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木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

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銀河鉄道における正解とは何か(3) アカラサマニアリエナイ

2012-08-17 10:26:09 | ちょっと一言
話が銀河鉄道なだけに、大幅に脱線してしまった
ジョバンニはなぜネコか、問題である。

さて、口裂け女の話はともかくとして、
現代社会は、何かを積極的に表示することがとても難しい時代である。

積極的に表示することが難しい、とは、
「普遍的な正義の内容」とか、
「あなたのためになることの内容」とか、
「日本一の美男子」とか
そういった事柄について、
「これがそれだ」と表示しても、
なかなか人々のコンセンサスが得られないということである。

例えば、
「正義とは、リベラリスムだ」といった主張をすると、
「はあ?欧米中心主義者め。」といった反論が飛んでくるし。
「正義とは、市場競争だ」といった主張をすると、
「はあ?市場なんて、財産配分の一つの方法にすぎないっしょ。」といった反論が飛んでくる。

しばらく前から、文学賞の受賞作を選んでいても、
人の意見を批判することだけは、みんなやたらうまくて、
積極的に意見を言わずに、人の批判をしていると
何か、そいつが偉いと言う空気が流れてイヤになる、
とは、筒井康隆先生の言である。

そういう空気がいつ始まったのかを正確に計測することは困難であり、
ソクラテスの時代だという説と、
秦の始皇帝の時代だという説と、
ナポレオンが島流しになった時だという説と、
ウィーン会議でベートーベンが評判になった時だと言う説と
メッテルニヒが大事にしていたペン先を失くした時だと言う説と
マルクスがレモネードを飲みすぎて、水が飲みたくなった時だと言う説と、
カラヤン氏が亡くなった時だという説等に分かれている。

まあ、とまれ、これがそれだ、と言うのが
かっこ悪い時代において、
比較的説得力を持つのが、
「俺は、これが説得力がないことを知っている」とか
「これは、別に普遍的真理ではなく、俺の意見にすぎないが」とか、
そういう前提で、何かをしゃべる人である。

例えば、最近の功利主義の隆盛は、
功利主義(幸福の総計の最大化すなわち正義なり主義)の
あからさまな正義論としての弱点(個人を何だと思っているのだ?)に

「私は、そういう批判があることを知っているが、
 だからなんなのだ?」

と正面から開きなおる態度が
妙な説得力を生んでいるからだ、とは、倫理学者の間の通説に近い定説である。
安念先生的な意味での判例だと言ってもいいだろう。
(まあ、通説判例だから、何なのだ、と言う問題はあるが)

つまり、
「お前はこれが普遍の真理だというが、
 お前個人の意見だろう」とか、
「お前はあなたのためだというが、
 本当はお前のためだろう」とかいう批判に
説得力が生じやすい時代には、
むしろ、正面からあからさまに弱点を認める態度が
逆に共感を生む、ということである。

これがアイロニカルな没入を帰結してしまうわけである。

口裂け女がいるかどうかはともかくとして、
マジックで額に目を書くことが口裂け女に効く
というのはどう見てもあり得ず、
それゆえに、何かこう奇妙な説得力が発生するのである。

あからさまにありえないものが、
あからさまにありえないからこそ説得力を持つ。

なかなか興味深い現象である。