ちょっと前に書いたことなのですが、
最近、またご質問を頂くことが多くなっている問題として、
「二段階審査をする場合に、
後半の処分審査(適用審査)段階で、目的手段審査を
してはいけない」という主張をする先生がいるのですが、
それは本当ですか?
というものがあります。
この問題に対しては、
その先生がおっしゃる
「二段階審査」の意味を確認しないとお答えしようがありません、
ということになります。
そこで、ちょっと説明。
1 二段階審査の二つのタイプ
二段階審査と呼ばれる審査には、
Aタイプ
<第一段階>
法令の違憲部分を画定する審査をして、合憲限定解釈した上で、
<第二段階=処分審査A>
その処分を限定解釈された要件・効果にあてはめて適法性を審査する
というものと、
Bタイプ
<第一段階>
法令が全体として違憲であるかどうかを審査して、
<第二段階=処分審査B>
法令全体が違憲ではない場合に、その処分を基礎づけている法令の一部を審査する、
というものがあります。
一つ目は、このブログでは処分審査2、と呼ばれています。
この記事では、二段階審査Aと呼びましょう。
また、その後半部分を処分審査Aと呼んでおきます。
そして、後者つまり本来の意味での二段階審査を
二段階審査B(憲法の急所で言う二段階審査)と呼びましょう。
その後半部分を、処分審査Bと読んでおきます。
私が、多くの受験生の方とお話させて頂いた結果、分かったのは、
多くの予備校の先生やLSの先生が、
この二段階審査Aのことを「二段階審査」、
二段階審査Aの二段階目(処分が、限定解釈された法令に照らし適法かどうか)
の審査のことを「処分審査」と呼んでいる、ということでした。
*ちなみに、この意味での「処分審査」は、
二段階審査Bにつづけてやることもできる、というかやるべきなので、
法文違憲審査・処分を基礎づけている部分の審査・処分審査A
という三段階審査になるのです。
みなさまも、ご利用されているテキスト、調べて見て下さい。
「処分審査」のことを、
「本来合憲限定解釈すべきだったのに、しなかった処分」かどうかを審査することとか、
「法令は差別を許容していないのに、差別的に行った処分」かどうかを審査すること
などと説明されていたら、そのテキストは、
二段階審査Aないしその後半部分の「処分審査A」を説明している箇所です。
2 処分審査の目的手段審査
さて、このうち、処分審査Aでは、目的手段審査はしません。
目的手段審査は、憲法判断の方法であって、
処分審査Aは、
処分が根拠法の(合憲解釈された)要件を充たしているか否かの
適法性判断だからです。
なので、多くのテキストには
「処分審査Aでは、目的手段審査はしてはいけない」という趣旨の文章が
書かれています。
他方、二段階審査Bではどうかというと、
前半部分でも、目的手段審査をしますから、
ここで法令の目的については審査が行われます。
なので、後半部分で法令の目的について、再度審査をすることは
基本的にはない、ということになります。
手段審査だけ、やり直すわけですね。
ただ、前半部分の典型的適用例の審査は内容中立規制なので
目的の重要性が要求されるにとどまるが、
後半部分で審査される今回の処分が内容規制的なので
目的のコンペリング性が要求される
なんて場合には、目的手段審査をやりなおしたりします。
また、法令の部分審査という意味での処分審査(憲法の急所で言う処分審査)をする場合には
法令の憲法判断なので目的手段審査をしなければならないのは当然です。
なお、以上のような説明は
「学説の対立」があるような問題ではなく、
「判例・学説に関係なく、理論的に必然的な議論」だとされます。
なので、ここは、別に「木村説」を展開しているわけではなく、
既に証明された数学的定理の証明の解説だと思ってくれると、うれしいです。
というわけで、
「処分審査Aでは、目的手段審査をしてはならない」という趣旨の文章を、
「処分審査Bでは、目的手段審査をしてはならない」とか、
「法令の部分審査では目的手段審査をしてはならない」という趣旨の文章として
誤読しないように気をつけましょう、ということになるわけです。
ではでは、あびあんとー。
最近、またご質問を頂くことが多くなっている問題として、
「二段階審査をする場合に、
後半の処分審査(適用審査)段階で、目的手段審査を
してはいけない」という主張をする先生がいるのですが、
それは本当ですか?
というものがあります。
この問題に対しては、
その先生がおっしゃる
「二段階審査」の意味を確認しないとお答えしようがありません、
ということになります。
そこで、ちょっと説明。
1 二段階審査の二つのタイプ
二段階審査と呼ばれる審査には、
Aタイプ
<第一段階>
法令の違憲部分を画定する審査をして、合憲限定解釈した上で、
<第二段階=処分審査A>
その処分を限定解釈された要件・効果にあてはめて適法性を審査する
というものと、
Bタイプ
<第一段階>
法令が全体として違憲であるかどうかを審査して、
<第二段階=処分審査B>
法令全体が違憲ではない場合に、その処分を基礎づけている法令の一部を審査する、
というものがあります。
一つ目は、このブログでは処分審査2、と呼ばれています。
この記事では、二段階審査Aと呼びましょう。
また、その後半部分を処分審査Aと呼んでおきます。
そして、後者つまり本来の意味での二段階審査を
二段階審査B(憲法の急所で言う二段階審査)と呼びましょう。
その後半部分を、処分審査Bと読んでおきます。
私が、多くの受験生の方とお話させて頂いた結果、分かったのは、
多くの予備校の先生やLSの先生が、
この二段階審査Aのことを「二段階審査」、
二段階審査Aの二段階目(処分が、限定解釈された法令に照らし適法かどうか)
の審査のことを「処分審査」と呼んでいる、ということでした。
*ちなみに、この意味での「処分審査」は、
二段階審査Bにつづけてやることもできる、というかやるべきなので、
法文違憲審査・処分を基礎づけている部分の審査・処分審査A
という三段階審査になるのです。
みなさまも、ご利用されているテキスト、調べて見て下さい。
「処分審査」のことを、
「本来合憲限定解釈すべきだったのに、しなかった処分」かどうかを審査することとか、
「法令は差別を許容していないのに、差別的に行った処分」かどうかを審査すること
などと説明されていたら、そのテキストは、
二段階審査Aないしその後半部分の「処分審査A」を説明している箇所です。
2 処分審査の目的手段審査
さて、このうち、処分審査Aでは、目的手段審査はしません。
目的手段審査は、憲法判断の方法であって、
処分審査Aは、
処分が根拠法の(合憲解釈された)要件を充たしているか否かの
適法性判断だからです。
なので、多くのテキストには
「処分審査Aでは、目的手段審査はしてはいけない」という趣旨の文章が
書かれています。
他方、二段階審査Bではどうかというと、
前半部分でも、目的手段審査をしますから、
ここで法令の目的については審査が行われます。
なので、後半部分で法令の目的について、再度審査をすることは
基本的にはない、ということになります。
手段審査だけ、やり直すわけですね。
ただ、前半部分の典型的適用例の審査は内容中立規制なので
目的の重要性が要求されるにとどまるが、
後半部分で審査される今回の処分が内容規制的なので
目的のコンペリング性が要求される
なんて場合には、目的手段審査をやりなおしたりします。
また、法令の部分審査という意味での処分審査(憲法の急所で言う処分審査)をする場合には
法令の憲法判断なので目的手段審査をしなければならないのは当然です。
なお、以上のような説明は
「学説の対立」があるような問題ではなく、
「判例・学説に関係なく、理論的に必然的な議論」だとされます。
なので、ここは、別に「木村説」を展開しているわけではなく、
既に証明された数学的定理の証明の解説だと思ってくれると、うれしいです。
というわけで、
「処分審査Aでは、目的手段審査をしてはならない」という趣旨の文章を、
「処分審査Bでは、目的手段審査をしてはならない」とか、
「法令の部分審査では目的手段審査をしてはならない」という趣旨の文章として
誤読しないように気をつけましょう、ということになるわけです。
ではでは、あびあんとー。
小山剛先生の『憲法上の権利の作法』では、保護範囲、制約、正当化を検討するのが「三段階審査」であって、平等の場合に、別異取扱い、正当化しか審査しないことをもって「二段階審査」とされています。
憲法の急所で「二段階審査」という用語を一番最初に読んで以来、困惑し続けているのですが、もう違憲審査基準うんぬんで惑わせるのもどうかと思うので、この際、統一したらいかがですか?
すなわち、この記事で用いられている、二段階審査Aは、別に何のことはない合憲限定解釈+あてはめにすぎず、これを「二段階」という用語を用いて表現するのはやめませんか?
二段階審査Bも、法令審査+単純に当該処分の審査であって、どちらが先か、ベースかという「段階」という概念に馴染まないのではないでしょうか?
また、アメリカ憲法学では上記の二段階審査ABを、「段階」という用語を用いて整理していますか?
ドイツ憲法学では、保護範囲、制約、正当化の「三段階審査」以外に、同様の単語を用いて「二段階審査」なんて使っていますか?
法解釈の世界では、用語は統一的である必要があると思います(安念潤司先生の例の論文参照)
いかがでしょうか。
二段階審査Aのことを二段階審査と表現する人が多くて、
私も困っております。
そういう人がいたら、ご指摘してあげてください。
二段階審査という言葉は、
一般的な用語法に合わせて
この記事でいうBのことだけを言うと考えるべきでしょうね。
ちょっと誤解されていると思うのですが、
二段階審査Bというのは
「法令審査+処分の審査」ではなくて
正確には
「法文違憲審査(典型的適用例を基礎づけている部分の審査)+当該処分を基礎づけている部分の審査」ですね。
法令審査したら、後段で処分審査する意味がなくなってしまう点に注意っす。
あと、まあ実体的な憲法判断の手順(三段階審査論に言うところの三段階)のことと、
憲法判断から違憲判断の除去をするという手順のことを
同じ言葉で表現するのはあまりよくないですね。
というわけで、三段階審査の方は、
「三段階の実体審査」、
二段階審査Bのことを
「法令・処分の二段階審査」くらいに表現する
方が、適切な訳語でしょう。
ただ、私が言いたかったことは、上記の二段階審査B、すなわち、「法文違憲審査(典型的適用例を基礎づけている部分の審査)+当該処分を基礎づけている部分の審査」を行う場合にも、「二段階」という表現を用いるのはおかしいのでは?ということです。
三段階審査はおそらくドイツ語では「Dreistufentheorie」ないし「DreistufenPrufung」、「stufen」というのは等級、段階、というものですよね。
それは、順序を追うという語のイメージを含むと思います。
これに対し、上記の二段階審査において、法令において当該処分を基礎づける部分を審査するという作業と、法文自体の審査は、結局同一の法令のレベルで審査を行うものにすぎず、段階を経て、順序を追ってなされなければならない審査なのかという点に疑義があります。
なぜなら、法文の適用例に特殊な要素を含む場合、法令自体を争うことが常に要求されるとは限らないからです。
そのため、この場合には「段階」なんていう言葉を用いずとも、「法令及び処分の両方を審査する」とか、より適切な用語を用いるべきだと思います。
以上から、二段階審査とは、実体法の三段階審査に対応させて、別異取扱い→正当化、という二段階に限定して用いるべきではないかと思います。
受験生はただでさえいろんな審査に惑わされていて、そんなの司法試験が要求していないにも関わらず、学説に捉われてばかりで、本当大変だと思います。
「判例はカミ、学説はゴミ」なのに、審査基準の言葉で惑わされて本当に可哀想です。
以上、どうか、日本の憲法学界において、基本的な用語ぐらい全国統一してください!というお願いでした。
「同一の法令のレベルでの審査」ではないですね。
その意味をもう少し考えて頂けると
段階という言葉を使ってもおかしくないということが分かると思います。
あと、私は平等権の専門家ですが、
実は小山先生の用語法には若干違和感がありますが、
研究者が明示的に用法を示したうえで使っている
言葉なので、特に問題視する必要もないかと思っております。
学説の用語法は、指示対象が明確ならよいはずで、
私の二段階審査の用語法は、トムさんを含め、多くの読者に伝わっていると思います。
まあ、ちょっと落ち着いて考えてみてください。
あ、あと、安念教授の御言葉は、
そんなに真剣に受け止めない方が(受験戦略的にも、実務的にも)
よろしいと思います。
学説をきちんと調べなかったために、
非常に初歩的なミスをしてしまい
上級審に訂正される裁判例もけっこうありますので。
「判例はカミ、学説はゴミ」というのも
一つの学説です。
カミのような判例と学説があり、
ゴミのような判例と学説もある、が通説・判例ですね。
まあ、学説や判例がとる見解は対立するはずのもので、
理論的に優れた学説を選択する能力も
司法試験で問われているのだと思います。
安易に受験通説の統一を求めるのは、
あまりよろしくないと思うなあ。
ではでは。
初めて質問させていただきます。
いつも興味深くブログを拝見させていただいております、急所愛読者のLS二年生です。
審査手法について、一点疑問がございます。
被告人の主張として、二段階審査をもって攻めるとして、法令全部違憲の主張→全部違憲でないとしても類型的に違憲(芦部第一類型)→類型的に違憲でないとしても個別具体的に違憲(芦部第三類型)の組み立てはおかしいのでしょうか。
本記事では紹介されていないように思われるのですが、それは被告人主張の組み立て方としては、適用違憲か処分違憲かのどちらかでいいということでしょうか。
私は、それについて以下のような疑問を抱えております。
具体的には、適用違憲は法が予定する制約手段の類型が違憲かの判断であり、処分違憲は個別具体的な判断である。
前者では違憲を示す過程では、個別具体的事情は考慮されない。考慮されるのは、違憲部分とされた類型について、該当するかどうかの認定においてのみ。
後者では、個別具体的事情の判断なので、違憲を示す過程で考慮してよい。
ここまでは大丈夫でしょうか。
大丈夫だとすれば、そうした違いがあるにもかかわらず、適用違憲の検討の後に、処分違憲の検討を不要ならしめるのは、以下のような類型化に関する考え方によるのではないでしょうか。
つまり、麻薬取締法(のうち所持を処罰する規定)の適用によって、歴史上麻薬の使用を宗教的儀式に不可欠とする宗教団体の長の信仰の自由が制約されているケースを例にすると、
U+2460単に信仰の自由のための所持、U+2461所持を不可欠とする信仰の自由のための所持、U+2462常時ではなくあるひとつの宗教的儀式において、歴史上麻薬利用が不可欠とするその長の信仰の自由としての所持の類型判断が考えられます。
そしてU+2462の判断が「類型判断」として許されるならば、それはたしかに処分違憲の検討は実質上ほぼ同じことになり不要との見解も、細かいところでは差異があるとおもいますが、一応納得できます。
しかしU+2462までいくと、類型とは最早いえないのではないでしょうか。
そしてその発想は違法責任「類型」判断としての構成要件の意義を無視しているのではないでしょうか。
また、被告人の攻め方としても、違憲な部分が広いところから、違憲な部分が狭いところにいわば引き退がる形での主張をしたほうが、勝ちたい被告人の心理にかなう。
つまり、全部違憲→でないとしても類型的に違憲→でないとしても個別具体的には違憲との主張。
こうするべきなのではないでしょうか。
本記事で紹介されている二段階審査Aは、法令審査をし、限定解釈すべきか、またできるかとなっております。
ここで限定解釈できる場合、たとえば被告人の弁護人は、被告人の行為が構成要件などに該当しないと主張するとおもいます。
そのあと、仮に構成要件に該当するとしても、本件被告人の行為は違法性を欠くとして、そこで処分審査をするのはおかしいのでしょうか。
つまり、法令全部違憲の主張→法令全部違憲でないとして一部違憲の疑いのある類型があるので限定解釈すべきである。そして問題の行為は構成要件にあたらないとの主張→構成要件にあたるとしても違法性を欠くとの主張
と構成することはおかしいのでしょうか。
長々とすみません。
なにとぞよろしくお願いいたします。
テレビは全感覚を要求しますからねえ。ははは。
さて、ご質問の点ですが、
私は、ご指摘のような「宗教儀式としての麻薬使用」は
十分に類型化できていると考えます。
法命題中で「類型化できているか否か」の判断
イメージでやるものではなく、
「その類型中に、固有名詞を含んでいるか否か」という基準によって行うものなのです。
ご指摘の類型も「A教」という固有の教団名は重要ではなく、
宗教儀式として、と言い換えられるものなので、
類型化されていると言ってよいでしょう。
過去の記事でも書きましたが、
芦部第三類型の定式は、理論的には多くの問題を抱えているとされ、
理論研究の最前線では、
その枠組みを維持しようとする人はいなくなりつつあるわけです。
こんなお答えでどうでしょう?
お早いご回答ありがとうございます。
ラジオ、良いですよね!
そういうことだったんですね。
確かに感覚的なもので捉えておりました。
1.類型化について
では、あえてそこまで類型化せず、信仰の自由のための麻薬所持という類型で審査することにはそれほど意義はないのでしょうか。
法令全部違憲→ある程度抽象化した類型→相当に具体化した類型と審査することで、
順に違憲の範囲は狭まっていくと思います。
勝ちたい被告人としては、最後の審査に力点をおきつつも、前二者の主張をしようとは考えられないでしょうか。
ズレた疑問かもしれません…。
2.処分審査などについて
私は芦部類型1.2は、主に構成要件該当性の検討、類型3は違法性の検討と位置付けておりました。
これは木村先生のご提示されている考え方とは異なるように思われますが、やはり間違いなのでしょうか。
類型化を固有名詞を除く限りで具体的にしてもよいということなら、憲法判断は構成要件該当性につきるということになり、違法性で具体的個別的事情をみることに意義がないということでしょうか。
連投ですみませんが、よろしくお願いいたします。
私は、ご指摘のような「宗教儀式としての麻薬使用」は
十分に類型化できていると考えます。
とご回答してくださいましたが、これは
常時ではなくあるひとつの宗教的儀式において、歴史上麻薬利用が不可欠とするその長の信仰の自由としての所持
が類型化できている、ということでよろしいですか?