ゴムクロ修理日記  ゴムクローラー修理・販売(有)キムラセイコー       0237(86)7377

修理依頼を受けた作業行程・結果などを依頼者並び訪問者に見て頂くための親爺の気まぐれブログ
たまには修理以外の出来事も

古い版画 2枚目

2009年12月11日 | 親父の遊び心

        ::::::: 山形縣下  眼鏡橋上写景 :::::::

 

 

    山形縣南村山郡桜田村字逆巻 に架かる所に明治十一年 竣功

        橋の長さ  百九十二尺      幅  二十四尺

                                 :::::::  常磐橋  ::::::::

  

  書き込んであるのを 勝手な解釈で説明する ・・・・・

  

  橋脚は 半円形の石で造られている  俗名  『眼鏡橋』と言う

  橋際には「水神様」をまつる

  

  春時は 橋上より眺めれば 吉原村の桃林の花が綺麗である

  東北方向には 山形の市街が見え

  西南方向には 上山駅が見える

  その美観は毛生の如く すばらしいものだ 

 

                千牛楼主人記

  この橋 常盤橋(眼鏡橋)は現存しているのだろうか?

  このブログを見られ 詳しい情報お持ちの方はコメントください

  明治時代の橋なので 当然橋部の木は枯れ落ちてる

  が  橋脚部はせめて現存しても良いのだが?  またこの道路もあるのかな?

 

  

  本日も先日とは別の型つくりで 一日を費やす  作業内容は同じである

  型造りの最中に 今度は 隣県の福島より送られてきた

  機種は 聞いてないので 型が在るかは今の所わからない


馬上筒

2009年11月20日 | 親父の遊び心

  000君担当している  ヰセキ コンバイン  HL500全周修理も

  処理してはゴム盛り付け、加硫の繰り返し

  本当に全周修理は終わらないなぁ~~~

  親父のブログ 同じ内容になってしまう

  「芯金緩み、脱落」  「耳切れ」  「切断」・・・・・・がクローラー修理全般となる

  以上の修理サイクルが一ヶ月毎に発生しているような気がする

  一通りの修理内容は すでにブログで紹介しているので

  明日からでも 整理して見ようと思っている 

 

 

            ・・・・・・・・馬上筒・・・・・・

  馬の上で使用できるような 小型の火縄銃で火鋏の形である

  火鋏は火縄を咥える部分であり 「火蓋」を切る(開く)事により

  火穴より火薬に点火、爆発し 玉が飛んでいく・・・・ 短筒(馬上筒)

 

            鉄砲だけでは 役立たない!

  火薬と玉が無くてはならない

  火薬は硝石、硫黄、木炭、その他の混合物で その中の重要な要素となる

  硝石の発見が鉄砲の起源となった!  と何らかの本で読んだ気がする

  説明間違っていたら ””ゴメン””

  硝石は はじめ医薬用に使われ 下痢止めとして用いられた

  仙薬(身を軽くする薬)とも言われ 硝石を火にあぶり 練って膏薬のようにして

  これを毎日なめていたらしい

  どうしてこの膏薬をなめると身が軽くなるのかはナゾ????

  こんなことをしている間に 硝石の引火性が発見されたと思われる

  硝石の使い方も医者の手から戦術家の手に変わっていった

  宋代初期に中国人の手のよって「火薬」が発明された

  この説明も 昔 手帳に書き込んでいたのを思い出し 書いてはみたが

  間違っていれば ・・・・・ コレマタ  ごめんゴメン

 

  

  写真  上  火薬入れ       発射薬の黒色火薬を入れて持ち歩く容器

       中  玉入れ(烏口)    袋の中に玉を入れ 下に向けると一つの玉

                       が 口元に出 一個づつ取り出す事出来る

       下  鋳鍋(玉鋳型)    火縄銃の弾丸をつくる鉛を溶かす鍋

 

  名称  「弾子模」  鉛製の火縄銃用の弾丸を鋳造する「鋳型」

  この鋳型は何匁の玉になるもかは 計算すれば解るのだが 眺めるだけ

  のものなので調べないとする

  参考に「小筒」は30匁玉位までの小口径の火縄銃

      「大筒」は30匁玉以上の大口径の火縄銃を言う

 

  ・・・・・・・親父の手帳メモから引き出し 書き込みしましたが 何の本から

       その当時一部引用したのか不明  

  

 

 


バイク、オートバイ

2009年09月24日 | 親父の遊び心

 

  (*^_^*)親父 明日ブログ更新出来ないので   25日のブログとして読んでください(*^_^*)

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  今朝取り外したCT80用クローラー(2回目終了)は工場外に出し

  片方のクローラー2回目の修理に入る(今夜に加硫する)作業方法は書き込んでいる

  写真は古いゴムを剥ぎ取り終え芯金の錆取り作業中である

  ピンボケして入る様ですが残っているゴム多少削られるので煙が出る

  親父 最初の頃はゴム焼ける臭い好きでなかった

  商売なので慣れなければ・・・・と思いつつ自然になれた親父

  シルバーウィーク前に作業していた親父のもう一つの仕事

  「シュレッター」のシャフト加工  月一回の納品日である

  以前は50~60点の部品加工を「じいちゃん」と共に加工していた

  今は親父 切削加工はやめようと考えているので仕事は増やさない

  残りの一点だけとなり クボタ SR75クローラー加硫している時間に急いで納品する

  親父 子供の頃からバイクが好きだ

  親父の年代の方はバイクは「ダッダッダァ~」若い方は「ブン ブン ブーン」

  高校時代は「ホンダCB750」「カワサキW1S,W1SA]「スズキGT750」のバイクを

  各メーカー競って出し 大型バイクの全盛であった

  当然 大型バイクは買って貰えなかった 唯 大型バイクを見ては指を咥えて見ていた

  親父働くようになり30~40歳の時迄にその指を咥えて眺めていた「大型バイク」を

  買い求めた

  「ホンダCB750]「カワサキW1SA]「スズキGT750」「ヤマハ650XS1 (緑色で

  前輪ブレーキ ドラム式)」「ヤマハYD125?赤トンボ」「ラビット スカーレット50cc」

  「スズキ バンバン90cc、125cc」「ホンダCB450、350」他足替わりの50cc

  車は車庫から出され 以上のバイクを並べては楽しんだ  じいちゃんには

  「ほで集めて何すんなだぁ~」と言われ 隣近所からは「バイク屋すんなだがぁ~」

  と言われた事を思い出す

  時進むにつれ車社会となり000君も車を持ち 仕事車含め6台となり

  バイクを置く処無くなり「譲ってくれ!」の方々に一台又一台と売却してしまった

  今現在 親父持っているのは「カワサキ W1SA]「カワサキ W3 サイドカー付」

  「ラビット スカーレット50cc」の三台だけとなってしまった

  そのバイク好きの親父を000君 子供の時から見ている

  その親父「バイクはあぶなえからよぉ~ のんな!」と言える訳ない かあちゃんに

  許可もらい 000君幼稚園児の時にこのバイクを買い与えた

  子供からバイクに乗せると「バイクは危ない!」を知るであろう・・・親父の考え

  このバイクは受注生産であり数十年の年月が経った

  さすが000君 「ホンダ QR50」に乗る気はしてない?  給料取れる様になり

  この大型バイク「カワサキ W650KLEEN(W1レプリカ)」を購入する

  新車時でキャプトンマフラー、その他の部品を交換現在乗っている

  親父も乗ってみるが やはり親父の「W1SA,W3」よりは大人しく乗りやすい

  親父の「W1SA,W3単体」は事務所の隣の部屋でお休みしている

  側車のフレームは仕事で使う冷蔵庫の上 船は油圧プレス機の上で出番を待つ

  ・・・・・・・・・・・・・・

  W1に興味ある方に「W1の技術文化史」の本より抜粋しブログを更新します・・・親父

       興味ある方 ブログでなく他の手段ででも連絡取れる事望みます