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木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

これまでに、たくさんのご質問、コメントを頂きました。まことにありがとうございます。 最近忙しく、なかなかお返事ができませんが、頂いたコメントは全て目を通しております。みなさまからいただくお便りのおかげで、楽しくブログライフさせて頂いております。これからもよろしくお願い致します。

二重の基準論と表現の自由

2011-11-30 15:36:57 | Q&A その他
表現の自由の優越性と二重の基準について (照英)
2011-10-21 22:11:35
芦部憲法、野中先生他4人組の先生方の教科書337ページ、258ページ、「急所」を読んでいて表現の自由の優越性と二重の基準の関係が今一つ不明瞭な感覚に陥っております。

双方共に表現の自由は厳格審査をという結論は共通なのですが、根拠は異なると理解しております。しかし野中先生他教科書では表現の自由の「優越的地位」の理論から、違憲審査基準としての二重の基準論が導き出されるのである云々と記述されております。ただどのようにして導き出されるのか繋がりは説明されておりません。両者の理論が関係しているというのは一般的な理解なのでしょうか。




営業の自由と積極目的規制 (照英)
2011-10-21 23:34:01
失礼しました。先程の質問と併せて是非教えて頂きたい記述がございます。浅学故基本的な質問とは思いますが宜しくお願いします。私は第五問の問題を答案構成した際、財

産権侵害で構成し、被告の反論として積極目的規制を主張できると考えたのですが、「急所」203ページでは、積極目的規制は営業の自由の場合に問題となるという記述がござ

います。財産権侵害の場合は何故問題とならないのでしょうか。森林法判決の理解が関係しているのかと想像したのですが。

>照英様 (kimkimlr)
2011-10-22 09:22:41
こんにちは。

まず、表現の自由と二重の基準の関係については、
そもそも表現の自由の価値が経済的自由よりも高いという理解と、
価値はかわらないが、民主制プロセスで回復しにくい
という二つの理解があり、
前者は経済的自由につめたすぎるということで、
後者が標準的理解、という感じだと思います。

そうですね、既得権制限の合憲性を論じる場合に、
積極目的で審査を緩やかに、とはあまり言わないですね。
たぶん、超過利潤を得させるために営業を制限しなくてはならないのは論理必然だが、
既得権をはく奪する形で規制する必要は
必ずしもない、ということなのかなと思います。

Unknown (照英)
2011-10-22 16:45:30
分かり易い御説明誠にありがとうございます。やはり表現の自由の価値が優越的故に二重の基準とは繋がらなさそうです。もう一度教科書を確認してみます。大変参考になり

ました。
照英様 (kimkimlr)
2011-10-23 14:59:39
それはよかったです

法文審査について

2011-11-30 15:35:58 | Q&A その他
法文審査について (N.S.)
2011-10-20 16:11:51
はじめまして。

法令審査、もしくは法文違憲審査を行う場合には、立法事実に依拠し、司法事実には依拠しないことを前提にすると、法令審査や法文違憲審査を行う場合、
原告の憲法上の権利やその制限について具体的に論ずる必要はないということでしょうか?
あくまで一般論として権利の保護範囲、権利の制約について論ずるべきき、ということでしょうか?

新司法試験平成19年の問題で生じた疑問です。
この問題で、条例上、開発事業協定の締結に「周辺住民の過半数の同意」を必要されることの合憲性について論述しました。
その際、原告(教団)の憲法上の権利を論ずるべきかが分からなくなりました。

私は無理スジを承知で財産権でなく、信教の自由を原告に主張させました。
ここで、宗教団体である原告には、集団で居住して修行する宗教的行為の自由が信教の自由の一内容として保障される、等と書くのは法文違憲審査では、司法事実の考慮であ

り、許されないのでしょうか。

お忙しいとは思いますが、ご回答頂けましたら幸いです。
よろしくお願いします。



>N.S. (kimkimlr)
2011-10-21 12:47:51
法令審査で司法事実を参照しない、
というのは、
法令審査でどんなに細かい事実的要素を考慮していようと、
法令審査は、法解釈の一環としてなされている作業なので、
そこで参照された事実的要素は、司法事実=要件事実たりえない、ということです。

ただしこれは、原告がもっているさまざまな要素を
審査対象にしてはいけない、ということではありません。
教団に適用される部分であるという要素を、
立法事実として考慮することはできるでしょう。


そういう意味では、処分審査においても司法事実は参照できません。

法令審査や処分審査などの憲法判断がなされ、
違憲部分を除去して、はじめて
その法令適用における要件が定まるからです。

司法事実・立法事実の参照云々は、
非常に細かい民事訴訟法的考慮がないとわからない問題なので、あまり気になさらない方がいいかと思います。

Q1-6への回答も併せてご参照ください

処分審査と目的手段審査

2011-11-30 15:35:01 | Q&A その他
処分審査と目的手段審査 (SKY)
2011-10-18 04:37:16
はじめまして、ロー3年次の者です。

「急所」第1問についての質問なのですが、法令の違憲を争う場合ではなく、本問のように戒告という処分行為が問題となる場合に、目的手段審査を用いることができるのでし

ょうか?(P72の下3行部分です)。

たとえば、戸松先生の「憲法訴訟(2版)」P223では、目的手段審査の説明において「立法」目的、「立法目的達成のために規定されている」手段と記載されていますし、元と

なった君が代訴訟(H19)でも目的手段審査が用いられておりません。

私自身、目的手段審査は法令違憲の判断にのみ用いて、処分違憲の場合は比較衡量という認識があったため、ひっかかりを覚えた次第です。

また、本問では戒告「処分」でしたが、「判決」が法令の適用において違憲だと争う場合にも、目的手段審査を使用できるのでしょうか?

お時間がございましたらご回答の程よろしくお願いいたします


>SKYさま (kimkimlr)
2011-10-18 12:44:44
そもそも君が代訴訟では、
目的手段審査以前に、制約が認められていません。
(詳細は、「気になったこと」カテゴリーの
 「練習でお金をとるのは・・・」の記事を
 見てください)

処分審査に関しては、これまでにもいろいろとご質問いただいております。

ご指摘の点については、
Q&A目次の4その他<7>の記事を
是非ご覧ください

自己統治の価値

2011-11-30 15:33:35 | Q&A その他
表現の自由の社会的・公共的価値 (Wakiko)
2011-10-18 04:33:13
木村先生、こんにちは。

『憲法の急所』130頁における“自己統治の価値とは、様々な領域での社会的決定への自由な参加を可能にして、その決定を豊かにする価値を意味する。”という記述について

疑問に思ったことがありますので、質問をさせて下さい。

唐突ですが、会社四季報を出版する自由について考えます。会社四季報の読者は、主として、ある会社に投資をするかどうかを判断するために読みます。その場合、「社会的決定」への参加を目的としているとは言いにくいように思われます。そうだとすれば、「社会的決定」に限らず私達の生活のあらゆる場面における「決定一般」を豊かにする

ことをもって、表現の自由の社会的・公共的価値だと考えることはできないでしょうか?


>Wakikoさま (kimkimlr)
2011-10-18 12:42:27
当然、そういえると思います

処分審査の目的審査、佐藤先生の客観的審査

2011-10-17 07:17:22 | Q&A その他
権利の制約&客観的審査 (Wakiko)
2011-10-15 19:27:14
木村先生、はじめまして。
現在法学部3年生で、法科大学院への進学を目標に勉強している者です。お忙しいところを申し訳ないのですが、2点質問をさせて下さい。

①友人から「防御権の保護範囲内に含まれる行為に対して刑罰が科される場合に、防御権の制約があると言えるのは何故か?」と尋ねられました。
その友人曰く、「後で処罰されるとしても、とりあえず防御権の保護範囲に含まれる行為をできたわけだから制約はないんじゃないの?」とのことです。

それに対して私は、「処罰された人は、普通、二度と同種の行為をしないだろうから、
“将来同じ行為しないよう余儀なくされる”ことが防御権の制約にあたるのでは?」と答えました。
私の理解は間違っていますでしょうか?

②佐藤幸治先生の『日本国憲法論』の655頁で説明されている「客観的審査」と、
『憲法の急所』の32頁で説明されている「法令審査」とは同じものなのか否か混乱しています。
佐藤先生は「客観的審査」について、
「立法事実を考慮に入れながら、法律自体の合憲性を検討するという取り組み方」とか
「客観的・一般的見地から法律の合憲性を検討すべきであるという趣旨のもの」といった説明をされていますが、
これを噛み砕いて説明したものが「法令違憲」であるという理解で間違いないのでしょうか?

以上、長文となってしまいましたが、宜しくお願い致します。

Unknown (snow)
2011-10-15 21:42:35
権利自由が憲法上保障されてるというのは、国家からその行為が否定的な評価を受けないことを憲法が保障している、
ということではないでしょうか(これなら事前事後規制を通じて共通ですよね)‥正確な理解がどのようなものか私も少し気になりますが。

ともあれ木村先生。お忙しいなか本当にありがとうございます。よろしくお願い致します。


>Wakkioさま (kimkimlr)
2011-10-15 22:09:01
こんにちは。お勉強お疲れ様です。
ぜひ、良い結果が出ますことをお祈りしております。

さて、第一のご質問。

この点は、私も昔疑問に思っていたのですが、
防御権の「制約」には、
「妨害」=事前規制と「制裁」=事後的な責任追及の二種類がある
ということのようです。

snowさんが書いてらっしゃいますが、
とりあえずその行為をできた、だけでは自由を十分に保障されたとはいえず、
その行為をしたことの責任を追及されないこと、までが自由権の内容だと
伝統的に観念されているのです。

これは制約の理論の問題というより、
自由権の定義の問題だとご理解ください。

第二の点ですが、佐藤先生のものについては
佐藤先生ご自身にきいて頂くしかありませんが、
まぁ、おおむね私のいう法令審査と同じなのでしょう。

このブログの「憲法判断の方法」カテゴリーの記事を読んで頂ければ、
より理解が深まると思います。

>snowさま
補足、ありがとうございます。


ありがとうございます。 (Wakiko)
2011-10-15 23:54:38
丁寧に教えていただき、ありがとうございます。

質問の第一点目については、色々な本を読んでみてもよく分からなかったので
(単に私の読み込み不足かもしれませんが…)、一気に視界が開けた感じです。

質問の第二点目ですが、「憲法判断の方法」カテゴリーの記事を読んで考えてみたところ、
「客観的審査」と「法令審査」とは、若干違うのかもしれないと思えてきました。私が考えてみたところをまとめると…
 ()「客観的審査」も「法令審査」も想定される全適用例を念頭に置いて審査する点では一致する。
 ()「法令審査」では想定される全適用例の一つ一つについて審査基準を立て、合憲性の判断を積み重ねていくのに対し
   「客観的審査」では全適用例をまとめて一つの束とし、それについて審査基準を立てて、合憲性の判断は1回だけ行う。
 ()()のような違いがある結果、「客観的審査」の結果は“全適用例について合憲”か
   “全適用例について違憲”しかない(=100か0かしかないイメージ)のに対し、
   「法令審査」の場合には“適用例の一部につき違憲”という場合もある(=100や0の他に80や20の場合もある)。
   といったところです。
   「客観的審査」の理解についてはいまだ憶測の域を脱していないので、佐藤先生の書かれた論文などを調べてみようと思います。

最後は独り言のようになってしまって申し訳ありませんでした…。

>snowさま
コメント、ありがとうございました。


>Wakkioさま (kimkimlr)
2011-10-16 07:20:03
どうもありがとうございます。

お話をうかがっていると、確かに佐藤先生の「客観的審査」は、私のいう法文違憲審査のことかもしれません。
ただ、引用していただいた記述だけを読むと、「法令審査」のようでもあります。
例えば・・・という具体的な指摘がないと、よくわからない個所ですね。

憲法判断の方法というのは、
各先生がいろいろおっしゃっていて
読む方からすると大変です。

個人的には、長谷部先生の教科書の記述が
お勧めですよ。

ではでは頑張ってください。