毎年、今頃になると思うことがある。
それは、今から68年前の『11月26日』。
択捉島(エトロフ島)単冠湾(ヒトカップ湾)から、世界初の空母を主体とした旧帝国海軍の機動部隊がハワイのパールハーバーに向けて出撃した日だからだ。
つまり、あの悲惨な戦争の第一歩を踏み出した日だ。
時々思うことなのだが、あの時代の若者達はいったい何を思ってパールハーバーを目指したのか。
現代とは違い、個人で得ることのできる情報は本当に限られている。いや、それ以上に制約され、操作され、そしてある意味洗脳されていた時代だ。
本当に戦争に勝って日本という国が良い国になると思っていたのだろうか。
あの時代であれば、たぶんそうだと思うし、そして、私もあの時代に生きていたなら、たぶんそう思っていただろう。
本当に悲しい時代だったと思う。
私の周りには戦争に携わった人は、親や親戚を含めて誰もいなかった。
それこそ誰も戦争に行っていないと思っていた。
ところが、義姉の叔父が開戦当初、米軍機と空中戦の末、フィリピンの山中に両機とも墜落いていたという話を今年になって初めて聞いた。
そして偶然にも米軍機を捜索していたアメリカ人が3000フィートの山奥で、叔父の機体とその周辺に散乱していた遺骨を発見したという知らせが飛び込んできた。
年明け早々にも義姉は慰霊のためにフィリピンに行き、厚労省が同行できれば遺骨を日本に連れて帰ってきたいと言っている。
未だに戦争が終わっていない、というのを現実に突きつけられた感じだった。
それは、今から68年前の『11月26日』。
択捉島(エトロフ島)単冠湾(ヒトカップ湾)から、世界初の空母を主体とした旧帝国海軍の機動部隊がハワイのパールハーバーに向けて出撃した日だからだ。
つまり、あの悲惨な戦争の第一歩を踏み出した日だ。
時々思うことなのだが、あの時代の若者達はいったい何を思ってパールハーバーを目指したのか。
現代とは違い、個人で得ることのできる情報は本当に限られている。いや、それ以上に制約され、操作され、そしてある意味洗脳されていた時代だ。
本当に戦争に勝って日本という国が良い国になると思っていたのだろうか。
あの時代であれば、たぶんそうだと思うし、そして、私もあの時代に生きていたなら、たぶんそう思っていただろう。
本当に悲しい時代だったと思う。
私の周りには戦争に携わった人は、親や親戚を含めて誰もいなかった。
それこそ誰も戦争に行っていないと思っていた。
ところが、義姉の叔父が開戦当初、米軍機と空中戦の末、フィリピンの山中に両機とも墜落いていたという話を今年になって初めて聞いた。
そして偶然にも米軍機を捜索していたアメリカ人が3000フィートの山奥で、叔父の機体とその周辺に散乱していた遺骨を発見したという知らせが飛び込んできた。
年明け早々にも義姉は慰霊のためにフィリピンに行き、厚労省が同行できれば遺骨を日本に連れて帰ってきたいと言っている。
未だに戦争が終わっていない、というのを現実に突きつけられた感じだった。