11月11日(日) 1982年 昭和57年11月11日
今から30年前、サラリーマンが昼飯を食べ終わり、それぞれの職場に戻る
時間帯に神田駅ガード下の立ち食い蕎麦屋で具の無いうどんを食べた。
隣は活版印刷所で早刷り名刺を午前中頼んでいた。
オジサン、オバサン二人で薄暗い裸電球の下で鉛の活字組んでいた。
今では活版印刷は消滅したのだろうか?
白地の紙に会社名と氏名、住所、電話番号を印刷しただけの
名刺100枚を受け取った。
名刺には株式会社名と代表取締役の肩書きを入れた。
実際には登記していなかった。
本社登記をしたのは翌年昭和58年7月1日だ。
名刺を持って10分程中央通りを歩き7階建てビル4階に上がった。
銀座線三越前、徒歩60秒に事務所を借りた。
3坪にバス、トイレ、ガス、キッチン付
家賃 月6万6千円 保証金10ヶ月
当時坪単価2万円は高かったがロケーションが良かった。
ビルは中央通路の両側に3坪から6坪単位の小部屋が
まるで刑務所の独房のように並んでいた。
中古で買ったスチール製事務机、丸椅子、小さな中古のスチール棚
新婚の頃使っていたソファを置いた。
クーラーは無かった。
人が一人座れるスペースしかなく来客が来れば事務所対面の
喫茶店で商談する。
名刺が出来上がった日が創業日とした。
その日 名刺代金を払ったら小銭も無かった。
銀行、郵便局も閉まり
横浜に帰宅する電車賃が無くて
創業日に事務所ソファで寒さに眠れないまま朝を迎えた。
将来を暗示する艱難辛苦の始まりだった。