気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

ロマン溢れる源平古戦場の屋島

2008-04-16 14:10:43 | 気ままな旅
 4月5日(土)午前10時、近所の人に見送られ大阪の自宅を出発した。
今回の気ままな旅は、妻がバリ島(インドネシア)に住む、娘宅へ出かけている為、私一人の旅となった。
 いつものように愛車エステイマを運転、四国高松を目指した。
 湾岸線から阪神高速神戸線へ、第二神明道路から国道2号線を通るルートを選んだ。
 山陽自動車道も平行して走っているが、このルートの方が何よりも経済的で、しかも高架になったバイパスが多く、所要時間も大きな差はないと判断した為である。
 第二神明道路と国道2号線は直接結ばれ、乗り換える必要はない。
 加古川バイパスから姫路バイパスへ、そこからも西姫路バイパスへとつながっている。
 ほとんどが高架で、信号機もなくスムーズに通行できる道路であった。
 備前市からは国道2号線から、海岸の景色の美しい岡山ブルーラインを通行した。
 この道路はかつて有料道路であったが、今は無料道路になっている。
 リアス式海岸の変化にとんだ美しい景色が多く、私はこの近辺を通行する時は、
この道路を利用、車窓に広がる景色を楽しむことにしでいる。
 道の駅も「黒井山グリーンパーク」と「一本松展望園」の二つがある。
 大変景色の良い場所に造られ、複合施設の公園も、家族向きで人気があり、多くの人達で賑わっている。
 岡山からは、かつて四国からの玄関口として賑わった宇野港を目指して行った。
30分ほどで宇野港に到着するが、かつての高松駅と宇野駅を結んだJR連絡船の姿は、
今はなく、ターミナルも小さくひっそりとしているのに驚く。
 私は高知への帰省の度に、この駅で下車して桟橋に停泊している連絡船に乗り換えたものであった。
 帰省の帰りも連絡船が宇野桟橋に到着するたびに、多くの乗客たちが、停車中の急行「鷲羽号」の席を確保しようと、
慌しく異動している姿などが懐かしく思い出されてくる。
 私もその一人で、桟橋から列車が停車しているプラットホームまでの長い距離を、
大きな荷物を持ってよく走ったものであった。

 宇野港からは国道フェリーで高松港へ向かった、エステイマの搬送料金は2900円と安さに驚く。
所要時間は55分である。
 瀬戸内海の思い出深い景色は、昔とほとんど変わる事がないが、西の彼方に新しく開通した瀬戸内海をまたぐ、
鉄道道路併用橋の瀬戸中央大橋が見えてくる。
 改めて時代の流れを感じさずにはいられなかった。
 高松に近づくに従って、屋根の形をした屋島の前景がはっきりと見え出した。
 この時間(15時)なら屋島の観光は出来そうである。

 高松港に到着後は屋島にカーナビを設定、エステイマを走らせて行った。
 15分ほどで屋島ドライブウエイ入り口に到着、通行料金(610円)を支払った。
 ドライブウエーの緩やかな斜面をエステイマは登って行く。
 道沿いの桜の花は満開で、桜と瀬戸内海に浮かぶ島々や、
その周りの景観が見事に演出され、美しさをかもし出している。
 
                    
                   フェリーからの宇野港

 JR宇高連絡船や桟橋、巨大な宇野駅ターミナルなどのかつての面影は消え、こじんまりと、
きれいに整備された港や街並みが出現している。

                    
                瀬戸内海を航行するフェリー(高松→宇野)

 フェりーから見る瀬戸内海のに浮かぶ島並みや、頻繁に行き交う船舶などが思い出深く、
 いつまでたってもあきることがない景観を楽しむ事ができる。

                  
                 フェリー船上からの屋島全景

                    
                  源平合戦の屋島壇ノ浦古戦場

 車は走るに従って高度を上げて行く。
 眼下の街並みや瀬戸内海の景色は絶景である。
 ほどなくして源平合戦の屋島古戦場跡地に到着する。

                
                 古戦場の真向かいにある談古領

 屋島三台展望台のひとつ。ここからは源平の古戦場「壇ノ浦」が一望できる。
 那須与一の扇の的、義経の弓流し、平家軍船の泊地「船隠し」など
 平家物語の屋島合戦の舞台が眼下に一望できる場所である。
 対岸には五剣山がそびえている。
 この場所には、ここから見る全景の写真パネルに、分かりやすい説明文をいれて展示している。

           
                     源平合戦の絵図

 色鮮やかに描かれた源平合戦の絵図を想い見るには談古領は絶好の地であった。

                   
                     瑠璃宝池(血の池)

この池は源平合戦の折、義経をはじめ、源氏軍が血刀を洗ったところ、
池は真っ赤に染まったといわれたことから、
別名を「地の池」といわれている。

          
                       屋島寺境内

 屋島寺は鑑真(がんじん)和上過海大師が開創の基を開き、その弟子恵雲律師空鉢(くうはつ)が初代の住職になったと伝えられ、初めは律宗であったが、弘法大師が真言宗に改めた寺で、四国八十八所の八十四番札所である。

                  
               夕暮れの屋島から高松市街望む(獅子の霊厳)

 この下に断崖に大きな岩が突き出て、その形が獅子に似ていることから獅子の霊厳と呼ばれている。
 昔、弘法大師が屋島寺本堂を建立しょうと、早朝に着手したが、工事途中で太陽が西に傾きはじめた折に、大師はこの巌に立ち、扇を持って夕陽を招き返し、一日で工事を完成さしたという伝説がある。
 また、この展望広場には昭和6年に訪れた明治の歌人、与謝野寛、晶子夫妻のパネルも展示され、情緒を一層かもし出している。
 若い恋人達が寄り添いながら、自分達の未来のことを語り合い、景観を楽しむロマンスが想像される絶好の場所である。
   
                    
                    満開の屋島の桜 
                   
                 屋島からの高松港方面の夕日
 
 屋島からの高松市街の夜景も見たいと思っていたが、今日はどこで宿泊するかまだ決めていなかった。
 勿論、車中泊である。明日も天気は良さそうだし、高松市内にある栗林公園に行きたいとおもっている。
 あまり遠くには行きたくなかった。
 カーナビで道の駅を調べ、15km先にある香南市の道の駅「香南楽湯」に決めて、セットしエステイマを走らせて行った。
 途中で夕食の買い物を済ませた後、ほどなくして道の駅に到着する。
 この道の駅は名前の通り温泉が併設されている。ありがたいと思った。
 早速、入浴の準備を整え、受付で入浴料700円を支払って入浴する。
 土曜日のせいか入浴客も結構たくさん入っている。
 「木の風呂」と「石の風呂」、それに露天風呂があった、無色透明の湯である。  やはり温泉はいい。
 一日の疲れを取り除いてくれ、安らぎを感じさしてくれる。
 入浴を終え、受付で靴箱のキーを返したところ 「50分以内の入浴でしたから」 と200円バックしてくれた。
 思わず顔が微笑む。ありがとう。
 車に帰ると遅い夕食をとった。
 私はどちらかといえば、外食はあまり好きではない。
 仕事が営業であったことから、いつも外食ばかり食べていたからだろうか!
 一人でも車にセットしている食卓で食べるほうが、なんとなく気持ちが落ち着く。
 夕食時の最初の一杯の味は最高で、何もかも癒してくれる。
 夕食もほどなくして終え、今日撮影したデジカメの写真を、持参しているノートパソコンに移し替えるなどして整理をはじめ、
終わった頃には11時近くになっていた。
 そして、特性のベッドの上に用意してある敷物に毛布かけて寝る準備をして就寝に入っていった。
 勿論、就寝時はいつの季節でも、車のエンジンは切っている。
 そうでないと、音や振動などで眠れないからだ。
 トランジシタラジオから流れる音楽を聴きながら、深い眠りに入っていった。

     




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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-04-18 14:18:27
散歩によって見ました、歴史を訪ねてというそんな感じですね
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