24日(土)息子と5歳の孫娘が
遊びにやってきた。
作業部屋の棚の一番上にある物を差して
「あれなあに」と言う。
おろして見せた。
積年の埃を被った帆船である。
孫娘は、戸惑いながら見つめる。
遊びにやってきた。
作業部屋の棚の一番上にある物を差して
「あれなあに」と言う。
おろして見せた。
積年の埃を被った帆船である。
孫娘は、戸惑いながら見つめる。
「これね、おじいちゃんのおとうさんがつくったの」
意味不明であろうが、ビックリ!
引退してからは、庭いじりと雨の日は絵画を制作。
私が小学生の頃、多摩川べりにあった教室の窓から
父が画材を持って土手を歩くのを見かけた。
35年前 新潟越後湯沢で客死した葬儀では
父の創作品を道路に並べた。
そのような趣味があるとは知らなかった近隣の方々は驚いた。
那須の貧しい家庭で3男として生まれ7歳の時、母親を亡くした。
孤独な子供だった父は絵を描くことだったが絵の具もなかった。
私たち3人の息子が中高で使って残した絵道具を使って描いた。
画材は、自宅の廃材、弟の仕事である絶縁材料
広告チラシをはめこみながら、貼り絵、城郭、帆船を創作。
絵画の勉強は教わることもなく、ひたすら描いたのだ。
高校生の時、夏休み課題の絵を黙って父の下描きを提出した。
教師は見詰めるだけで、じろっと私を見たが
何も言わなかった。
「内心、お前が描ける訳ないだろ」
息子3人は全く絵のセンスはなかった。
父は71歳で逝った。
私たち3人兄弟は父の寿命を越えた。
父の遺作に想いを馳せるが
3人が逝ったら、捨てられるのか
孫達にとっては記憶もないので
感傷も湧かないであろう。
私が没したとて思い出になる物は何もない。
思い出は彼方へ。
思い出は彼方へ。
ステキな心に滲みるお話ですね。
お父様、器用なお方で絵がお上手でいらしたのですね。
富士山の絵がとても素晴らしいです。✨✨
素晴らしい記事を紹介していただき、ありがとうございます。