだ。若いカップルがギョッとして僕らを見た。何故かは分からない。そういうもので、どうってことないのだ。

「もう、こっちには出てこない?」
「たぶんね」
 男のノートが、ちらりと見えた。ノートは白紙だった。ペンの走る音は、まだ続いていた。
 誰かが戸を開け鈴の音と冷たい空気がテーブルの間を駆け抜けた。僕は再び煙草に火をつけた。そしてコーヒーカップにスプーンを突っ込み音をたてた。

「ヘビースモーカーね。今、煙草は流行らないわよ」
 彼女は笑ったが目は悲しい猫のようだった。こんな目を見たのは久しぶりだった。

「煙草は、いつやめたんだ?」

「あら、私、煙草吸った事無いわよ」

 遠くでクラクションが聞こえた。僕はおかしな事を何の関連もなく考えた。(この瞬間に、いったいどの位の生命が音を断つのだろうか)と。

 彼女は確かに五年前、僕と別れるまで煙草を吸っていた。左手で…。僕の記憶と彼女の記憶は食い違っていた。
 おそらく、物質の風化の位相の中で人々の記憶までが風化してしまったのだろう。どこかで何かが狂ってしまった事には間違いない。

「髪の毛は?カーリーヘアーは、いつやめたの?」
 彼女は目を大きくした。その時、若いカップルが、ひそひそと囁き合いながら僕たちのテーブルを通り過ぎていった。床の軋む音。

「どうして?あたし煙草を吸った事も無ければ、カーリーヘアにした事だってないわ」
 僕は震撼した。僕の隣の男が無表情に、こちらを見た。再び僕は男のノートを見た。ノートは真っ黒に塗りつぶされていた。

 全ては幻なのかもしれない。みんな、時間によって歪められ、崩れていく。形あるものは無い。事実というものは無い。一人一人、主観だけの世界を創り出し、その中で生きている。ただ、そういう事なのかも知れない。


kipple