気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

深々と興味が湧いてくる立山

2009-07-31 10:38:04 | 気ままな旅
 6月21日(日)昨夜から富山地方鉄道立山駅前にある駐車場で車中泊をしていた。
 昨日は念願だった高さ500mのハンノキ滝や、高さ350mの圧巻の称名滝の見学を終え、立山駅近くにある立山カルデラ砂防博物館に立寄ってみた。
 博物館では、立山の自然の厳しさや、それと向き合って生活してきた、人間の知恵や歴史を紹介している。
 閉館時間(~17:00)まで、一時間ほどの見学時間であったが、立山や山岳地域の多い日本の火山活動や砂防技術などを知る上では貴重な博物館であった。(詳しくは下記の項で示す)
 博物館見学後、今日の宿泊先をどこにするか決めてなく、道の駅も近くにはなかった。立山駅のすぐ近くには大きな駐車場がある。通りがかりの人に尋ねてみると、誰でも自由に使え、すぐ隣にはトイレ設備もあるとのことであった。ありがたかった。
 さらに、日替わり入浴できる施設を訪ねると、近くに「ウエルサンピア立山=厚生年金保養センター」があるとのことであった。
 早速、教えられた施設に行ってみる。車で5分ほどで到着する。
 ホテルのような白い近代的な建物で、露天風呂も完備された立派な温泉施設である。しかも天然温泉で良く体が温まる。(温泉入浴料=700円)
 入浴後は、再び立山駅前の駐車場に戻り、近くの店で買い物をすました後、遅い夕食を摂った。
 この近辺は高度があるのか、平地と比較するとかなり涼しく、車内でも寝苦しさは全く感じず、熟睡することができた。  

          
              車中泊をしていた立山駅前の広々とした駐車場   
       
          
                 立山カルデラ砂防博物館の玄関

 博物館は、「立山カルデラの自然と歴史」及び「砂防」の二つのテーマを 「知られざるもうひとつの立山」 と位置づけ、博物館活動をとおして、立山カルデラにおける人と自然の関わりを広く紹介することを目的としている。

           
         白岩砂防えん堤(博物館で撮影) 白沢砂防えん堤の下側の部分

 博物館に上のような写真が掲示してあった。 私も色々な砂防ダムなどの施設を見学しているが、白岩砂防えん堤のような大規模な物は初めて目にする。
 しかも、100mを越す高さと、工事そのものも大変な難工事であったと思われ、この地域の河川にかかる砂防えん堤の多さや規模など驚きの連続であった。

 基幹えん堤である白岩砂防えん堤は昭和14(1939)年に完成している。
 その高さは63mと日本一で、現在では7基の副えん堤を合わせ、高さ108mの偉容を誇っている。
 カルデラからの土砂流出を抑制し、今もなお下流の富山平野を土砂災害や洪水から守り続けている。
 2009年4月17日に、「白岩砂防えん堤」を国の重要文化財に認定された。砂防施設では全国初となる。

 砂防ダムとは、小さな渓流などに設置される土砂災害防止のための設備(砂防設備)のひとつである。
 明治時代には、お雇い外国人であるヨハニス・デ・レーケが来日し、現在の砂防ダムの基礎となる思想や工事の体系を構築し、日本の土木技術向上に大きく貢献した。

          
立山カルデラの地域、手前の赤い部分が現在地立山、上部の湖が黒部湖、白い部分が立山室道 

 日本でも有数の急流河川で知られる常願寺川。
 その上流には、立山火山の火口周辺が激しい侵食作用によって拡大してできた東西6.5km、南北4.5kmに及ぶ巨大なくぼ地 「立山カルデラ」 がある。
 安政5(1858)年4月9日、M7と推定される飛越地震が立山連峰を襲った。
 この地震によりカルデラ内の斜面が大崩壊(鳶崩れ)を起こし、崩れた土砂が川をせき止める。
 4月22日川をせき止めた土砂が決壊、1回目の土石流が発生、続いて6月7日さらに大規模に決壊し、2回目の土石流が発生、富山平野にはん濫し死者140名、負傷者8,945名の未曾有の被害をもたらした。

            
 上写真の中央、白ろめに写っている部分の詳細である、下の赤い現在地は称名滝入口、その右側の赤い屋根が立山駅 
            
          
      立山駅周辺案内図 左中央が立山駅、駅上の白い建物が立山砂防博物館
          
                      
           立山駅とケーブルカーの駅は同じ駅に併設されている

 立山駅は、富山県立山町にある富山地方鉄道立山線および立山黒部貫光立山ケーブルカーの駅でもある。
 全国的に人気の高い立山黒部アルペンルート は、富山県の立山駅と、長野県大町市の扇沢駅とを結ぶ、大規模な山岳観光ルートである。(1971年6月1日全通)
 最高地点は、立山登山の基点ともなる室堂で標高2,450m。
 このルートの黒部ダムから扇沢の区間は、黒部ダム建設の資材運搬道として建設され、ダム完成後に一般の旅客に開放された。

           
             国土交通省の工事用の起動車、立山駅前から出発する

 この小さな鉄道は、労働安全衛生法に基き運行される工事用軌道で、18キロの区間に38段のスイッチバックがある。
 一部区間では18段に及ぶ連続スイッチバックがあること、またかつて工事用軌道や鉱山鉄道で広く採用されたものの、現存する一般の鉄道路線では例がない610mmのナローゲージで知られている。

 昭和初期から運行が続けられ工事用軌道としての歴史的性格が評価されて、2006年に文化財保護法に基づく 「登録記念物」 に登録された。
 一般客の利用は通常許可されないが、地元の博物館が主催する砂防工事の見学会に参加することで、乗車することも可能である。
運行区間 ・・・ 千寿ヶ原~水谷 所要時間 ・・1時間45分  
延  長 ・・・ 17.7㎞   標高差 ・・・ 640m
          
                綺麗に整備されている立山駅前のロータリー  

                    
   立山駅構内のプラットホーム、ホームの2階部分が正面出入口になっている。

          
                立山駅に到着する富山地方鉄道の電車

 車中泊をしていた立山駅前の散策を終えた後、車で10分ほどの所にある富山県「立山博物館」によってみた。ところが休館している。
 近くにいた人に尋ねてみると、この近辺の施設は、ほとんどが月曜日は休館しているとのことであった。残念であった。
 この博物館は、立山の歴史と信仰、そして、その舞台となった立山の自然を紹介している博物館のようで、展示館、遥望館、まんだら遊苑、かもしか園などの施設からなっている。
 仕方なく隣にある雄山神社の参拝と見学をすることにした。
 雨も降り始め、境内にある石畳の参道に立てられた、鳥居のしめ縄が幾分垂れ下がっているように感じる。
 
 雄山神社は、「峰本社=雄山山頂3003mに鎮座」、「中宮祈願殿=芦峅寺」、「前立社壇=岩峅寺」の三社をもって雄山神社といわれている。
 三社は三位一体の性格を持っているため、どの社殿に参拝してもご利益は同じとされている。
 所在は富山県中新川郡立山町芦峅寺(あしくらじ)から岩峅寺(いわくらじ)にかけた一帯、広くは地獄谷や弥陀ケ原を含む立山連峰全域である。
 岩峅寺及び芦峅寺の峅と言う文字には 「神様の降り立つ場所」 の意味があるそうで寺の名前ではない。
 
           
                雄山神社(中宮祈願殿)の正門(芦峅寺)

 正門の鳥居をくぐり、石畳の参道を真っ直ぐに進んで行く。
 賛同の脇には樹齢500年の立山杉の大木が並び、神気に満ちた静寂な雰囲気が漂い、この神社の歴史や信仰の深さが伝わってくる。
 参道の右側には手水舎があり、その奥には内と外を区別するような木塀が、参道正面を除き、境内を取囲むように左右に造られている。 その奥には神明社の祠があり、その横には宝童者の小さな祠が建てられている。
 境内は立山杉の大樹林が聳え、雨天の境内を黄昏時のような薄明るさで、そんな中で立派な石舞台が参道横に姿を現してくる。
 さらに進み、石でできた斎戒橋を渡ると、参道はYの字の様に別れている。
 正面には開山者廟が、左方向には大宮が祀られている。
 私たちは右方向に進む、少し進むと立山開山堂があり、その近くには、立山峰本社への参拝の折に、必ず訪れたという立山若宮の祠が、溶岩石の様な石の上に建てられている。
 その左側には雄山神社中宮祈願殿があり、妻と二人並んで参拝する。
 
 越中立山は、江戸時代前期(延宝期〔1673~1680〕)には、すでに富士山・白山とともに日本三霊山のひとつとして知られ、この三山を巡拝する壮大な巡礼コースが存在している。
 「三禅定」と称するこの大旅行は、江戸時代後期まで盛んに行われていた。
 さて、私たちが一般的に 「立山」 という言葉で思い出すのは、立山の雄大な山岳景観や雷鳥、アルペンルート、雪の壁などの自然にかかわるものである。
 しかし、立山が日本の歴史の中で、絶えずその存在感を保ち続け得たのは、自然もさることながら、それよりもむしろ山中にあるという、恐ろしい地獄のおかげだったのである。
 そこで、立山の地獄・極楽信仰を中心に、その知られざる歴史を紹介します。
 ひとつは立山曼荼羅の中に描かれている世界です。
 立山山中の地獄谷のあたりに、立山地獄に堕ちた亡者に対する責め苦の様子が強調して描かれ、それに相対するかのように、地獄谷から対角線上に位置する立山連峰の雄山と、その右手の浄土山などへの、阿弥陀如来と聖衆の菩薩達の来迎が描かれています。
 当時の人たちは曼荼羅に描かれている地獄図やそれに伴う物語などを聞き、大変な恐怖を持ち、そこからくる立山への信仰を厚くしていったいわれています。
 立山も他の霊山同様に女人禁制をとっていました。 
 男性は、立山山中で厳しい修行登山を行うことで、来世の極楽往生が約束されていたが、山中に入れない女性には、それがかないませんでした。
 しかし、江戸時代の立山は女性の救済を実現する霊山として、特に女性の間で多くの信仰を集めていました。
 それは 立山山中には「血の池」血の色をした不気味な池が存在しており、その池にまつわる血の池地獄の思想や血盆経信仰を、山麓の衆徒たちが全国各地で布教したことで、女性たちの救済願望を満たしていたからです。
 立山信仰は全国に広がり、拠点村落である芦峅寺と岩峅寺は、それぞれ38軒と24軒の宿坊を構え、立山禅定登山の基地として大変な賑わいを見せていました。

           
 樹齢500年の立山杉に囲まれた 雄山神社(中宮祈願殿)境内を進む 右には手水舎がある。
 
          
手前の斎戒橋を渡ると参道はYの字に分かれ、正面には立山開山者廟があり、右側に開山堂や若宮が、左側には大宮が祀られ、その中間に祈願殿がある。 
          
                 雄山神社(中宮祈願殿)
 
          
雄山神社(中宮祈願殿)の拝殿 拝殿には立山信仰の伝統を守り、お灯明が厳かに輝いている。

           
      本殿内に掲載さている「立山に向かって神官が拝礼している・・・立山信仰

           
            博物館への道沿いに咲いていた雨にうたれている花 

          
休館日だった 富山県[立山博物館] 立山信仰を分かり易く説明。企画展示には興味深いものが多い。雄山神社と隣接している。

           
立山博物館の隣りにある教算坊という宿坊、立山信仰の隆盛時は多くの人で賑わっていた。

            
 成願寺川に架かる 立山大橋 1999年(平11年) 立山大橋完成((主)宇奈月大沢野線、立山町芦峅寺~大山町原、橋長401m)

 雨の中での雄山神社(中宮祈願殿)の参拝や見学を終えた後、もう少し立山のことを知りたくなって、周辺にある施設に立ち寄ってみたが、全てが休館日で見学することができなかった。
 上記の立山大橋は、そのように散策していて、偶然に通りかかって撮影したものである。
 立山の滝もすばらしいが、初めて訪れた立山周辺の施設や神社を見学していて、立山に対する興味が深々と湧いてくる。
 山岳地域では、雨の日はガスがかかりどうしょうもないが、また次回訪れることを胸に誓いながら立山を後にし、次の目的地へ愛車を走らせて行った。
            

                  

          

           

           

           

                  


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1 コメント

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Unknown (小林 一)
2009-07-31 18:01:07
初めてお邪魔いたします。

色々検索しておりまして、

手水舎で検索していたらここにたどり着きました。

とても興味深い記事を書かれていますね。

私の知り合いに、このような活動をされておられる方がおられるので、是非遊びに来てくださいね。

http://hakuchu.blog58.fc2.com/

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