今朝6時に至る処より花火が上がる 「ドン ドド~ン ドン」
ゆっくりとした日曜を過ごそう~と寝床に入っている時刻 その花火合図で目が覚めてしまい
普段と変わらぬ日曜日となってしまった。
今日は寒河江で行事が三つも重なる。 (親父知る限り)
1) 寒河江ツツジ祭り
2) クラシックショー (花咲かフェア会場) 正式名不詳
3) 近くの弁天沼(厳島神社)の祭り
急ぎの仕事も無いので、 物珍しさに釣られて見学に行く予定を立てる。
2)の展示車を最初に見に行く 親父が以前所有し載っていた車も今や クラシックカー
として展示される様になり 歳取ったと実感する。
展示内容はリンクを貼らせて頂いている00クラフトさんのブログを見て頂く事に・・?
彼は車のプロであるので書くであろう?ブログで知ってください。
つつじ公園
クラシックカー見学後 寒河江つつじ祭り会場へ足を向ける。
天気も良いのか 見学者が多く 車を停める場所探すの容易でない。
ま~ 良いか 近くの公園であるのとチョットばかり例年より遅い 満開まで至らず
平日 散歩がてら見ることにし、西村山郡役所を見学する。
ツツジ祭り期間中 入館料無料(大人100円)となっており 興味もあるので立ち寄る。
入館したときは誰一人いなく 貸切であった。 ・・・・ が 時間とともに大勢の方々が
おみえになった。
議事堂
郡役所内には 親父が子供時代に使用した。 又は 目にしていた民芸品が沢山展示
されていた。
一通り展示品を眺めると 先日のブログで書いた 「 蝿とり瓶 」が 「蝿とり機」と言う名で
展示されており、 親父の物と同一物の大きさ、造りと思われた。
親父は今や茶の間のアクセサリーとして 中に水を張り道端の花を摘んでは楽しんでいる。
上キャップは裏返しにして使っている。 水を入れる花さす目的で・・・
このコーナーは 以前ブログに書いた親父の家に現存している「ガスランプ」「がんどう」
「電球」「蝿とり瓶」「ランプ」があった。
チョット言わせて頂くと 親父の物より質が悪かった。 又 部品欠損している物も
多くあった。
一階の民芸品コーナーより 手の込んでいる階段を昇り二階の写真コーナーへと
写真の中で気になった一点が 西村山郡役所の古写真
亡父より このガス灯は「西村山郡役所」前にあったものだ!! と聞いている。
ブリキで出来ていて 塗装を掛けていたかは存ぜぬが、 求めた時は真っ赤に錆つき
いかにも崩れそうであったのを記憶している。
そのガス灯を暇次第 ”錆” を取り、磨き、カシュー塗装を塗り 今の姿に戻している
父の後ろ姿を思い出す。
この写真の中からガス灯を探して見ては???
門柱をアーチ状に結んでいる中心にガス灯が有るのを・・・
バックが蔵なのか見にくいが同じ物らしきが撮られている。 当時はブリキ造りで
塗装(処理)していなかったのか 白っぽい。
父が塗ったのは黒カシューであり 勝手に決めた色としか言いようがない。
一っ一っの写真を眺めていると 「 あれ~ぇ おらえんさ(我が家)あんな(在る)と
おんなじ写真だぁ~」ときずく。
「 象が始めて寒河江に来た (明治42年)」
この写真 我が家にある。 当然セピア色になり はがき寸法の大きさ
亡き父が貸し出したかは存ぜぬ。 この写真を我が家の息子000君
「 古い一枚の写真 」と題して 小学校時代に ”夏休み自由研究”に調べ書き
県大会の発表会に選ばれ 親父 「鼻の下」を長くして見、聞きに行った事を思い出す。
同じ写真のアップ番です。 その研究の中で調べたことを記す。
寒河江市松川に掛かる 「桟摺橋(さんずりばし)」を象が左沢から寒河江に渡る途中
是までは 本物の象を見た事無く 象は興業としての 「見世物」として来られた。
と言われている。
当時は荒砥~左沢(幻のさあら線)間の鉄道も無く どの様にしたのかは記録に残っていない
餌にしろ大食いの為運ぶのにも苦労したであろう。
何故 親父知っているかって??? この橋建立する時に設計?に携わっていたと聞く
今は亡き横須賀のおじさん(100歳亡)の父が携わり言い伝えられていた。
他にも有名な臥龍橋もある。
・・・・・ ここまでは表の話
良~~く 覚えててね。 見てね ・・・・・・・
写真を良く見ると 珍しい象を見てないで 橋げたを心配そうに見ている方がいる。
訳は 象の体重がどれだけあるのか未知の世界であり橋が象の重さに耐え切れるか?
心配している担当者と見学者
橋の下には既存の橋げたが在るにもかかわらず さらに付けたし、丈夫にして
象を渡らせたと聞いている。
とにかく 渡りきり めでたし ・・・・・・ めでたし