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妻と二人で近くにある水間寺に、紅葉を求めカメラをぶら下げながら行くことにした。
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水間寺には愛車を利用し、午前10時頃出かけて行ったが、水間寺の駐車場は、何かの催しを開催中で、満杯であった。
その為、山裾にある第二駐車場にとめることにした。
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第二駐車場からは、すぐ脇にある境内の参道に入ると、そこは森林になっていて、ひと際大きな楠木がたっているが、もみじなどが紅葉するのは、まだ先のようである。
そして、すぐ下には鏡池があり、池の中には小さな祠「瑞泉堂」が建てられている。
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その中にある行基堂は、水間寺の開基である僧行基を祀っている、水間寺の奥の院である。
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行基堂の側には、小さな薬師堂があり、その手前には白衣観音像が祀られている。
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薬師堂を過ぎると、その下は旧170号線が秬谷川(きびたにがわ)に沿って走っている。
道路を通り過ぎると秬谷川に架かった赤い欄干の橋があり、渡るとそこは本堂の境内で、重層な趣のある本堂と、境内の中央に位置して建てられたと思われる、優美な三重搭が姿を現している。
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しかし、今日は水間寺の境内で「陶器まつり」が開催されており、出店者のテントが所狭しと張られ、多くの人たちで賑わっている。
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※ 電車でこられる方は、南海本線貝塚駅で、水間鉄道に乗り換え、終点「水間」駅で下車、東の方へ徒歩7分ほどの距離にある。
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通称水間寺は龍谷山と号し、天台宗別格本山で聖観世音菩薩を本尊としている。 水間の寺号は、蕎原川(近木川)と秬谷川の合流地点に位置することから、水間の名前に由来したと伝えられている。
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天平年間(729年~749年=奈良時代)に、聖武天皇の勅願によって、僧行基が創建したと伝えられているが、和銅元年(708年=飛鳥時代)の開基の説もある。
中世以来、貴族や武家の信仰を集め、特に江戸時代には、岸和田藩主の岡部氏のあつい保護を受け繁栄する。
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水間寺では、直木賞作家の今東光が、昭和36年から一時期に住職だったことも有名である。
大阪府下で唯一現存する三重搭は、江戸時代後期に建てられたものである。
毎年1月2日には、行基ゆかりの千本もちつきが行われる。
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境内にある大楠木と黄葉
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紅葉の中にある奥の薬師堂と、左手前の伽藍には白衣観音像が祀られている
薬師堂は伝説によると、「行基が勅令によって建立したもので、仏の冥助を破らず、且つ、また病災苦悩があるのにどうして、この大願を成就することが出来ようかと考えた挙句、薬師善逝の像を刻んで大願成就を祈った、まことに、この尊像の擁護の賜である」 と記載されている。
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水間寺の本堂と三重搭の建つ境内で陶器まつりが開催されている
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陶器まつりの出店に寄り添う人たちと三重搭 七五三の御参りか! 記念撮影の親子
三重搭は、かつては多宝塔で多宝如来を按置した。
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ふるい記録によれば、孝謙天皇(天平勝宝749年~757年=奈良時代)が舎利搭を按置したと伝える。
天正の兵乱(安土桃山時代)に焼亡したので萬冶年間(1658~1661年=江戸時代)に改めて三層の搭を建て、釈迦仏の像を按置した。
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現搭は天保5年(1834年=江戸時代)に再建されたものである。
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柔らかい微笑みで私達を常に受け入れてくれる観音様 聖観世音菩薩出現の滝
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この渓谷には、観音像が降臨されたという座光石の側面に、伝教大師が不動尊を刻まれ、弘法大師の名号石もある。
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この浄域を知らずに、穢して災いをこうむる人、しばしばあったと伝えられている。
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地元泉州で焼かれた泉州焼の「陶器まつり」が開催され、多くの商品が並んでいる
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ただ、泉州の永い歴史的に考えて見ると、泉州に陶器が焼かれ、当時の中心部である畿内に、商品を供給していることに、全く違和感を感じない。
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当時の泉州は、日本で最初の焼〆陶器「須恵器」の産地であった。
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その後須恵器は、「行基焼」ともいわれるように全国各地に伝播し、今も六古窯として残る各地の産地が、新たな技法ともあいまって形成されていきました。
その中にあって大阪府泉州は、本格的な産地としては発展しませんでしたが、焼物に適した陶土が各地で産出されたので、近代まで瓦や窯業が続けられました。
そんな泉州で、足跡を残した窯元をご紹介する。
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堺市の湊焼や半田焼、和泉市の陶邑古窯址群、土の子陶房、貝塚市の和泉音羽焼、岬町の深日焼などである。
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※須恵器とは、日本には古くから焼物が作られ縄文・弥生と土器の時代が続いていた。
古墳時代になると、中国を源とする灰陶(かいとう)が入ってくる。
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中でも大阪府にある大阪府泉北丘陵では450年頃、朝鮮の伽耶(かや)土器に近い陶器(すえのうつわ)が作られるようになった。
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それらの陶器は、古墳の副葬品として一緒に埋葬され、今も全国から発掘されている。
その後、奈良・平安時代と造り続けられ、久米田池(現大阪府岸和田市)にもニ基の窯が残されている。
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行基は、和泉国大鳥郡(大阪府堺市周辺)の生まれで、全国に寺院を作り、人々の為に尽くすが、陶器を全国に広めた人としても有名で、この陶器を人々は「行基焼」と永く親しんで呼んでいた。
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明治には祝部(いわいべ)土器と呼ばれるようになっていたが、昭和20年からは須恵器(すえき)呼ばれるようになった。
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この時代の窯業地の全国一は、茅渟県陶邑(ちぬのあがたのすえむら=大阪府堺市泉北ニュータウン周辺)と日本書紀に書かれている。
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須恵器は、土師器(はじき)と比べて丈夫で水を漏らしにくいという長所があるが、直接火にかけると割れてしまうため、煮炊きに使用することはできない。
煮炊きには土師器(はじき)を使っていた。
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土師器(はじき)とは、弥生式土器の流れを汲み、古墳時代~奈良・平安時代まで生産され、中世・近世のかわらけに取って代わられるまで生産された素焼きの土器である。
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須恵器と同じ時代に並行して作られたが、土師器のほうが品質的に下であった。 埴輪も土師器である。
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動物や装飾用など様々な形に焼かれた陶器が陳列されている
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幾度か火災に見舞われた本堂 現在のものは1811(文化8年=江戸時代)に再建された
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厄除の観音様としてあつい信仰を集めている本堂拝殿
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初詣には多くの参拝客が訪れごった返す本堂の拝殿
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本堂からの三重搭 三重搭と陶器まつり
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三重搭の初重の蟇股(かえるまた)に彫られている十二干支
三重搭には、十二支彫刻が四面に三箇所ずつ、色鮮やかに彫られている。
大阪府下では随一のものであるらしい。
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ただ、境内で開催されていた泉州焼の陶器まつりは初めてで、かつてこの地域が、全国一の生産地であったことは驚きであった。
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私自身は以前に、美濃焼の産地である岐阜県多治見市に住んでいて、陶器と言えば愛知県の瀬戸市や岐阜県の東濃地域(多治見・土岐・瑞浪・可児)が、昔からも中心であるとばかり、考えていたが、この地域で泉州焼の陶器が焼かれていたことに、大変驚かずにいられなかった。
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また、今回須恵器については、新たに勉強さしていただいて感謝に絶えない。
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水間寺に関しては、この地域でも厚い信仰を集め、年始には交通規制がしかれ、初詣の参拝者や、境内には赤いテントが所狭しと張られ、多くの店が出店して、大変な賑わいを見せている。
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また、通常も厄祓いの観音様として人気が高く、地元の人たちも、厄年の人やマイカーを購入した折には、厄落しや安全を祈願した、お祓いを受けている方を多く見かける。
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