旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

Home は ここに

2016年02月15日 22時56分40秒 | 日々のこと
2月11日、映画の上映会が無事に終わった。
一人で行って、一人で帰ってきた。
いろんな人が“想い”を持って集まっていて、もちろん私もその中の一人なのだけど
私のやっていることや、考えていることや、話すことに、さっぱり自信がもてなくて
普段は「それが何やねん!」なんて思っているけれど、何の肩書も実績もない自分が
ひどく小さく思えて、シュンと背中をまるめて帰ってきた。

上映会が行われた明石は私が育った町。(正確には隣の伊川谷だけど)
20歳で家を出るまで、ここから電車に乗って大学に通っていた。
行きは必ず右側に、帰りは必ず左側に座るか、窓にもたれかかって外を眺めていた。
しばらくすると明石海峡大橋がすぐ目の前に現れ、そこからしばらく窓の外は海になる。

明石駅前は再開発ですっかり変わっていた。
私がいたのは本当にここだったのかな、と立ち止まるほど新しい街になっていた。

上映会が終わり、まだ夕方早い時間だったので、この時間をどう使うことも自由だった。
「少し実家に寄ってみようかな。母とお茶でもしようかな。」
「誰か久しぶりの友だちに連絡をとって、軽く食事でもして帰ろうかな。」
「一人で海の方まで散歩して、魚の棚で魚と天ぷらでも買って帰ろうかな。」
「くるみやのソフトクリームを食べたらちょっとは元気になるかな。」
新しくなった駅ビルの入り口でぼんやりと考える。人がどんどん通り過ぎてゆく。
昔のように「誰かいるかな~」と無意識に知り合いを探している自分がそこいた。

しばらくそんなことをしているうちにハッと気づいた。
もうここで会える人はいないし、ここで私を待ってくれている人もいないし、ここでやりたいことも
何もないのだということに。

もう戻らないんだ。時間も、場所も、気持ちも、この場所との親密さも。

悲しいわけでもなく、懐かしさにひたる訳でもなく、ただ心もとない感じだけ抱えて電車に乗った。
夕方の海がとても美しかった。「私、やっぱりこの景色が好きだなー」と心から思った。

駅に着くとダンナ氏とちびが改札のところで待っていてくれた。
大きな人と小さな人が二人、手をつないで私を探している。とても不思議なものを見ているような
気がした。「この三人は一体どこからきたんだろう?」「私、ついこの間まで独りぼっちだったはずなのに
なんでこんなことになってるんだろ?」だんだん距離が近づいて目と目が合った時、「あっ、ここなんだ」と
思った。なんてありがたいんだろうと思った。

「アイス買って帰ろう」とみんなでスーパーに立ち寄り、気の向くままカゴに入れていく。
栄養バランスとか、値段とか、食い合わせとか、なーんにも考えていない無節操さ。ビールも揚げ物も
何でもありだ。ちびたち大喜び。こういう時に何も聞かないし、何も言わないけれど、ただ黙って
好きにさせてくれるダンナ氏。もしここで「何やってるの?」「今日どうだった?」「家にごはんあるんだけど」
とか言われたら、私は多分何かの糸が切れておかしくなっているだろう。甘えているんだ、私はこの人たちに。
小さい自分がますます小さくなるけれど、この時私の保護者はダンナ氏とちびだった。

家に帰って、小さいながらも自分たちが作り上げたHomeでまるくなって眠る。
相変わらず何も聞かず「疲れたんでしょ」とひとこと言って、家事と育児の全てを淡々とこなすダンナ氏。

失くしたものと、手に入れたもの。
過去にしがみつかずに生きていられるのは、今があるから。
「バイバイ、もういいよ」と手を離すことができるのは、今ここに手をつなぐ人がいるから。
身勝手だなと思う。みっともないなと思う。傷つけた人もたくさんいるから。
それも抱えて、美化することなく、時に胸を張って、時に背中をまるめて、いったりきたりするしかない。

自立しても、仕事をもっても、家庭をもっても、子どもを産んでも、結局何も変わらない。
Homeを切望する気持ちはきっと変わらない。守るものに守られていることに気付いた冬の一日だった。


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