気ままな旅

マイカーでの気ままな旅で、束縛された予定や時間にとらわれない、自由奔放な行動をとる旅の紹介です。

ロマン漂う紀三井寺  ・・・・・ 和歌山市

2009-01-13 10:35:25 | 気ままな旅
  2008年(平成20年)12月23日(火)天皇誕生日、三重県から我が家で宿泊している友と、二人で和歌市内にある紀三井寺に出かけて行った。
 天気はよく、観光するのには申し分のない天気である。
 南大阪にある自宅を、友達の車で午前10時頃に出発する。
 紀三井寺には、一般道を通り1時間ほどで到着した。 
 駐車場の前にある道路から、紀三井寺の赤い楼門や上層が赤、下層が白の大きな建物が見えている。
 紀三井寺は山の斜面に出来た寺院で、境内からは風光明媚な和歌の浦や淡路島などの景観が、楽しる場所に造られている。
 伝承によると、宝亀元年(770年=奈良時代)唐から来た僧の為光上人が、名草山の山頂から一筋の光が発せられていたのを見つけ、名草山に登ると金色の千手観音様がおられた為、御影を彫刻して、本尊の胎内仏とし、その観音像を奉納し、御堂を造って安置したことに始まると言われている。
 名草山に三つの霊泉(清浄水、揚柳水、吉祥水=名水百選)があることから 「紀三井山」という山号になったといわれる。
 紀三井寺の正式名は「紀三井寺金剛宝寺護国院」と称し、宗派は真言宗山皆派に属していたが、現在は独立して救世観音宗総本山を名乗っている。
 本尊は十一面観音菩薩で、厄除・開運・良縁成就・安産・子授けにご霊験があるとされ、毎月18日の観音様ご縁日を中心に多くの信者で賑わっている。
 西国三十三箇所二番札所である。
 日本さくら名所100選や、日本名水百選にも指定されている。

         
        商店街からの紀三井寺全景、正面に楼門、右上の建物が新仏殿

 この道路を真っ直ぐに進むと、石段があり、その上に堂々たる威容を感じさせる赤い山門にたどり着く。
 山門の下にある石段の横には、「紀三井山護国院」と彫りこまれた石柱が立っている。
 この石段上の参道正面にある山門は、正式には文化財に指定されている「楼門」で、紀三井寺の境内の入口になっている。
 寺伝では永正6年(1509年=室町時代)に建立されたもので、建築規模といい、風格といい、色合いといい、その立派さに驚かされる。

           
         「紀三井山護国寺」の石柱と楼門 石段上の楼門、ここからが紀三井寺入口

          
     楼門を抜けるとすぐに石段(結縁坂)の参道がある、この石段結縁坂のいわれ

 紀三井寺の楼門から上に231段の急な石段で、参拝者泣かせになっているが、
この坂は結縁坂(けちえんさか)と呼ばれ、次のような ”いわれ” がある。
 「江戸時代の豪商・紀伊国屋文左衛門は、紀州に住む、貧しい孝心篤い青年であった。
 ある日、母を背負って紀三井寺の急坂を登り、観音さまに御参りしていたところ、草履の鼻緒が切れ、困っていた文左衛門を見かけて、鼻緒をすげ替えてくれたのが、近くの神社宮司の娘「おかよ」であった。
 これがきっかけとなって、文左衛門とおかよの間に恋が芽生え、二人は結ばれた。
 後に、文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立て、蜜柑と材木を江戸へ送り、商いは大繁盛したのである。
 このことから、紀三井寺の表坂は、「結縁坂」と呼ばれるようになった。
 商売繁盛、良縁成就、その他何事もまずは、観音様への信心が大切のようである。
 結婚願望の方は、この坂を上るといい縁に恵まれるかもしれません。
 観音様があなたを温かく迎えてくれ、心からお願いを掛けてみては如何でしょうか!

           
         楼門からの参道にあたる結縁坂 結縁坂には女厄坂33段、男厄坂42段、還暦坂60段がある。

          
              結縁坂の途中にある瀧本人「波切不動明王」

 「波切」の由来は弘法大師が唐からの帰国の折、台風に遭遇して難破しかかった時、師の恵果和尚から授かった霊木に大師自ら一刀三礼されて刻まれた「不動明王」に祈念すると、その不動明王は右手に持った「利剣」で押し寄せる波を切り裂き、無事に帰国されたと伝えられている。
 その霊力から「波切不動明王」のご利益は航海の安全であったが、昨今では私達の人生に振りかかる大難を小難に、小難を無事になるようにご利益を与えてくれています。
 心に諸願成就を念じてください。 

           
         紀三井寺の名に由来する 清浄水   芭蕉の句碑

 楼門から最初の石段を登ると、右手の木立の中に静かな音を立てて流れ落ちる小滝がある。
 これが紀三井寺の名に由来する三井水の一つ「清浄水」の湧水である。
 その昔、開山為光上人が開創された頃、上人の前に忽然と出現した美女が、身を投じて龍に化身したと伝えられているのが、この清浄水の小滝です。
 この周辺には、松尾芭蕉の句碑と、それを取囲むように後代紀州の俳人達の句碑が建てられている。
  ここからの望める風光明媚な和歌の浦や、春のさくら、秋の紅葉など季節を味わいながら、静かな滝の側で名句を思案しているように感じさせる場所である。
 芭蕉の句碑には
   「 見上げれば 桜しもうて紀三井寺 」               

 この句は芭蕉が桜を見たくて紀三井寺を訪れたのに、時期遅く桜が散った後であった為に、この句が生まれたようである。
 また、ここは多くの文学者に愛されて続けているようで、多くのの痕跡が残されている。

          
            急階段の続く参道の景観、この下に清浄水の滝がある

          
              急な石段を上りきった正面にある六角堂

 寛延年間(1750年頃=江戸時代)に建立された伽藍で、初代・二代目雑賀弥左エ門が建立。西国三十三箇所ご本尊をを祀っている。

           
          周辺の景観が一望できる新仏殿   新仏殿から本堂境内

 新仏殿は鉄筋コンクリート造3階建て、高さ25m、建物全体が五輪塔に擬して造られ、2002年に竣工。
 内部には高さ12mの木造千手観音立像を安置している。
 像は2007年に完成し、2008年に入仏落慶供養が行われた。
 
          
            新仏殿より本堂方面の伽藍と樹齢400年の大くすのき

          
                新仏殿より風光明媚な「和歌の浦」方面

          
               新仏殿より和歌山市中心部方面

          
           本堂への参道 両側には幾つかの伽藍が建てられている

           
             鐘楼(国指定重要文化財)   ごくらく橋と像

 鐘楼は天正16年(1599年=安土桃山時代)に建立(重要文化財)
 入母屋造り、本瓦葺き、袴腰(腰板張りの下層)の建物である。
 建物全体が軽快な感じがするが、色彩的には赤と黒で現され、鐘楼の建造物の中で独特のものとされている。

          
               本堂までの参道にある 大師堂

          
         中国大陸で犠牲になった全ての人々の諸霊を祀る幸福観音さま
 
 中国大陸で終戦を向かえ、帰国する折に犠牲になった全ての人々や、大陸で殉職した諸霊を三千観音像を刻み、紀三井寺の聖域でお祀りしている。 南無大悲観世音菩薩

          
                  ごくらく橋から本堂

 本堂は宝暦9年(1759年=江戸時代)に建立されている。
 この建物は順拝寺院本堂としての特徴をいかんなく発揮し、時代を代表す堂々とした風格を示す大建築である。
 入母屋造、正面唐破風と千鳥破風・本瓦葺き、九間四面、総欅造りの建物であるが、建築技法にも優れ、この時代の紀ノ川流域の寺院建築として最も優秀な建造物の一つである。 (県指定重要文化財) 

          
              本尊の十一面観音像を祀る本堂の拝殿

 この本堂前には、和歌山地方気象台指定の桜の標本木(ソメイヨシノ)がある。
 紀三井寺の境内には1200本の桜が植えられ、近畿地方では早咲き桜の名所として有名である。
 ここの桜にも為光上人にまつわるいわれがある。
 上人は、ある時、龍神の招きを請け、竜宮城に説法に行かれた帰り、七つの宝物をもらった。
 鈴、五鈷、錫杖、梵鐘、法螺貝、応同樹と七本桜の七つである。
 この最後の七本桜の苗木が、後の桜の名所の起こりになったと伝えられている。

          
   本堂拝殿にある祈願杓子、願い事を書き横の大杓子に三度打ちつけ祈念する

           
          身代わり賓頭虜盧尊者   護国院多宝塔(重要文化財)
 
 御参りの皆様の心身の病を救い給うありがたい、撫で仏の「びんるびさん」です。
    
          
             美しい姿を見せる 護国院多宝塔(重要文化財)

 この仏塔は本瓦葺の多宝塔で、室町時代中期の様式を示している。
 寺殿によれば、嘉吉(かきち)元年(1441年=室町時代)に仏塔が風害で倒壊し、10年後ぐらいに再建された、本瓦葺三間多宝塔である。
 下層は四本柱の方形、上層は十二本の柱を立て高欄をめぐらせた円形の建物で、 五智如来を祀っている。 

          
              訪れる人も少なくひっそりとしている開山堂

          
多宝塔の隣にあっても訪れる人は少なくひっそりとしているが3人の男性が参拝に訪れた三社権現

 初めて訪れた紀三井寺は、やはり歴史が深く味わい深い寺院である。
 急激な山稜の斜面にあたる縦に石段の参道を通し、その左右と最上部に伽藍を配している。
 斜面の所々にある休憩できる場所からは、和歌の浦の絶景や淡路島などの景観が楽しめる。
 それに滝があり、桜や紅葉など四季それぞれの花木や草花が、情緒とロマンを漂わしている寺院であった。
 桜の開花時期などには、再度訪れたいと思いながら、友と二人で下山して行った。

 


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2 コメント

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紀三井寺レポート (RUB)
2009-04-03 23:59:45
写真が素敵です。朱と冬の色とが良く映えて紀三井寺の青石の石垣も格調よく写真にとってもらえて、地元の一人としてうれしい。
桜の季節には是非、「三つの井戸」をレポートしてくださいね。どんな写真になるか楽しみ。
また、年号が記されていたので、他の歴史の出来事と関連させやすくて読みやすいレポートだと思いました。
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紀三井寺 (希間々兼行)
2009-04-04 11:19:33
コメントありがとうございます。
今回は事前調査もなく初めて訪れた紀三井寺でしたが、残念ながら「三つの井戸」は撮影が出来ませんでした。
 機会があれば再度訪れ投稿したいと考えています。
これからもお立ち寄りいただければ嬉しく思います。
  
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