goo blog サービス終了のお知らせ 

木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

これまでに、たくさんのご質問、コメントを頂きました。まことにありがとうございます。 最近忙しく、なかなかお返事ができませんが、頂いたコメントは全て目を通しております。みなさまからいただくお便りのおかげで、楽しくブログライフさせて頂いております。これからもよろしくお願い致します。

突然ですが、名人戦の中継です。

2012-01-10 19:39:50 | Q&A 採点実感
佐渡先生の講義の実況中継中ですが、
ここで、名人戦第5局、
採点 実感 名人 対 挑戦者 法務 博士 八段
の中継のお時間です。

解説は、ツツミ九段とキムラ八段です。

ツ「いやあ、難しい手が出ました。
  はい。先ほどの名人の一手。

 ▲原告の主張を展開すべき場面で,違憲審査基準に言及する答案が多数あった。

  ですね。」

キ「はい。いやあ、すごい手です。今期名人戦の中でも、もっともスゴい手と言えるでしょう。
  法務博士八段、違憲審査基準に言及しないでどうやって書くんだ、
  と、長考に沈み、ようやくひねり出した手が、

 △あのお、いったい何をおっしゃっているんですか?

  です。はい。相手が何をやっているか分からないときの手渡しです。」

ツ「しかし、さらに名人のたたみかけです。

 ▲違憲審査基準の実際の機能を理解していないことがうかがえるとともに,
  事案を自分なりに分析して当該事案に即した解答をしようとするよりも,
  問題となる人権の確定,それによる違憲審査基準の設定,事案への当てはめ,
  という事前に用意したステレオタイプ的な思考に,
  事案の方を当てはめて結論を出してしまうという解答姿勢を感じた。


  ふーむ。何をいっているんでしょう?」

キ「どうも、いわゆるステレオタイプ答案を批判しているようですが、
  これは、違憲審査基準論(芦部憲法)をとっぱらって、
  三段階審査でいけ、ということでしょうか?」

ツ「いや、違うと思いますよ。三段階審査でも正当化の枠組みで
  統制密度と言う話になるので、問題となる人権の画定、
  統制密度設定、事案の判断という流れは変わりません。」

キ「ははあ。いったいどういうことでしょう?」

ツ「挑戦者長考中なので、ちょっと、盤面を進めて見ましょうか。
  ええと、問題を、名人がお怒りの方向で解いていくとどうなるでしょう?」

キ「はい。そうですねえ、法は
  『個人に関する情報が公にされることによる被害』の防止を目的としていて、
  『被害』を受けた者からの申し立てによって、国が措置を命じれると
  まあ、こういうことです。」

ツ「本当に漫然と、ということになりますと、
  ①原告側の行為は、なんとなく表現っぽいですから、表現の自由が制約されている。
  ②これは自己実現・自己統治のための重要な権利だ。
  ③本件は流す情報の内容に着目した規制なので、規制態様も厳しい。
  ④目的がやむにやまれぬ政府利益で、手段は必要最小限度でなくてはならない。
  ⑤個人情報が公にされる被害なるものは、やむにやまれぬものとはいえない。
  こんな感じですか?」

キ「いやあ、きれいに決まったように見えるんですが。
  これがステレオタイプ答案なのでしょうか?
  おや、挑戦者指しました。

  △①から⑤で何が悪いんですか?

  お、我々の読み筋(予想回答)通りですよ。」

ツ「いやあ、はたでみてるだけの人の手が当たり始めると
  危ないんです。おや、名人、いとも簡単に切り返してますよ。」

  ▲そのようなタイプの答案は,本件事例の具体的事情を考慮することなく,
   抽象的・一般的なレベルでのみ思考して結論を出しており,
   具体的事件を当該事件の具体的事情に応じて解決するという法律実務家としての
   能力の基礎的な部分に問題を感じざるを得ない。


キ「わはは。我々やっちゃいましたか?」

ツ「はい。やっちゃいました。名人がお怒りの答案って、①から⑤じゃないですか。
  わはは。」

アナウンサー「あのう。
  キムラ八段、ツツミ九段、なにがやっちゃったのか、ちゃんと説明して下さい。」

キ「あ、すいません。
  あのですね、①から⑤の論証って、この事案の特有の事情って
  ほとんど何も出てないじゃないですか。
  この事案だと、例えば、①のところで、
  インターネットに写真を掲載する、っていう行為が
  いったいいかなる行為か、従来『表現』に包摂されてきた行為と
  同性質のものといえるか、って議論しなきゃいけないんですよ。」

ツ「はい。こういうのって、もう、単純に違憲審査基準めがけてつっぱしっているだけで、
  『原告の』特有の事情を踏まえた『主張』を書かなきゃいけないところで、
  いきなり『違憲審査基準』だけ書いてるように見えるわけです。」

アナ「これの、どこが違憲審査基準の機能を理解していない
  ってことになるんですか?」

キ「はい。違憲審査基準の機能というのは、
  厳格に審査すべき権利の制約がある事案のときに、
  クリアしなければならない要素を明確にする、っていう要素があるわけで、
  そういう機能を発揮させていいのは、
  厳格に審査すべき理由がちゃんと説明できた事案だけなのですよ。」
 
ツ「②や③だけだと、抽象的で、その具体的事案が、
  そういうケースにあたる、って論証にぜんぜんならないわけです。
  名人の指す手に、意味がないわけないじゃないですか。」

キ「あとですね、この問題で、違憲審査基準にこだわりすぎますと、
  ⑤のいわゆるあてはめ段階でも、問題が起きるわけです。
  この事案特有の問題として、このシステムだと、
  ものすごくいろんな種類の情報が写りこみますよね。
  どうでもいい情報から、重大事件の現場まで。」

ツ「これに対して、保護法益の側もほんとにいろいろなんですよ。
  この事案で、プライバシー侵害が生じるわけですが、
  家の外観が公開された、庭の様子が公開された、
  家の中の様子が公開された、家の中でだらしない格好してる姿が公開された
  とまあ、プライバシーといってもいろいろあるわけです。」

アナ「私のようなアマチュアには、ちょっとイメージしにくいのですが。
   具体的に言いますと?」

キ「そうですね、たとえば、、、、 
  まず、被侵害利益が『重大な利益』だから、重大目的でないと制約できない
  と硬直的な基準を立てると、どうでもいい写真の公開についても
  そういう硬直的基準になっちゃうわけです。」

ツ「保護法益側もそうで、プライバシーって括ってしまうと
  重要な利益からそうでもないものまでいろいろ含まれてしまいますなあ。
  なので、目的手段審査の目的審査を
  『その情報を流通させる利益よりも、
   その被害を防止するという目的が重要であること』という
  細かい形で厳密に書かないと、非常に大雑把な答案になってしまうわけです。」

キ「ですから、名人のあの一手は、
  ちょっと我々の意表を突くものではありましたが、
  過去の棋譜を検討する限り、
  違憲審査基準を書くな、という意味ではないように思います。」

ツ「はい。違憲審査基準以外のとこが何も書いていないステレオタイプの批判なわけですが、
  あたかも違憲審査基準論の全てが悪いように見える、陽動的な一手です。」
  

アナ「やはり、伝統的最高峰、名人戦。奥が深いですね。
   名人の読みは、挑戦者を上回るクリアさだったということでしょうか。
   本日は、ツツミ九段、木村八段、解説ありがとうございました。」

これ、アカハラだろ(4)

2012-01-09 08:35:06 | Q&A 採点実感
さて、佐渡先生の解説も宴もたけなわなわけだが、
ここで佐渡先生は、「ここまでで何か質問のある人いる?」と、言った。

そんな勇気のある奴は、おるまいと思っていたところ、
端っこの方に座っていた、フジイ君が手を上げた。
あいつは、いつもモジモジしてるくせに、
「この答案のページ数じゃ、ぼくの情熱を表現できません」等の傲慢な発言を平気でする、
ある意味では、度胸のある奴なのだ。

「あのー・・・・・・。先生さきほど
 『自由ないし権利は憲法上保障されている,
  しかしそれも絶対無制限のものではなく,公共の福祉による制限がある,
  そこで問題はその制約の違憲審査基準だ。』的なステレオタイプがだめだと
 おっしゃいましたが、じゃあ、
 『自由ないし権利は絶対無制限だから
  違憲審査基準なんかどうでもよく、この規制は違憲だ』って書けば
 いいんですか?」

 ・・・。フジイ、それは違う。
 多分、佐渡先生が怒っているのは、
 本当に『』内の表現を、本当にそのまま書いて、
 権利の保障根拠も、保護範囲(保障内容)も、制約の認定も
 何もしないで違憲審査基準の設定をはじめる答案なんだよ。

 電撃戦答案というのは、
 違憲審査基準の設定までは結構がんばっていい感じにくるのに
 あてはめが三行で終わる答案である。

 これに対し、佐渡先生がステレオタイプ答案と呼ぶのは
 何の準備もなしに(『』内の1行で)、いきなり違憲審査基準に入る
 出会いがしらの一撃答案なのだ。

 佐渡先生は、フジイをにらみつけると、
 「アナタ、脳みそあるの?」と一言だけ言った。
 
 ツツミ先生は、「おい!憲法では、質問受け付けといて、
 無視してもいいのか?」と言った。もちろん、ダメだ。憲法とか民法以前に人として。

 うーん、例によって、ああいう言い方では、
 もはや違憲審査基準も三段階審査をやめて、利益考量論一本でやれと言っているようなもんだ。
 これは、芦部先生と小山先生に対する営業妨害・・・いや、
 ほとんど全憲法基本書・演習書に対する営業妨害だろう。



 さて、いいかげん疲れてきたので、隣の部屋に目をやると
 刑事訴訟法のタケオカ准教授も中間試験の講評をしていた。

 いま、「検察官の主張」と書くべき所で、「原告の主張」と書き間違えて
 おちこんでいる院生の机のところまでゆき
 「おいおい!書き間違えがなんだよ!大事なのはハートだろ!!
  お前のハートがこもっていれば、検察官も原告なんだよ。
  いや、ハートがあれば、原告だってビッグバンになるんだよ!!!
  答案は、お前の宇宙創造だ!」とわけのわからない励ましをしている。

 私も、著書で誤植が見つかったとき、タケオカ先生にそう励まされた。
 意味が分からない上に、原告と書くべきところでビッグバンと書いたらさすがに不可だ。

 しかし、なんとなく元気がでたので、私とツツミ先生は、佐渡先生の402教室
 に目を戻した。

 佐渡先生は、被告の反論についてコメントしている。

「アナタたち、被告の反論を表現する能力もさっぱりね。
 判で押したように,独立の項目として「反論」を羅列して。
 理論的な関連性が不明な項目の羅列。ほら、アカバネ立ちなさい。」

 アカバネ君が立った。

「いい。「あなた自身の見解」の中で,自らの議論を展開するに当たって,
 当然予想される被告側からの反論を想定しなきゃダメなの。
 アナタみたいに、ばらばらな書き方をすると,非論理的になるの。
 いや、違うわね。アナタがもともと非論理的だから、ああいう書き方になるのね。」

 アカバネ君は、立ったまま当惑している。
 佐渡先生は、続けた。

「アナタの答案、理論ってものがないわね。
 ヘドロのたまった池で泳ぐミドリムシの夢みたいな答案だわ。
 ほら、この反省文用紙に、『私はミドリムシでした』って
 100回書きなさい。」

   ・・・そんなことやるくらいなら、優秀答案を模写させろ。

  こう思っていると、ツツミ君は聞いてきた。
 「なあ、こういう問題だと、設問2は、
 <被告からは、こういう批判が想定される。→両者の主張に対し私は・・・>
 って書くもんじゃないのか?」

 「えーとだな、もちろんそれでもいいんだが、
  原告の主張っていうのは、
  ①権利の保障根拠示して、②保障内容画定して、③制約認定して
  ④保障の程度と制約程度から違憲審査基準か、⑤統制密度設定して、
  それで事案にあてはめて、っていう作業を全部やらなきゃいけないだろ。

  でも被告の反論って、
  いちいち表現の自由の保障根拠とかまで反論する必要はなかったりして
  原告の言うことの一部でも、筋の通った反論を示せればいいわけだよ。
  例えば、今回の問題で被告の独立の項目をつくると、
  保護範囲論と目的審査のとこしか書かれなかったりする。

  それに続けて、自身の見解は、まあ、原告とおんなじように
  ①から⑤全部書くよね。
  だから、自身の見解で①から⑤を論じて言って、
  被告の反論がありそうなところに、原告の主張に対しては
  こういう反論があり得る、って挿入した方が
  読みやすいってことなんだろう。」

 「でも、佐渡先生の言い方だと、むしろ、『自身の見解』に対する
  被告の反論を書けっていっているみたいだけど。」

 「それは違うだろうなあ。だって、請求棄却の論証する場合って、
  被告から反論こないだろ。
  多分、あそこで言いたかったのは
  『「あなた自身の見解」の中で,自らの議論を展開するに当たって,
    当然予想される「設問1で答えた原告の主張に対する」
    被告側からの反論を想定しなきゃダメ』ってことだろうな。

  もちろん、請求を認容する場合には、自身の見解に対しても
  被告、というより反対説からの批判があり得るから、
  それに一言できていれば、より深みはますだろうけど。」

 というわけで、佐渡先生の講評は、いよいよ法令違憲・処分違憲である。



・・・・・・・・・・・・・・・

 今回の連載ですが、ちょっと説明させていただきます。

 もともと、採点実感とは何の関係もなく、
 ドSの佐渡教授が授業やってる状況というのが
 面白そうだなあ、と構想をあたためていたところでした。

 そして、採点実感を読んでみたところ、
 誤解招くのも多いなあ、と思い、
 佐渡先生のキャラクターをあてはめて、滑稽に解説してみようと思ったわけです。

 ここに「採点実感は受験生に対するアカハラである」というメッセージを
 こめようという意図は全くなく、
 「これアカハラだろ」、というのは、
 単純に「佐渡先生」へのつっこみにすぎませんでした。

 ところが、読者の方から、
 採点実感を書かれた試験委員に対するアカハラの指摘もあるのですか?
 というご質問を受けまして、確かに、そう読める、と反省した次第です。

 また、今回の記事は、思いの外、多くの方に読んでいただいているようで、
 (昨日の閲覧数は普段の4倍でした)、
 私の意図について、きちんとしたご説明が必要と思い、少し書かせて頂きます。

 
 私は、採点実感には、批判があります。

 採点実感の一部の記述は、観念的かつ抽象的にすぎ、
 ここまで書いてきたような116答案・電撃戦答案・出会いがしら答案等がダメだ、
 と言いたいはずなのに、
 「違憲審査基準」「実質的関連性」「統制密度」などの言葉や発想を使うことが悪い
 という印象を与える記述になっています。

 当然のことながら、これらの用語・発想を使わずに、
 法科大学院で憲法の講義をすること、憲法の基本書を書くことは不可能です。

 もちろん、受験生の方は、採点実感を無視できませんから、
 結果として、法科大学院の憲法講義や憲法基本書に疑念を持たざるを得ず、
 他方で何に頼ってよいのか分からないという状況に置かれます。

 数千枚の論述式試験答案に目を通すというのは苦しい作業だと思います。

 しかし採点実感を書く際には、具体的に、
 読み手の受験生の方に伝わるように書いてほしいですし、
 実際、今回の採点実感の記述の中には、受験生の成長のために何が必要かを考え、
 具体的にどういう答案を書いてはいけないのか、
 実務家になるためにどういう能力を身につけてほしいのか、
 を書いてくれているものも、多くあったように思います。

 以上が、私の採点実感に対する批判です。

 というわけで、批判はあるのですが、
 採点実感をアカハラだと非難する意図はございませんので、
 今回の連載のうち、アカハラ非難部分については
 純粋に「佐渡先生」へのツッコミと思って読んでいただければと思います。

 難しい問題・論点が多く、あまりてきぱきと書けないかもしれませんが、
 しっかり完結させようと思いますので、暖かく見守って頂ければ幸いです。

これ、アカハラだろ(3)

2012-01-08 07:37:29 | Q&A 採点実感
佐渡先生は、続いて訴訟形態の書きもらしについて
一通り、院生を罵倒した後に、原告の主張についてのコメントに入った。
これ以上のアカハラの描写は、さすがに読者の方も辟易すると思われるので、
しばし箇条書きで進めていこう。

「原告側の訴訟代理人は,重要な憲法判例を知っていて、
 主要な学説も知っていると措定しているの。
 何でも主張すればいいってわけじゃないのよ。」
           ・・・・・と言って、ササヅカ君に
           「アナタ、弁護士になったら『有害』ね。」と一言。

  まあ、それはそうだ。
  営業の自由の方が審査基準が厳しいという逆二重の基準論とか、
  生活の平穏への権利は保護されないという自説は、書くだけ無駄だ。

「表現の自由で構成するか、営業の自由で構成するか、への意識が足りず、
 営業の自由・知る権利のみを記載する答案はセンスが悪い。
 わざわざ弱い権利を主張してどうするわけ?」
           ・・・・と言ってハツダイさんに
           「アナタ、法曹としての当事者意識が欠けているのよ。」

  原告としては、できるだけ厳しい審査基準・統制密度の設定
  あるいは、比較考量で有利になるよう失われた利益が大きいことを強調したい。
  本件は、多分、職業選択自体の規制ではないから、
  21条1項の権利制約を主張してほしい、ということだろう。

「特にインターネット上で地図とリンクさせる形で画像を提供することの意味を
 十分に掘り下げて展開している答案が非常に少なかった。」
           ・・・・こう言って、サクラガオカ君に
               いわゆる論証パターンをまとめたノートを捨てさせる。

  設問の事案に即して,情報提供の自由とプライバシーの権利との調整について,
  インターネットの特性を配慮しながら綿密に論じる答案を
  書いてほしかったということだろう。

  ただ、こうやって、事案の特性、インターネットの特性とか、
  そういうことを強調すると、違憲審査基準とかを論じちゃいけない、
  と勘違いされないだろうか?

  多分、佐渡先生が原告について求めているのは、
  原告の行為が、「表現」(21条1項)に包摂される理由になるという論証、
  それを踏まえた厳しい基準の設定、
  目的手段審査や処分審査の中で、事例における特性を抽象論に結びつける議論だ。
   (ここでツツミくんが、二段階審査のあり方について聞いてきたが、
    それは後述予定だツツミ君。)

「表現の自由に言及しているものについても,
 ユーザーの「知る権利」を中心に論じたり,
 Z画像機能の提供が,X社の「自己実現の価値に資する」とか,
 「民主政治の過程に資する」などと論じるのがおおいの。
 こんな論証、辟易だわ・・・。」
                ・・・・こう言って、深いため息をつく。

  ふーむ。単純に、路上の様子を見ることが「知る権利」に資する
  って書いた答案が多かったのだろう。
  何の理由もなしに、この情報は「自己統治」とか言ったら、
  それは、多分、だめだろうなあ。

  家の中の様子が写りこむと言っているが、
  「自分の知らない地域の生活の様子を知ることは、
   国民の相互理解を促し、国政上の判断のために有益だから
   自己統治の価値を有する」とか、
  「公道上から、人々の様子を観察し、
   自らの創作活動に役立てることは自己実現の価値を有し、
   本件画像はそれを補助するものだから、
   一見、知る権利とは関係ないように見えて、
   実は、知る権利に奉仕する情報である。」みたいな具体的な理由なしに
  この情報は知る権利、自己統治とか書いたらだめだ、
  ということだろう。

  しかし、ああいう言い方じゃあ、自己実現とか自己統治とか知る権利とか
  そういう言葉を使っちゃいけないみたいに聞こえるだろう。


  「インターネットによる地図検索システムの提供という権利について,
   本件情報伝達が、典型的な表現の自由と対比させつつ,
   いかに具体的に論理的な考察や検討を展開するかによって,
   答案の迫力に明らかな差が出てきていた。」とか
  「報道の自由と比較しつつ,情報・事実の伝達という点で共通する一方,
   それぞれの目的や自己統治の価値との関連性の程度等に差異があることに
   触れているものや,
   インターネットにおいては送り手と受け手の立場に互換性があること,
   インターネット特有の利便性があること,
   それゆえに容易に二次的利用等による弊害が拡大するおそれがあること等を
   丁寧に論じているものは,平素から正しい方向性をもって学習が進められ,
   出題の意図を正確に理解しているものと感じられた。」とか、
   良かった論証を具体的に示してほしいものだ。


「制約される人権として営業の自由を立てながら,
 法令違憲の理由として,「届出がいけない」,あるいは「営業中止がいけない」など、
 およそ現実的でない議論をしている輩も多かった。」
                 ・・・こう言って、こういう答案を書いた
                 院生に手を上げさせる。
  
  
   これは多分、届出制一般がいけないとかっていってしまったんだろうなあ。

「国家賠償請求との関係で営業の自由侵害の主張はあり得るが,
 その点で適切な論述をした答案は皆無だったわ。
 あなたたち、国賠のこと分かってる?」
                 ・・・こう言って、行政法教授のことを罵倒。

   うーん、正直良く分からんなあ。
   多分、営業損失を求める国賠なら、営業の自由の侵害を主張する必要がある
   ということだろうか?
   しかし、報道の自由の侵害を理由に、その損害評価として営業損失を
   計上しても悪くはないと思うんだが。
   ・・・いや、そうか、国賠で、営業損失を上げ忘れてた答案が多かった
   っていっているのか?多分そうだな。

「法人の人権享有主体性とか、検閲とか、どうでもいいのよ。」

   どうでもいいというのは、まあいいすぎだが、
   この事案で、これを長々と論じても、
   判例上、法人だけど主張OK、検閲なわけねーじゃん
   で終わるからなあ。

 さて、ここまでは、まあ理解できなくはない話であったが、
 佐渡先生は、ここでいっきにヒートアップした。
 (ここまでがまだ肩慣らしなのだから、確かにヤバイ講義である。)

「タマザカイ、立ちなさい。
 何、この『表現の自由は,精神的自由なので裁判所の審査になじむ』って論証?
 『精神的自由以外の人権制約は裁判所の司法審査になじまない』とでも、思ってるの?
 司法権の限界、分かってる?」

 タマザカイさんは、ぶるぶる震えている。
 二重の基準論を表現したくて、
 佐渡先生お怒りの表現を使ってしまったのだろう。

 佐渡先生は、冷たい視線を送ると、「不可・・・確実ね」と言った。

 成績評価は成績表でやってもらいたいもんである。
 佐渡先生には表現の自由があるが、院生にもプライバシーというものがあるのだ。

 さて、多分、佐渡先生は、法的権利(憲法上の権利も含む)の侵害の有無についての争訟は
 法律上の争訟なので、司法権の対象になるはずで、
 「裁判所の審査になじむ」という表現は、法律上の争訟で司法審査の対象になる
 と言う意味で使うべきだと言っているのだろう。

 確かに不注意な表現ではある。
 恐らく、『表現の自由は、精神的自由であり、その侵害は民主的政治過程の中で
 回復困難だから、裁判所が<厳密に審査すべき>』と書くべきとこだったのだ。

 <厳密に審査すべき>あるいは<厳密な審査になじむ>と
 <審査になじむ>では、同じようでいて
 結構違う。こういうところの神経の使い方のなさに、
 佐渡先生はイライラしたようだ。

 私の経験からすると、こういう文章を書いてしまう人は、
 全体に、緻密でない表現が多くなりがちである。
 (例えば、
  「表現の自由に反する」→「表現の自由を保障する21条に反する」と書いてほしい
  「目的が違憲である」→「目的自体が不当で、それに基づく本件規制は違憲である」
             と書いてほしい)
 こういうのは、答案全体の印象がすごく悪くなることが多いのだが、
 例によって、あんな言い方じゃあ、
 「審査になじむ」って書いたから、不可だと思うだろう。嗚呼。

 そして佐渡先生は続けた。

「それにアナタの答案、
 違憲審査基準の展開に終始して、具体的な事情は一切触れてない。
 アナタみたいな答案はねえ、結局「実質的な関連性」みたいなテクニカルタームだけの
 中身のない議論なの。
 いい、今回は、表現の自由と本件におけるプライバシーの権利の調整が必要なのよ。
 何にも事案がわかってない。分析ができてない。」

 うーむ。タマザカイさんは、多分、表現の自由の制約だから厳格審査と設定し、
 何の理由もなしに、本件規制は厳しすぎて実質的関連性がないから違憲と
 処理したのだろう。審査基準の設定から1行。ものすごい電光石火だ。

 違憲審査基準を設定したら、そこから3行の電光石火で終わる答案。
 
 これが俗に言う電撃戦答案である。
 そして、こういう答案は、確かにマズい。
 
 佐渡先生は、タマザカイさんに対し
「アナタなんかが実務に出ても裁判官が聞く耳持つわけがないわね。
 別に憲法訴訟なんて数少ないけど、
 ここで、こんな事案と関係のない答案を書いてしまうのだから、
 他の科目も推して測るべしだわ。
 ……この『有害』娘。」と攻めを続ける。やはりアカハラだ。

 先ほどから言っているように、電撃戦答案は確かにまずいのだ。
 しかし、こういう言い方では、
 「実質的関連性」という言葉を使うことや、目的手段審査をすること自体が
 アウトみたいに受け取られるだろう。
 (だいたい、それがアウトなら、どの判例、教科書で勉強しろというのだ)

 電撃戦答案はダメな答案だが、それがダメなのは、
 違憲審査基準論が悪いからじゃないだろう。

 原告としては、当然、典型的表現規制と同様の厳しい基準を設定して、
 本件停止命令制度が保護しようとしているプライバシーなるものが、
 さほど重要な利益でないこと(規制目的の重要度が低いこと)を主張していくはずだ。

 他方、本件では、
 停止命令が目的達成に役立つこと(関連性)は否定しにくいから、
 実質的関連性がないということを主張するのはスジが悪い。
 LRAがある、という主張をするにも、
 刑罰・直接強制なしの公表付命令だけだから、なかなか難しいだろう。

 というわけで、目的手段審査をやるにしても、手段審査はほとんど意味なくて
 規制法の目的(本件的プライバシーの保護)が
 権利の価値(本件的情報提供の価値)を上回るほど重要か
 という目的審査が中心にならざるをえないのだ。

 だから、本件ではプライバシーと表現の自由の比較考量が求められる
 というコメントになってくるわけだが、
 ああいう言い方じゃあ、目的手段審査をしたからアウトだと思われてしまう。

 こうして、散々な原告主張の講評が終わった。
 ようやく第一問である。

 *推して測るを訂正しました。

これ、アカハラだろ(2)

2012-01-07 20:51:27 | Q&A 採点実感
さて、佐渡先生は、失意のフジガワラ君の机を離れると、
教壇に戻り、日頃から日常生活を取り巻く法的問題に関心を持って
自分でいろいろと考えないから、こういう問題が解けなくなるのだ
という趣旨の発言をした。

そして、第二の犠牲者が選定された。

「キタジマくん。前へ出てきなさい。」
キタジマ君は、恐怖におののきながら、前へ進んだ。
佐渡先生は、教団の横に誘導すると、院生の方を向くように指示した。

「あなたの答案ねえ、「原告側の主張」も「被告側の反論」も極論なのよ。
 こんなのは、否定されることを前提とした,「ためにする議論」ね。
 そういうのは、議論もかみ合わないし、対立点も整理できてない。
 ワタシ、こんな答案は,全く求められてないの。分かった?」

 キタジマ君はうなずく。

「わかったなら、ここにいるみんなに向かって
 『私の答案は、全く求められていないものでした。』って大声で
 宣言しなさい。」

 キタジマ君は、目を赤くしながら、そう宣言した。

 なんちゅう屈辱じゃ。足ががくがくふるえている。
 ツツミ先生は、「おい、そんなにひどいことしたのか?あの院生?」と
 震えながら聞いてきた。

 たぶん、原告側は表現の自由は絶対無制約、
 被告側はプライバシーは絶対保護すべき法益などと書いて、
 自説で普通のことを書いたのだろう。

 お互い、俺の利益自由は絶対保障なんぞという答案は
 かみ合ってないし、主張反論というより水掛け論だ。

 それに、佐渡先生のいいぶりからすると、
 キタジマ君は、原告主張・被告反論で計1ページ
 (極論なので、書くことがほとんどない)、
 自説は6ページくらいの分量で書いたのではないか?
 (俗に言う「116答案」だ。)

 もちろん、そういう答案を書く人はいるし、
 それはある立場に立って最善を尽くすという法律家としての
 基本能力が示せていない答案だということになるが、
 それを書いたからといって、
 あんな風に人格の尊厳を奪っていいはずがない。

「それに、あなたの答案ね、
 問題文中に上がってる考慮要素を全然、拾えてなくて、
 紋切型の決まり文句をだらだら書いてるだけ。
 権利の考察も不十分で、観念的・パターン的な論述に終始。
 ぜんぜん、核心に迫ってきてないの。分かる?」

 キタジマ君の答案は、
 表現の自由の制約だ、と何の迷いもなく認定し、
 自己実現と自己統治の価値から厳格審査、
 命令出すのではなくて、行政指導で十分だ的なものだったのだろう。

 この事案では、原告の行為が表現の自由の保護範囲に含まれるかが、
 一つの争点になるわけで、
 これは、自己実現自己統治というスローガンだけではない
 しっかりした保障根拠論を提示して、保護範囲を画定しなくてはならない。

 憲法上の権利論については、各権利の
 ①保障の根拠、②保護範囲、③保障の程度を
 しっかり理解しなければならんわけで、
 そういう意味では、確かに、キタジマ君の答案は不十分だ。

 しかし、表現の自由の保護範囲論ってのは、盲点になりがちで、
 しっかり勉強してないと、意識がいかない論点なんですよ、と思った。
 ちなみに、
 思想・良心の自由の①保障の根拠や、
 学問の自由の②保護範囲も、比較的盲点になり易いので注意が必要である。

 私が講義でそう注意したことを思い出していると、
 教室の中に、前期の私の講義「応用憲法A」(既習1年、未習2年前期対象)や
 「基礎憲法」(未習1年対象)の受講生が多数いることに気付いた。
 がんばれみんな!と心の中でエールを送ると、
 佐渡先生は、意外なところに矛先を向けた。

「それにしても、あなたたち、前期までの授業で一通り、
 法科大学院の憲法教育を受けて、単位を取得したはずよね。
 そんな人達の答案が、なんでこんなに残念な答案になっちゃうのかしら?
 そもそも、あなた方が受けてきた法科大学院の教育ごと
 見直す必要があるようね。」

 …。そんなこと言うなら、アンタが模範講義のテキストとDVD作って
 売ってくれ。

 いや、今、私が目にしているのが、佐渡先生の理想の法科大学院教育か。
 しかし、これ、やっぱりアカハラだろ。

これ、アカハラだろ?(1)

2012-01-07 06:42:19 | Q&A 採点実感

法科大学院の廊下を歩いていると、402教室の前に、
ツツミ先生がいた。

私「何やってんだい?」

ツ「ああ、いいところにきた。いま、スゴい講義をやってるって評判の
 佐渡教授の講義を覗いてるんだよ。」

佐渡里子教授は、憲法専攻の法科大学院教授、つまり私の上司であり、
講義がマジでヤバイというので有名である。
彼女の講義のどこがどうヤバイのか、というのは、
もう少し先の描写を見ていただければ、十二分に理解できると思うので
ここでは詳細を述べないことにするが、
要するに、ドSの講義を展開するらしい。

私「はあ。佐渡先生ですか。」

ツ「そうなんだよ。いまね、中間試験をかえしてるところなんだ。ほら、これが問題だ。」

ツツミ先生は、こういうと、一枚の試験問題を渡してきた。
ツツミ先生は、いきなり同僚に質問する他に、
同僚の試験問題を集めるのが趣味である。いかがなものかという趣味だ。

さて、佐渡先生は、新司法試験形式の長文問題を出したようであり、
事案は、インターネットの地図検索システムに、
その場所の画像をリンクさせるというサービスの規制法の事案である。
なかなか難しい問題だ。

佐渡先生は、試験の全体講評をはじめた。

佐渡「途中答案が少なかったのは、まあ喜ばしいとしましょう。
 でも、アナタたちの答案ね、論述する分量が少なすぎるわね。
 今年から、行政法総合Aの試験と試験時間を区分けしてあげたにもかかわらず、
 ……予想外だわ。」

 冒頭から、なかなか厳しいご発言である。まあ、短い答案が多かったのだろう。
 佐渡先生は、さらに続けた。

佐渡「そもそも、あなたたちの答案は、判例の言及、引用、がない、
   いや、そもそもそれを念頭においてないものが多すぎるのよ。
   率直に言って、オドロいたわ。
   あなたたちは、判例を読んだことあるの?
   あの程度の答案が連発されるようじゃ、
   あなたたちに判例を勉強させる意味も意義もないわね。」

  ツツミ先生は、小声で「おい?憲法では、答案書くとき、
  判例、年月日付で引用しなきゃいけないのか?」と声をかけてきた。

  ふーむ。佐渡先生の発言は、辛口もいいところだ。

  しかし、例えば、「検閲とは、表現行為の事前抑制一般を言う」のように、
  判例とものすごく乖離した条文解釈する人が、しばしばいるのだ。
  もちろん、原告側から有利な解釈を提示するのは構わないが、
  そういう場合は、判例はこう解釈しているが、これは不当でこう解釈すべきだ
  という論証をしてほしいものである。

  多分、佐渡先生は、そんな感じのことを言いたいのだろう。
  しかし、ああいう言い方をしては、判例を年月日付で正確に引用しろ
  と言っているように聞こえてしまう……。

  佐渡先生は、さらに続けた。調子がでてきたようである。

佐渡「あなたたち、問題と関係のないことを長々と論じすぎね。
   それに、
   『自由ないし権利は憲法上保障されている,
    しかしそれも絶対無制限のものではなく,公共の福祉による制限がある,
    そこで問題はその制約の違憲審査基準だ。』的なステレオタイプが,
   多すぎるわ。ほら、フジガワラ、立ちなさい。」

  今日の第一犠牲者のフジガワラ君が起立した。
  顔が蒼くなっている。

佐渡「あなたのノートみせてごらんなさい。ハンっ。この観念的でパターン化した論証の山。
   このノートで勉強するなんて、思考の放棄だわ。」

  佐渡先生は、こういうとノートをパサっと落とし、
  こう言った。

佐渡「このノート、『有害』……ね。」よくみると、佐渡先生は、ノートを踏みつけている。

  私とツツミ先生は、顔を見合わせた。
  これ、アカハラだろ。

  しかし、佐渡先生の試験講評は、まだはじまったばかりであった。




……平成23年度の司法試験の採点実感が公表されました。
恐らく、いろいろな方からご質問を頂くのではないかと思い、
それならいっそうのこと先回り的に記事にして、コメントしていこうと思います。

採点実感の感想は
「これ、憲法の答案を大量に採点した経験のある人であれば、
 どういう答案を批判しているかが理解できるが、
 そうでない人にとっては、
 ものすごくヘンなことを言っているように受け取られるのではないか?」
というものです。

そこで、ツツミ先生とともに採点実感の翻訳を試みたていきたいと思います。