Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

ジ・ゴ・ク・ニ・オ・チ・ロ

2008年06月24日 23時33分19秒 | Weblog
Most Americans believe that angels and demons are active in the world, and nearly 80 percent think miracles occur

ほとんどアメリカ人がこの世で天使と悪魔が活動しており、80%は奇跡を信じている。
92 percent believe in God or a universal spirit

92%の人が神やなんらかの宇宙霊を信じ、
. About one-third of the people surveyed said they receive answers to their prayer requests at least once a month and say they have experienced or witnessed a divine healing of an illness or injury.WapoJune 24, 2008;

調査された3分の1が祈りに対して返答が月に一度はあったといいい、病気や怪我の神霊的治癒を経験している。
92 percent believe in God, 74 percent believe in life after death and 63 percent say their respective scriptures are the word of God.WApoJune 23, 2008; 2:39 PM

74%は死後の世界を信じ、63%は聖書は神の言葉だと信じている。
魚拓

どっかに地獄の存在を信じるって記事もあたように思うが、どっかいっちゃった。

子供の虐待

2008年06月24日 03時52分33秒 | Weblog
ついでにThe sun 子供の虐待の記事。窓を釘付けにされて小便だらけ蛆がわく布団の上に寝かされ、髪の毛は引っ張られ、顔面はぶちのめされる、といった虐待に関する記事。おれは別にこうした記事に興味があるわけではないが、同じようなことが起きると、日本人論・日本論に走る外人ブロガーがいるから一応ね。

ついでにアメリカのも

Texas Town Reels From Horrific Abuse in Its Midst
A small east Texas town reels from sex abuse of children, hidden in plain sight
By PAUL J. WEBER Associated Press Writer
MINEOLA, Texas June 22, 2008 (AP)


こっちはアイルランド
independent

日本 商業捕鯨再開するぞと脅迫

2008年06月24日 03時39分53秒 | Weblog
Japan threatens to resume commercial whaling
 まあ、脅迫って訳語が適切じゃないかもしれないけど、そんな感じでしょう。
てか、批判が「科学的調査のもと鯨を殺している」というのが多いなら、はっきり商業捕鯨しますよ、鯨の保全はしますよ、と言ってやればいいとも思うが・・・・
 おれなんかだったら、「日本国民は牛肉を食わなくても、鯨肉でやっていく所存であります、米肉さま豪肉さま、長いことお世話になりました」くらい言ってもいいと思うんだが・・・・おれ、牛肉も鯨肉もどっちも要らんから・・・(^_-)

Examined Life

2008年06月24日 03時23分07秒 | Weblog
この前、紀伊国屋ぶらついて、なんか面白そうな本ないかなあああ、と思って買った本。The Examined Life ウィキにも要約がでているんだなああ?和訳もあるのか?ノチックっておいらがリバタリアンというとすぐに思い浮かべう男。死んじまったのか?知らんかった。
 目次をみるとわかるように、死、親子、創造、神と信仰の性質、日常生活のなかの神聖さ、セクシャリティ、愛の絆などなど、面白そうな話題満載。普段人はなんやかかいってなんの反省もなしに自動的に生きているだけだ、人生を吟味・点検してみましょう、というわけ。25章の政治のジグザグではご本人を有名にしたリバタリアニズムを批判している。
 前書きで、曰く、あの頃は若かった、どんなことに対してもなにか意見を持っていなくてはならん、と必死だった、しかし、いまは、これといって特に意見というものがない。要するに、探求する精神が肝心であって、なんとかイズムってのは本当はどうでもいいであろう。ま、そこらへんはおいらも同じやな。

 感動した本か、というとそれほどでもない。もともと自分にとって「アナーキー・国家・ユートピア」でもちょっと咀嚼しにくい思想家であった。今回のも波長がそんなにあうというわけでもない。が、しかし、The Examined Life: Philosophical Meditations. - book reviewsのレビューで酷評されているほど悪くはない、と思う。チラチラと深い洞察がある。

 愛の理論については、以前関連記事を読んでいたが、非常に単純な洞察であるが、明快だ。
 恋愛でも親子愛でも郷土愛でも愛国でも愛といわれるものは、愛する対象の福祉が自分の福祉とつながっているということ。単純にいえば、君が悲しいと僕も悲しい、君が嬉しいとき、僕もうれしい、ということ。単純でいい。そいでもって恋愛の場合には「われわれ」という新しい協同的自己を創造していく、とする。
 
 自己とはなにか?
  実体ではなく、単純な経験を反省的に我に帰属する、と組織立てるもの、みたいな感じでまとめている。固定したものではなく、流動的、有機的に成長・拡張していくものである。最大限に拡張すれば・・・宗教でいわれるような自己に近づいてくる。

 実在=本物
 実在=本物に関してが本書の中心問題のような気がする。名作の主人公の方が、実際の人物より、より本物=リアルっぽく感じることがある。名画の山の方が実際の山よりも本物=リアルっぽく感じることがある。そちらのほうがより明瞭、明細であり、価値があり、意味もあり・・・などの特性をもっているからである、という。
 実在がすべてのカテゴリーの根底にあり、その局面として、価値・意味などをとらえていく。
 
 価値と意味
 で、例えば、価値とは多様性の統合、意味とは価値と価値を関係ずけ、みたいにとらえる。

 するってええと、幸福や快楽だけが人生の価値でも意味でもない。楽しくても意味も価値もないこともある。すると、人生の価値とか意味という問題にも薄明かりが射してくるというわけだ。自分の命とか、死ということを考えてみても何らかの価値とのつながり、例えば、大自然のプロセスとのつながりということを思い起こせば、意味がそこに見いだせるかもしれない。


 同様に、Importance and weight という実在の側面についてーーーあるいは、カテゴリといってもいいが、、ーーー論攷していくのだが、実はこれが訳しにくい。翻訳がどうなっているのか、わからんが、Importanceというと普通「重要」ということだが、しかし、著者は影響力、他に与える効果という意味で使っている。で、Weight のほうが、「重み」という意味での「重要性」という訳語に近い。これは、逆に他に影響されにくさ、くらい意味。重みのある物は動きにくいし、重厚感のある人は、他の意見にくらまされない。

 ま、こんなふうにしていろんなカテゴリについて論述していくだが、こうした訳しにくさからすると、やっぱり、実在なんて言語の投影にすぎんのかな、という気もしてくる。

 で、すっとばすと、例えば、自分がかつて唱道したリバタリアニズムに欠けていたの洞察というのは、社会というものが社会の成員であるわれわれの絆を表現する組織でもある、ということらしい。レビューなんかではこっびどく叩かれているが、やはり重要な指摘であろう。因みに民主主義ってのは、選挙民が政策やらリーダなりをとっかえひっかえしながらジグザクに進行していく制度である、とする点でポズナーのにちょっと似ているかな、という印象をもった。

 ま、そんなところで。


 
 



日本ではオバマは猿扱い!

2008年06月24日 00時49分02秒 | Weblog
 やれやれ・・・これでイーモバイルは謝罪して、広告を取り下げる、というわけか。
このまえ投稿したイーモバイルのコマーシャルの件だ。Telegraphが、blackTokyoさんと、Japan Probeさんの投稿を引用して記事にしている。

 西洋では、

1) 黒人は猿と思われて/呼ばれていた・いる。しかし、それはよくない。

2) 猿が黒人の真似をしてはいけない。黒人が猿の真似ををしてはいけない。

 日本では、

3) そうした連想はない。
 (歴史が違う。アングロサクソン人はアイルランド人一般を白い猿とよび、また、黒人一般を猿と呼んでいた。日本にはそうしたことはない、だろう。)

4) 人が猿をまねて楽しみ、猿が人をまねて楽しむ習慣がある。

5) 個人と猿が結びつくことがある。
 例:お笑い芸人のゴリ間寛平 アニメでは猿飛サスケ、アパッチ野球団のサル
歴史人物では、豊臣秀吉
どのように評価されていたかは文脈による。

6) 日本でも黒人が猿の真似をしていはいけない、猿が黒人を真似てはいけない。

おれは、1)2)から3)4)5)にもかかわらず6)が導出される理由がわからん。

たんに西洋の基準に合わせろ、といっているだけではないのか?
なぜ、日本にいて、日本の基準にあわせてはいけないのか?
なぜ、黒人を日本人と同様に扱ってはまずいのか?

 

 まあ、よい。所詮グローバリゼーションとはアメリカニゼーションで、多文化主義なんていっても、日本の事情や文化を認めるのではなく、要するに西洋化というなんかもしれんな。開国以来ずっとそんな感じだもんな。所詮日本の文化や伝統や歴史などマージナルにすぎんからな。(〃_ _)σ(イジケ)

 しかし、幼稚園の桃太郎の芝居で黒人の子供に猿の役を演じさせてはいけない、などという通達をだすべきだろうか? 

 「なんでボビーちゃんはおサルの役やっちゃいけないの?」
 「それはね、海の向こうではボビーちゃんのように、肌の色の濃い人はみーんな猿そっくりって言われていて、ボビーちゃんもそう言われるようになったら可哀想でしょ。だからよ。」
 「ふーん、ボビーちゃんのように肌の色が濃い人はお猿さんそっくりっていわれるんだ?  
  (( ̄ー+ ̄)ニヤリッ)・・・・可哀想だね・・・・・お猿の役やれなくて・・・・」

 なんてことになるのだろうか?