ゴムクロ修理日記  ゴムクローラー修理・販売(有)キムラセイコー       0237(86)7377

修理依頼を受けた作業行程・結果などを依頼者並び訪問者に見て頂くための親爺の気まぐれブログ
たまには修理以外の出来事も

形ある物は壊れる

2010年06月28日 | 親父の遊び心

 

  亡父が壊さず現存していた 「 蝿とり瓶 (はえ採り器) 」

  親父 おもしろ、楽しく昨日まで インテリアグッズとして楽しんでいた

  いつもは水を張り 花もの入れて観賞用に使用し 茶飲み話しの「肴」として

  茶の間のテーブル上に常に置いておった

  最低三日に一回は水を入れ替え 季節の花を瓶の中に入れ観賞していた

 

 

  最近 仕事忙しく? プライベートも含み花、水交換する時間無く

     ・・・・・・  昨日  交換時間を執る ・・・・・・

  通常のガラスコップの洗浄の様には出来ず  内側洗浄やりにくい

  ウエス等を中に押し込み 今迄洗浄していたのだが

     ・・・・・・  昨日 洗浄時 手を滑らせ 破損してしまった ・・・・・ 

  思えば この様に形のある物は壊れ 自然と 「世の中」 より消えてしまい

  忘れられてしまう

  けど 親父 一生の話題話しのグッズとして「保存」しよう!! と考えていた

  形のあるものは 壊れる(必ずとは限らない)

  何世紀もの時間を保存するには 博物館、資料館等しかできないのだろうか???

  

  我が家より 「昭和初期の作品」 消してしまった ・・・・ 

  

 

 

 

 

 


生き返る枯れ幹

2010年05月26日 | 親父の遊び心

 全くの枯木

 

  例年 庭を持っている 雪の多い山形の家々では 「 雪囲い 」 をする

  その雪囲いにこだわっている方々は 我自慢とばかりに数日間の労力を費やし

  競っている

  親父は仕事の忙しさ? ・・・・・ 本音 ”道楽”にて 冬を迎えるにあたり 我が家の

  庭の雪囲いを施さなかった

  手に持てる盆栽を家の中に入れ 昨年の冬を越させた。  しかし 水を与える事なく

  数多くの盆栽を枯らした事は 以前ブログで書いた。

  その枯れた盆栽 鉢ごと捨てずに今まで残していた。

  今日 どうせ枯れてしまったので 処分することに考えていた。

  路地に植えられた木々は大きく育とうと ひっしに頑張っているが 「盆栽」は

  人の手により 姿全体を小さく、小さく そして 幹は太くの観賞用と育てられる運命

  であり、 この太さまで幹が育ったことを考えれば・・・・・ 焼却するのが 可哀そう

 

 さも生き木

 

        焼却せず 「欅」 「梅」 を生かしてやろう~~と・・・・

  この2ッの盆栽はすでに枯れてしまっているので、 生き返らせる訳にはいかない。 

  親父の「遊び心」で生き返らせる手段ひらめく

  今迄 盆栽の事に対し疎い親父  二本とも 「 梅 」 と思っていたので

  縁起言葉に 「松竹梅」 があるので  よ~~し 「松」との組み合わせにしよう

 

  幹の太い部分に穴を明け さも 幹より松の木が生えだして来た事を想定する。

  手持ちの道具を出し穴を明けては見るものの 木が硬い ・・ 作業手間取る

  かあちゃんに聞くに 一本は「欅」と知り 硬い木であることに今更知り 納得する。

 

          さて 主役たる「枯れ幹」  脇役として 「松の木」

  「松の木新芽?」 を求めに 某00山に出向き 「 嫁? 」捜す。  ルックスの良い「嫁」に

  プロポーズしたところ 「 OK 」 言ってくれた? いや 聴こえた? ので

  「松の木新芽の嫁」を頂く事に ・・・・・・・・・ 

  主役の「枯れ幹」  脇役の「松の嫁」 二人の共同生活により ” 捨てよう”とした

  「枯れ欅」 「枯れ梅」 生き返ったようだ

 

  親父の題材     左枯れ盆栽      「座り込んで女性が踊る」

               右枯れ盆栽      「原始人が草原で狩りする後ろ姿」

   

  後は 盆栽いじり幼稚園児の親父が 手を貸してあげるので ”松くん”に育って欲しい。

            但し 「主役より目立つなよぉ~~」 ・・・・・・・

            アレ~ テレビコマーシャルで聞いたセリフ

 

 加工説明

 

 

 

 

 

 

 


西村山郡役所

2010年05月16日 | 親父の遊び心

  

  今朝6時に至る処より花火が上がる  「ドン ドド~ン ドン」

  ゆっくりとした日曜を過ごそう~と寝床に入っている時刻  その花火合図で目が覚めてしまい

  普段と変わらぬ日曜日となってしまった。

  今日は寒河江で行事が三つも重なる。 (親父知る限り)

  1)  寒河江ツツジ祭り

  2)  クラシックショー (花咲かフェア会場) 正式名不詳

  3)  近くの弁天沼(厳島神社)の祭り

  急ぎの仕事も無いので、 物珍しさに釣られて見学に行く予定を立てる。

 

  2)の展示車を最初に見に行く  親父が以前所有し載っていた車も今や クラシックカー

  として展示される様になり 歳取ったと実感する。

  展示内容はリンクを貼らせて頂いている00クラフトさんのブログを見て頂く事に・・?

  彼は車のプロであるので書くであろう?ブログで知ってください。

 

 つつじ公園

 

  クラシックカー見学後 寒河江つつじ祭り会場へ足を向ける。

  天気も良いのか 見学者が多く 車を停める場所探すの容易でない。

  ま~ 良いか  近くの公園であるのとチョットばかり例年より遅い 満開まで至らず

  平日 散歩がてら見ることにし、西村山郡役所を見学する。

 

 

  ツツジ祭り期間中 入館料無料(大人100円)となっており 興味もあるので立ち寄る。

  入館したときは誰一人いなく 貸切であった。 ・・・・ が 時間とともに大勢の方々が 

  おみえになった。

 

 議事堂

 

  郡役所内には 親父が子供時代に使用した。 又は 目にしていた民芸品が沢山展示

  されていた。

 

 

  一通り展示品を眺めると 先日のブログで書いた 「 蝿とり瓶 」が 「蝿とり機」と言う名で

  展示されており、 親父の物と同一物の大きさ、造りと思われた。

 

 

  親父は今や茶の間のアクセサリーとして 中に水を張り道端の花を摘んでは楽しんでいる。

  上キャップは裏返しにして使っている。 水を入れる花さす目的で・・・

 

 

  このコーナーは 以前ブログに書いた親父の家に現存している「ガスランプ」「がんどう」

  「電球」「蝿とり瓶」「ランプ」があった。

  チョット言わせて頂くと 親父の物より質が悪かった。 又 部品欠損している物も

  多くあった。

 

 

  一階の民芸品コーナーより 手の込んでいる階段を昇り二階の写真コーナーへと

 

 

 

  写真の中で気になった一点が 西村山郡役所の古写真

  亡父より このガス灯は「西村山郡役所」前にあったものだ!! と聞いている。

  ブリキで出来ていて 塗装を掛けていたかは存ぜぬが、 求めた時は真っ赤に錆つき

  いかにも崩れそうであったのを記憶している。

  そのガス灯を暇次第 ”錆” を取り、磨き、カシュー塗装を塗り 今の姿に戻している

  父の後ろ姿を思い出す。

 

 

  この写真の中からガス灯を探して見ては???

  門柱をアーチ状に結んでいる中心にガス灯が有るのを・・・

  バックが蔵なのか見にくいが同じ物らしきが撮られている。 当時はブリキ造りで

  塗装(処理)していなかったのか 白っぽい。

  父が塗ったのは黒カシューであり 勝手に決めた色としか言いようがない。

 

 

  一っ一っの写真を眺めていると 「 あれ~ぇ おらえんさ(我が家)あんな(在る)と

  おんなじ写真だぁ~」ときずく。

            「 象が始めて寒河江に来た (明治42年)」

  この写真 我が家にある。 当然セピア色になり はがき寸法の大きさ

  亡き父が貸し出したかは存ぜぬ。  この写真を我が家の息子000君

  「 古い一枚の写真 」と題して 小学校時代に ”夏休み自由研究”に調べ書き

  県大会の発表会に選ばれ 親父 「鼻の下」を長くして見、聞きに行った事を思い出す。

 

  

  同じ写真のアップ番です。  その研究の中で調べたことを記す。

  寒河江市松川に掛かる 「桟摺橋(さんずりばし)」を象が左沢から寒河江に渡る途中

  是までは 本物の象を見た事無く 象は興業としての 「見世物」として来られた。

  と言われている。

  当時は荒砥~左沢(幻のさあら線)間の鉄道も無く どの様にしたのかは記録に残っていない

  餌にしろ大食いの為運ぶのにも苦労したであろう。

  

  何故 親父知っているかって???   この橋建立する時に設計?に携わっていたと聞く

  今は亡き横須賀のおじさん(100歳亡)の父が携わり言い伝えられていた。

  他にも有名な臥龍橋もある。

 

  ・・・・・ ここまでは表の話

  良~~く 覚えててね。 見てね ・・・・・・・

  写真を良く見ると 珍しい象を見てないで 橋げたを心配そうに見ている方がいる。

  訳は 象の体重がどれだけあるのか未知の世界であり橋が象の重さに耐え切れるか?

  心配している担当者と見学者

  橋の下には既存の橋げたが在るにもかかわらず さらに付けたし、丈夫にして

  象を渡らせたと聞いている。

  とにかく 渡りきり めでたし ・・・・・・ めでたし

 

 

 

 


日曜日

2010年04月25日 | 親父の遊び心

 

  父の葬儀、二七日参りも終え、今日の我が家には ようやく落ち着ける時間が

  見つかる。  父が収集していた「ガラクタ物」で一杯になっていた「玄関」「廊下」

  前にも書いたが、狭く感じ、その後 玄関改修工事へと入る。

  大工さん達も日曜日ゆえ休日を採り、釘を打つ音も聞こえない。

  見祖母らしい廊下も新建材で化粧され、片す事出きるまでとなる。

  この場所へは、 片す前50冊は在ろう各方面のシリーズ「図鑑」を置いてあった。

  が、 同じ様に収めてしまうと、二度と整理する事なくマタマタ狭くなる?と思い

  最終処分する事に決める。 

  タイミングよく 中学同級生 我が家に訪れ、全てを彼に差し上げた。

 

 

  図鑑収めていた木箱使わなくなったので、廊下隅に積み上げ、玄関ゲタ箱上、その周辺

  に置いてあった「ガラクタ」をレイアウトも考えず、とりあえず?収める。

  今後、何らかの事情で退かす必要なければ、このまま数十年同じレイアウトでいる

  のが、目に見える。

 

 

  000君  自分の希望改造にしようと 「骨バイク」と化してしまったバイクに手を付ける。

  余りの配線をバラバラにしてしまい、どの線がどれなのか解からなくなり

  昨年の冬より チョットいじっては止めの状態であった。

 

 

  どこから借りてきたのか? カワサキ シェルパのサービスマニアル本を参考にし

  線一本一本 テスターを使い、配線図と睨めっこしながら継ないでいる。

  どの様なバイクになろう~と、公道を走れる状態のバイクにして~~~ぇ

  親父、 このバイクで春の山岳道路を満喫する予定を立てているのだから!!!

               000君   速く組み上げてぇ~~~

 

 

  明日 朝より前工事に行った00福祉大学福祉感性研究所へ再度出張作業入る。

  同じく MRI室の電気制御 教授よりの依頼だそうで、何をするのか?

  いまの時点で解からない。

  只知っていることは、数多くある電線の端末処理 だそう~~だ。

  作業内容想像しての道具準備なので 「と・り・あ・え・ず」 しか準備出来ない。

  ホットマーカー(線番号を打ち込む機械)、 マーカーチューブ、端子・・・・・・

  の準備はしたものの 間に合うかは知る余地もない ・・・・・・

  教授希望作業終えて、我が家に帰れる事を只祈るのみ ・・・・・ あ~ぁ

 

 

 

 

  


徳川禁令考

2010年02月04日 | 親父の遊び心

 

  春を思わせる日々が続き 気も春めいていた昨日  やはり山形ですねぇ~~

  外に置いてある修理クローラー  朝には雪に埋もれていた

  掘り出してまで修理する気分にならず 昨日届いた

 

         ヤンマートラクター  AC16  300x44x84 芯金脱落修理

 

  「 型 」無いので 本日型製作に変更する

  000君は ヰセキコンバインクローラー全周修理で 同じ工程を数十日繰り返し

 

           ・・・・・・・  歴史の勉強をしよう  ・・・・・・・

 

  キリスト教崇拝の方へ  親父何ら偏見持ってませんが 参考資料として

  我が家にある物です  あくまで 親父の趣味の世界です

  スペース置きますので ブログを以下見たくない時は閉じてください

 

 

 

 

 

 

 第三札

 

  「鎖国令(ポルトガル船の来航禁止)」 『 徳川禁令考 』 が発せられた後

  明治維新後の新政府が発した「五榜(ごぼう)の掲示」

  「五箇条の御誓文」が出された 慶応4年(明治元年・1868)3月14日の翌日

  明治新政府が旧幕府の高札を撤去し、その代わりに立てることを命ずる

  高札とは 法令や禁令を板の札に墨書し 市中の人目につきやすい場所に掲示した

 

  「定三札」は永年掲示されていた 

  1) 第一札   人として「五輪の道(儒教における五つの基本的な人間関係)」を

            正しくすることや 殺人、放火、盗みなどの禁止

  2) 第ニ札   徒党、強訴、逃散の禁止 つまり集団の力を利用して事を起こす

            ことの禁止

  3) 第三札   キリスト教の禁止

  

  を命じていた  この三札以外に「覚札」と呼ばれるニ札がある

  4) 第四札   外国人への加害禁止

  5) 第五札   郷村脱走(浮浪)の禁止

 

  江戸時代以前から広く庶民に法令を伝達してきた高札も伝達手段の整備や

  印刷技術の向上などにより この 「 五榜の掲示 」を最後に

  明治6年2月24日をもって撤廃された

 

 

  「徳川禁令考」が発令され 後 明治政府になっても「定三札」が掲示されて

  いる当時は 『 隠れキリスタン 』 として身を狭くして崇拝していた

  「イエスキリスト」「十字架」を表ざたにして崇拝する事出来ず

  「姿」「形」を色々に変身させ 祭っていたようである

 

 

   親父の所にある 『 だるま ?』 は知っている限りの達磨の顔とはかけ離れ 

  もし マリア(イエスキリストの母)の顔であれば 恐ろしい顔つきとなっている 

  この ブロンズ像を制作なされた方は 当時 写真もなかったので

  仮想でつくったのかも???

 

            親父勝手に  『 マリア達磨 』 と名づけている 

      全高  20cm   良く見ると 胸毛がある様に見せかけている

             材質 唐金で出来ており 当然作者名見当たらなかった

           誰が見ても この形は 「だ る ま」 だよね!!!

 役人に見られてもマリア像ではなく 風変わりな達磨で何ら不都合ない?と言えたのかも?