4月30日(月)
朝7時 自宅を出る。
京成電鉄船橋競馬場駅から乗車
船橋駅でJR乗換え
多機能トイレで排尿。
総武快速に乗り馬喰町駅下車。
馬喰町駅トイレで排尿。
都営新宿線馬喰横山駅から乗車。
新宿駅下車。
小田急線新宿駅トイレで排尿。
急行小田原行に乗車。
鶴巻温泉駅 9時45分着。
トイレで尿漏れパンツを脱ぎ
ボクサーパンツを履き替える。
鶴巻温泉に住む兄貴とは10時半の待ち合わせ。
5月晴れの天気だ。
時間があるので、駅蕎麦を食べる。
蕎麦よりも、蕎麦屋の水が美味しいのだ。
丹沢の伏流水は爽やかだ。
この水を飲むと丹沢に来たのだと実感。
ベンチに座り初夏の陽射しを受け待つ。
10時半 丁度にあんちゃんはやって来た。
早速、駅前から弘法山への急坂を登りだす。
取りつきだけが急登だが、直ぐになだらかな登りだ。
枯れ枝をストック代わりに拾う。
あんちゃんが登り道で樹木の説明をしてくれる。
食べられる野草、又、農家の無人野菜販売もある。
緩い坂道を喘ぎ喘ぎ登る。
汗がジワリ滲み出す。
放射線治療後、筋力の衰えを感じる。
あんちゃんが、どんどん先に遠ざかる。
時折待ってくれる。
12時 弘法山とめん羊の里分岐点に出た。
めん羊の里方面に向かう。
12時15分 弟からラインメール。
「めん羊の里に着き、4人で予約した」。
緩い坂を下る。
右手に丹沢山塊の峰々が濃い藍、薄い蒼が連なり
空には青と白雲が風呂屋のペイントのようだ。
S字カーブを左に回り込んだ。
正面に富士山。
めん羊の里から富士を眺める。
富士の下 箱根連山と
秦野盆地がジオラマの風景。
12時半 めん羊の里に着く。
弟夫婦は入口ベンチで待っていた。
早速 ロッジで歓談する。
兄弟3人が一緒に食事するのは
大ジョッキ三つ
弟はノンアルコールビール。
乾杯!
ジンギスカン料理を頼み。
丹沢の山菜、キノコの天麩羅 蕎麦。
日本酒を私と兄は飲み
弟の嫁さんはワインに切り替える。
油の充満と強烈な臭いは
都会のビル内でジンギスカン料理は食べたくない。
モンゴルのように草原で食べる。
丹沢の高原で油、煙 臭いは青空の彼方へ。
兄73歳 私71歳 弟69歳
私は前立腺癌発症したが、皆元気だ。
敗戦末期に生まれた世代。
親父、お袋は那須の寒村出身。
貧しくて6畳一間に5人暮らし。
懸命に親父お袋は働き横浜の外れに小さな戸建てを買った。
学業優秀ではない3人息子を学校に行かせた。
お袋は92歳 介護病院にいる。
兄弟 3人共 組織に馴染めず自営業。
お人好しで騙されてばかり。
兄はネットで大学受験講座を無料で教えている。
又 酒吞老人 晩酌日記のブログを綴っている。
殆んど年中無休で働いている。
私も 海外ステーショナリー輸入販売を細々と続けている。
それぞれ、困難な問題を抱えながらも
仲良く繋がっている。
仲違いするような遺産もなく
互いに助け合い質素に暮らしている。
午後4時 飲んで食べてロッジを出る。
富士と丹沢連山を眺め富士見の湯へ向かう。
弟夫婦は車で自宅へ戻る。
16時半 富士見の湯着。
兄と露天風呂に浸かり汗と酔いを醒ます。
食堂でサワーを頂き
18時半 富士見の湯バスで秦野駅へ。
黒ずむ富士は雄大だ。
秦野駅前で兄と更に飲んでも良かったが
頻尿が心配で帰ることにした。
22時半帰宅。
着替え用の衣類もあったので、リュックは重かった。
リュックから夏ミカンが二つ。
林道の斜面に夏ミカンがたわわに黄色に輝く。
草刈りしていた老人に尋ねた。
「持ち主は、国立T大の元教授だが80歳過ぎて
手入れが出来ず放置」
「このまま、実を採らないと、段々実が育たなくなる」
それではと、二つもぎ取りました。
その場で食べた。
野生の夏ミカンの酸っぱい香りだが
甘味もありフレッシュだ。
11時 風呂に短時間浸かり
ハイボールを飲み、寝た。
夜半 昼間のアルコールが膀胱に溜り
30分おきにトイレへ。
やはり、放射線の副作用だ。
だが、心は満たされた。