旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

手をつなぐ時期の終わりに

2016年03月26日 22時31分14秒 | 日々のこと
ふくのすけ、5歳7カ月。4月からは保育園で一番大きな年長児となる。
気が付くと、私と手をつなぐことがうんと少なくなった。ほとんどなくなったかも。

朝、保育園に行く時「かーちゃん、ふく、ほいくえんにいくから、しっかりついてきてね」と
言われた。「・・・はい。わかりましたよ。」

あんなに四六時中身体をくっつけていたのに。手をつなぐだけでいろんなことがわかったのに。
こんなに早くその時期は過ぎてしまうんだ・・・かーちゃんまだいつでもキミを抱っこできるつもりでいたよ。

このことに気づくまで、無意識にいつでもどんな時でも手を差し出していた。
でも気づいてからは違う。「手、つなぐかな?」と身構えてから差し出すようになった。
ほんのわずか瞬間のためらいではあるが、その時は母としてではなくあくまで一対一の個人の関係になっている。
手を差し出す私、その手をどうするかはふくのすけ次第。あくまで対等な関係だ。私がつなぎたい時は
「手、つなぎたいんだけどいいかな?」とことわるけれどそれでも「いやだ」と言われることもある。

ここで、淋しがったり、悲しんだり、過ぎた甘い日を(あったけな?)懐かしく押し付けたりしては
いけないんだろうな、と思う。それはただ単に親の感傷に過ぎないから。
成長を認め、喜び、パッと手を離せる親でありたい。が、これ結構切ないものです。
ふくのすけは大きくなることしか考えていない。いつも明日の自分を楽しみにしている。親がそれを喜ばずに
自分のもとにいつまでも引き寄せてどうすることか。

最近のふくのすけとの関係を振り返って、子どもに媚びずに向き合っていきたい、と強く思う。
そのために私は私のために毎日ごまかさずに生きていくしかない。育児というか人を育てるって厳しいなぁ。
今のふくのすけはとにかく話を聞いて欲しい、そして知らないことを知りたい、という欲求が爆発している。
ついつい「なんやろなー」「うーん、むずかしいなあ」とか「そんなことのまえに、○○をしてくれるかな」
とか言ってしまうけれど(時には怒鳴って会話を遮ることもある。未熟なのは私の方)手をつなぐ時期がこんなにも短かったように、きっとこの話を聞いて欲しい、全て知りたい、という時期も短いのだろう。「かーちゃんに聞いてもしゃーない」とだけは思われないように今、しっかり向き合っていかねば。

今日、おもしろかったのは「じんせいはーかみひこうきー♪」と歌ったあと(AKBらしい?)
「ほんまにじんせいはかみひこうきなん?それってどういうこと?ふくよくわからんのやけど」と
聞かれたこと。思わず笑ってしまったけれどふくは本気。「秋元康にきいてみなはれ」と答えておいたけど
うーん、なんて答えたらよかったのか。






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