5月14日(金)
午前中に 池袋にトランス代金の集金があり
京成電鉄日暮里駅からJR山手線に乗り換える。
日暮里駅で下車した。
午前中に 池袋にトランス代金の集金があり
京成電鉄日暮里駅からJR山手線に乗り換える。
日暮里駅で下車した。
ここに降り立つの30年以上前のことか?
改札を出てロータリー前で見渡す。
当時の面影はなし。
正面の道路を進み、住所表示を確認して
小さな雑居ビルを見上げる。
ここに、木造2階建ての縫製会社があった。
廃業
当然 ない。
サラリーマン時代 下請けとして取引していた。
私が退社して苦闘している頃、協力をしてくれた。
しかし、零細会社社長は、狡猾な企みを秘めていたのだ。
時代は海外旅行に日本人が団体で、誇らしげに
航空バッグとツアーネームタッグでよ装った。
今の中国人観光客と同じですね。
旅行用品としての業態が生まれた。
裕福になった庶民は生活に世界の文化を現実に見学したいと願望。
国内のカバン縫製する家族経営は会社組織にして
従業員を雇い拡大した。
しかし、生活文化産業の進展は、中小零細の繊維工場の
衰退が待っていたのを知る由もない。
海外渡航により、ビジネス取引は海外工場へとシフトしだした。
旅行用品類は、香港、台湾の工場で製造しだした。
近距離での輸送コスト低減と安価な労働力は
国内縫製産業を衰退へと蝕んでゆく。
コモディティ化に対応できない
旅行用品としての業態が生まれた。
裕福になった庶民は生活に世界の文化を現実に見学したいと願望。
国内のカバン縫製する家族経営は会社組織にして
従業員を雇い拡大した。
しかし、生活文化産業の進展は、中小零細の繊維工場の
衰退が待っていたのを知る由もない。
海外渡航により、ビジネス取引は海外工場へとシフトしだした。
旅行用品類は、香港、台湾の工場で製造しだした。
近距離での輸送コスト低減と安価な労働力は
国内縫製産業を衰退へと蝕んでゆく。
コモディティ化に対応できない
日暮里にあった会社の親父は私に目を付けたのだ。
「こいつなら、幅広い人脈と顧客を持っている」
会社設立の手伝いをする名目であった。
私は、法学部で会社法を専攻
ゼミ修得、卒論も会社経営であった。
手助けなど無要無視した。
苦闘ながらも、バックアップする広告会社部長の
取引を成功させた。
意外な展開があった。
その部長から、同名の会社があり
今後はその日暮里にる同名会社と取引要請があった。
後に、税務署からも調査があった。
どのような画策したか不明であったが、無知愚かな事だ。
零細社長のとって銀座4丁目のファッションビルにある
会社のスーツ姿若手社員に指図されるのは、底知れぬ
怨念のような心が渦巻いていた。
その後倒産した。
建物を見上げ、既に物故しているだろう。
ひとしきり見渡し池袋に向かった。
現在もコロナ禍で誰もが安穏な生活を脅かされる
精神的プレッシャー
科学、医学、人間の叡智でも予測不可能。
ガースソーリの目はスーパーの鮮魚売り場の
魚と同じだ。
再掲
続きです。
思想的問題があり破壊者としてレッテルを捏造して
会社を追われた。
妻子を抱えて路頭に放り出された。
自己憐憫の敗残者となった自分を
萎える心を奮い立たせて何としてでも生きて見返すとの怨念。
負けるわけにはいかぬ。
しかし現実は暗い山道を星明かりだけで迷走した。
再掲
創業30年の記憶(4)
2012-11-18 17:42:45
昭和57年11月11日 会社を創業したが明るい将来展望があった訳ではない。
3年前にローンで購入したマンションのローンも払えなくなっていた。
マンションを他人に貸して私たち家族4人は私の両親が住む横浜に移った。
日本橋の事務所から顧客、仕入れ先に行く電車賃もなく歩いた。
昼飯代わりにお袋が作った乾燥芋を秋色に染まった芝公園で
池のベンチに座り食べた。
残り粕を枯葉漂う池の鯉に投げ入れた。
泣きそうな顔を覆い隠して日本橋の事務所まで歩いて戻った。
両親から無償で間借りした部屋で3歳の息子に
「会社辞めたの」と聞かれた。
無邪気にまとわりつく息子とやっと立てるようになった娘のためにも
生きていかなければならない。
民主党の野田総理が捨て身の相討ちで勝負した。
野田はもうヤダと思ったが「肉を切らせて骨を断つ」
あの覚悟はすごい。
嘘つき呼ばわりされた野田総理が相対する安部元総理に相討ちを挑んだ。
うろたえるお坊ちゃん安部元総理、打ち返せないのだ。
日本人はマスコミも含めて人格攻撃が好むだろうか?
私も「あいつは思想的問題有り、会社を破壊する」そのレッテルを貼られた。
野田総理は小学生の頃通信簿に「馬鹿正直」と書かれた。
教師は頑固な生徒なので、親への皮肉として記した?
炎上し、沈みゆく船から逃げ出す民主党議員達
燃え盛る傾きかけた甲板に踏み止まる船長のごとき野田総理。
菅総理も「俺を辞めさせたければ条件を飲め」
結構捨て身の相討ちしたね。
母鳥離れしない鳩ポッポ元総理は何にも出来ずに
群れの仲間にも入れてもらえない。
私も会社を辞める時、労務担当者に「真面目にやり過ぎたのです」と
ニヤリとして言われた。
その言葉は私に深く刺さった。
今でもその言葉に苦しんでいる。
会社側、上部組合組織、組合幹部OB、移籍社員、出向社員
プロパー社員、各層の複雑な利害関係。
人間の経済行為は「自分が得をする」に支えられている。
人間はもともと「利己的存在」であって、自己の利益のためには
他人を傷つけても行動する。
私が健全な労使関係を求めても、何処かに利害の衝突が生じる。
私は何処の層の要求も受け入れなかった。
中途入社で低学歴の私は組織の最下層に属していたのだ。
私は出世も高賃金も望まなかった。
物造りを通して企画販売するこの会社が心底好きだった。
無欲だからこそ邪まな交渉をしなかった。
入社して直ぐに上司の不正を追及した結果
喫茶部門で皿洗いして耐え抜いた。
しかし、今度は奴隷が反乱を先導したとして
異端者は排除された。
会社を追い出されたが、勤め口は無かった。
労働組合書記長をして会社を破壊しようとした経歴で
雇ってくれる会社は無かった。
一人で商売する以外生きていけなかった。
正しい倫理観をもって行動する。
反社会的行為とレッテル貼られたが
誠実に馬鹿正直な行動が
お人よし、馬鹿と思われ、それからの人生の苦闘が始まる。
続く
旅途夜風/旅の夜風-SaxRuby
再掲
芝信用金庫の悪事。
先月の新聞記事に兜町風雲児 中江滋樹さん焼死報道があった。
2020-03-04 08:50:27
先月の新聞記事に兜町風雲児 中江滋樹さん焼死報道があった。
私は株取引に興味はないし、したこともない。
しかし、彼が20代前半で、株式相場で大儲けの記事を読んだ。
ジーンズ姿の写真で雑誌に登場。
10代の時、証券会社で株式相場を書き込む
黒板書きのバイトを始めたそうだ。
そのバイトにより株取引を学び儲けた。
年齢は私より下だが、えらく感心した。
私は苦学生であった。
親父と弟は病で長期入院中 兄は浪人中
働き手は パートのお袋だけであった。
昼夜を問わず様々のバイトをした。
海辺の市で大手証券会社での黒板書きのバイトをした。
全く株取引など分からなったが、証券取引所からの
値動きをトランシーバーで受信。
1部上場銘柄会社の価格を書き込んだ。
今では電光掲示板になり、なくなった。
中江さんが、如何にして、金儲けできるか分からなかった。
同じ黒板書きをしても、能力が格段に違うのだと思った。
当時 株式市場は大不況であった。
証券マンは、次々と退社していった。
支店に帰れず、バス停のベンチでぼんやり座っているのを見かけた。
顧客が、相場で大損したと、酔っぱらって
店内で大暴れした。
山一証券が第一次倒産して新山一証券になった。
東京オリンピックが開催され、マラソンでの円谷幸吉に
国立競技場に2位で入って来た。
株式相場はその時止まった。
(相場をマラソンで中断は後にも先にもない)
アナウンサーが株式相場実況を中断して
2位の円谷と追って来る英国選手のデッドヒートを実況。
私も、その放送で相場を見守る顧客にアナウンスした。
円谷は抜かれて3位になるが
戦後初の陸上競技でメダルであった。
中江さんは、若手実業家?実態は虚業家として
華々しい活躍報道があった。
数年後 中江さんが
突然、株式投資により、600億円相当の金を
7千人以上から騙し取った。
マスコミが大々的に報道。
う~ん やはりそうだったか!
頷いた。
門前の小僧習わぬ経を読む の言葉がある。
壇上で株式数値を間断なく書き込み
顧客と営業マンの取引(騙しあい)を聴いていた。
経済のことは判らずとも口八丁手八丁は
オウムの如く滑らかに話せる。
私が一番 黒板書きのバイトで良かったのは
300百以上の会社の銘柄の当日値動きを
寄り付きから引けまで、すべて頭に記憶できたことだ
某会社の1日の値動きを営業マンから問われると
即座に回答した。
顧客が店内で流れている値動きアナウンスと
私の黒板に書き込むチョークの文字が一致しない。
書き込みは、かなり遅れているのだ。
相場は判らずとも、勘で、この会社の微妙な値動きが
ひと月以上続くと予測できるのだ
営業マンが、こっそりと
値動きを教えてくれと頼まれた。
まあ そんな想い出もあった。
後年 山一証券倒産。
「社員は悪くありません、わしらが悪いんです」と嗚咽した社長
日本橋に小さな事務所を構えた頃。
隣の蕎麦屋に、泣いた社長がお蕎麦と酒を一人で飲んでいた。
近くのビルに雇われ社長としていたらしい。
中江さんは、下町木造アパート家賃4万5千のアパートで
煙草による失火で亡くなった。
末路は悲劇だ。
悪徳悪質芝信用金庫 曽根和行も投資で顧客から
1億近い金を騙し取った。
私は騙されなかったが、被害者になった。
他の営業職員に曽根和行のおかしな動きを忠告したにも関わらず無視。
曽根も刑務所に入った。
しかし 多田政則は、私の金を横領したが逮捕されていない。
人を騙して金儲け
人を泣かして金儲け
天罰は下る。