10月13日(日)朝7時起床、準備体操していざ出発。
今日は冷え込むと天気予報。
右足小指が少し痛む。
ABCマートで購入した安物のキャラバンシューズは合わない。
小田急線に乗車中、何処に登るか思案中。
決めかねていたが、10時鶴巻温泉駅下車。
駅前蕎麦屋でコロッケ蕎麦を食べる。
駅前コンビニでポカリスエット購入
10時半
弘法山入り口でトレランの集団が走り出すのを見てから
歩き出す。
若者がしなやかな体で躍動感溢れる走りは羨ましい。
私の気持ち的には?と疑問符だが。
11時半 先行していたトレラン集団が立ち止まっていた。
若い男性が右腕を出血した治療中。
転んだのだろう。
私が疑問符だったのはこの事だった。
通常ハイキング、所謂軽装登山でも
長袖シャツ、長ズボン、帽子、軍手が
最低限の身姿と教えられた。
グループには半袖、短パンのみがいる。
長袖は強い陽差し保護、虫除け、樹木接触しての切り傷
転んだ時に手、腕、脹脛の傷を最小限に止める。
欧米から入ってきたスポーツ登山なので
日本が山岳信仰から山登りするのとは異なるので
批判も出来ないが。
柔道とJYuDOの違いかな?
駆け抜ける若者達のために、山道脇で待つのだが
挨拶もせず通り過ぎる。
最後尾の指導者らしき女性が
「すいません、私が最後です」
登山の暗黙ルールは登る人が優先
下る人はすれ違うまで待機して
「こんにちは」!と挨拶交わす。
そして、互いに歩いてきた山道に
崩れ落石等を教えあうのだ。
私も10代の頃、峰から峰への距離と時間標識があると
それよりも短縮したいと走った。
粋がっていた。
大学で山岳部に入部した。
体育会山岳部は軍隊よりも厳しい上下関係と規律。
下山口近くになると重いリュックで走らされた。
雪融けの北アルプス上高地から釜トンネルを抜け
中の湯まで走り最後は腕立て伏せを25回して終わり。
シゴキだが、この異常とも思える訓練が重要になるのだ。
昭和43年1月 厳冬期立山から槍ヶ岳縦走。
縦走して26日目
槍ヶ岳目前、双六岳で6日間のビバークを強いられた。
食料が尽き、吹雪と堅氷の槍ヶ岳の肩に着き
そこから、槍沢を下るのだが、
雪崩に巻き込まれる危険は避けがたい。
山岳部員4年生4人、3年生2人、2年生3人、1年生2人
総勢11人
二年生をトップに最後尾はリーダー
雪崩を起こさないように
声も出さず、かんじきとアイゼンを軋ませ駆け下る。
死と生を計りに賭け、運と最後の体力勝負だ。
究極は生きて下山する。
シンプルな登山のために日々、春夏秋にトレーニングした。
そんな記憶を辿りながらトレラン集団を見送った。
集団が駆け抜けた山道に親子連れが登っていた。
心和むな!
11時半 分岐点、大山蓑毛方面に向かう。
12時 樹間の切れ間から秦野盆地を眺める。
12時半 静かな山道をデンデンムシのごとくゆっくり歩く。
下から声がする。
少女が登って来る。軽い足取りだ。
少女は下に振り返る。
喘ぎ喘ぎ両親が登ってきた。
「やあ~この登りはきついですね」
私も頷く。
13時半 若者が樹林から自転車に乗って現れる。
小太りだが足にはプロテクター。
訊ねた。
「これから鶴巻温泉に下る」
登りは担ぐ、下りは乗ったまま下山。
マウンテンバイクとは何ぞや?
オジサンにとっては登山の多様化には着いていけない。
13時50分 大山古道 蓑毛方面に下る。
下りだすと、ボールが撥ねる音。
ゴルフ場が見える。
14時 才戸入り口バス停の標識に従って下る。
竹薮の道だ。春には竹の子が取れそうだ?
14時半 舗装道路を下ると、歌人前田夕暮歌碑がある。
その下に蕎麦屋があった。
14時50分才戸 バス停着。
15時2分 蓑毛から秦野駅行きバスに乗車。
15時半、秦野駅から水無川沿いを歩き、万葉の湯へ。
露天風呂とハーブサウナに浸かる。
食事処でフローズンビールを飲む。
館内は空いていた。
登山と風呂で体内水分が枯れていたが
一気に滲みこむ。
秦野に住む高校時代の友人に「万葉の湯にいる」とメール。
友人は子供野球の役員をして休日は大会で忙しい。
17時45分 玄関で友人を待つ。
ホンダの軽でやって来た。
秦野駅まで送ってくれた。
ドア開けて出ようとした時、株主優待券の切符をくれた。
50年の付き合い。
先日 友人にメールした。
「貴君は若い頃、体操で金メダルを取った白井健三に似ている」?
今では 髪薄く、白髪だが当時は癖毛で目玉ぐりぐりだった。
今はその面影は微塵もない。
でも、いい奴だ。
ありがとう。
21時帰宅。
妻が言った。
背中と前に大きな荷物着けてと笑った。
西瓜腹は縮小していない。
今日の歩数計
31157歩
22433m
5時間10分
1475カロリー
脂肪燃焼204グラム
エクササイズ 18.98EX
異常でした。