馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

久しぶり銀座のクラブ

2009-12-21 08:19:00 | 日記
12月18日 5時半友人が新橋から徒歩で事務所までやって来た。
昨年、地方新聞社東京支社長を定年 今は嘱託の気楽な身。
早速、神田の安居酒屋でホッピーと煮込みで飲食。
店内の長テーブルには客はいないが、お絞りを全ての席に置いて
あり、今日は予約が入ったと店主の丸顔がほころぶ。
不況はこの居酒屋にも押し寄せ満席になることは月に数度しかないとこぼしていた。
それから、中華店で紹興酒と野菜炒め、焼きそば、餃子を食べる。
60歳過ぎのオジサン元気一杯。
突然 友人が銀座のクラブに行こうとタクシーで
冷たい風に揺れる柳小路で下りる。
裏通りの鉛筆ビル7回、木枠扉を開け
グリーンのふわふわじゅうたんを踏み締め
きれいなお姐さんのスマイルに導かれテーブルへ
銀座のクラブなどに行ったのはいつの頃か思い出せないの程の歳月が経過していた。
10時半、客が4人程いたが帰るらしい。
11時過ぎ客は我々二人だけ、きれいなお姐さんは5人
よけいなお世話だが、このお姐さん達に給与払えるのか心配
単価上げれば客は逃げる クラブもデフレか!
友人はここのママさんから宇部のかまぼこ頂いたから
来ないわけ行かないと囁いた。
銀座のクラブも必死
だが、バブルの頃は終電過ぎても客はいたが今では電車が動いている時間帯に
帰る。私達二人はママさんが手配した白タクで帰ることにした。
船橋経由茨城佐貫まで、幾らの料金取られるのか知らんが
友人の奢りだから構わないのだが!
あのバブルの時代、タクシーが捕まらず始発電車で帰ったり
会社に泊まったり、しかしお金も仕事も何とかなると心配していなかった。
皆一億総中流意識があった。
しかし、音も無く不況の津波が日本列島を襲うとは気付いていなかった。
一気に地殻は陥没して這い上がる術が無く、もがいている。
昨年 台湾台北、 林森北路にある日本人ご用達のネオン街クラブ
に入ったが日本人客は疎ら、台湾人が客としていた。
15年程前はこの繁華街は台北の新宿と言われ
日本人駐在員、ビジネス出張の日本人で満席であった。
現在工場は大陸に移転してしまい台湾の産業空洞化は台湾人
としてのアイデンティーに暗い影を落とし、日台関係より台中関係
重視にシフトせざるを得なくなった。
私の会社は現在も台湾企業がメーンであるが
ビジネスやり取りは台湾、金の流れも台湾だが
実際の製造は大陸なのだ。
このトライアングルがしばしばトラブルを生じさせている。



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