一人想うこと :  想うままに… 気ままに… 日々徒然に…

『もう一人の自分』という小説を“けん あうる”のペンネームで出版しました。ぜひ読んでみてください。

二人だけの食器

2010-02-26 22:36:33 | 日記・エッセイ・コラム
 最近、カミさんがちょこちょこと食器を買い揃えるようになってきた。
それもきっちりと二人分の二個セット。
今までだと家族の人数分プラスアルファだったが、おそろいの二個セットしか買ってこない。
今日もちょっと大きめの汁椀を買ってきた。
どうも友達に触発されたようだ。
私たちと同世代の友人達の中には、すでに子育てを終えている人たちが結構いる。
その友人に、「これからは夫婦二人分だけの食器をそろえなさい」と言われたようだ。
確かに、これからは夫婦二人分だけの食器があればそれで十分。
先ほど買ってきた汁椀の二個セットを見て、カミさんは一人ニンマリとしている。
それを見ているだけで、なんだかこっちも楽しくなってきた。
なかなか良いもんだね。


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また新婚さんになった・・・

2010-02-22 22:06:53 | インポート
 息子が就職を機に一人住まいをしたいと言って自分でマンションを借り引っ越して行った。
と言っても引越し先は、同じ中央区の家から極近いマンション。
それでも一昨年に娘が結婚し、今年は息子が家を出ると、家に残るのは私とカミさんのジジババ二人だけになってしまった。
考えてみると結婚して直ぐに長女が生まれたので、それからは戦争のような日々を過ごしてきたような気がする。
それが息子がいなくなると、急に静かな家になってしまった。
正直言って、「寂しい」そう思っていると、何故かカミさんはウキウキとしている。
しかも、
「ワーイ、ワーイ、新婚さんだぁ~・・・!!」
といって、ルンルン気分のようだ。
そして、毎日家の中の掃除と部屋の模様替えに楽しんでいる。
言われると確かにそうかも知れない。
カミさんと二人だけで過ごすのは、結婚前いらいかも・・・
何事も考えようだね・・・!!


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旧陸軍パイロット黒沢軍曹68年ぶりの帰国

2010-02-12 22:53:23 | インポート
 先ほどフィリピン・ルソン島に米軍機と空戦し、戦死した叔父の遺骨収集に行っていた義姉が、叔父の遺骨と共に成田に着いたとメールがあった。
 今回、叔父の機体と遺骨を発見したのは、叔父と空戦した米軍機の遺族から以来を受けたアメリカ人が、米軍機を捜索していて偶然見つけたものだった。
そして日本の戦史研究家らに協力を仰いで遺族である義姉の元に連絡があった。
このように遺族が現地に行く前に戦没者の氏名が分かったのは初めてのケースらしい。
それほど黒沢軍曹は日本に帰りたかったのだろう。
 今日付けの北海道新聞に詳しい記事が載っています。
(写真をクリックすると拡大します)


Kurosawa1


 ただ、残念なことに、空戦相手だった米軍パイロットの遺骨はまだ見つかってはいない。
早く見つけてあげて、同じようにアメリカに返してあげたい。
義姉はそう思って手を合わせている。


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冬の実家

2010-02-06 21:27:17 | 日記・エッセイ・コラム
 今日、久しぶりにカミさんの実家に行ってきた。
この厳寒の時期に行くのは本当に久しぶりだ。
 札幌を出ると、天気も良く、風もないので直ぐに高速に乗った。
路面凍結のため、50キロ制限は出ていたが、だれも50キロで走っているのはいない。
都市間バスでさえ、平気で100キロで走っている。(いいのかね・・・?)
 順調に深川まで走り、国道12号線に下りて音江で右折し、細い山道を登っていった。
 久しぶりに来た実家は深い雪に埋もれていた。


Jikkanofuyu15


 大きな楡の木も健在。


Jikkanofuyu25


 かなり冷え込んでいるのだろう、風はまったくないが、肌に寒気がピリピリと刺し、鼻が詰まってツンツンとする。
 薄曇の中、太陽がぼんやりと浮かんでいた。


Jikkanofuyu35


 実家に来ると、いつも帰りにいろんなものを貰ってくる。
今日の収穫の一番は、米30キロ。しかも『おぼろづき』
もっとも玄米の状態なので、食べる前に精米しなければならない。
札幌では精米をする場所はなかなかないので、深川で精米して行くことにした。
 深川は道内でも米の産地で有名なところ。
市内のあちこちにこういう『コイン精米』がある。


Jikkanofuyu45_2


 30キロ精米するのに、400円だった。
これで美味しいご飯が一ヶ月はいただけそうだ。
嬉しいね・・・!!


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『ソース焼そば 目玉焼のせ』 其の二

2010-02-05 22:01:31 | 日記・エッセイ・コラム
 やはり、あの『○月』の小さいお店で店主が一人で作っていた頃の『ソース焼そば』を食べたい。
最近強く思うようになっていた。
でも、あのお店はもうない。
ではどうするか。
あきらめるか? いや、やっぱり食べたい。
そこで、自分で作ってみることにした。と言ってもレシピというものは当然ない。
あくまで自分流だ。
 『ソース焼そば』はスーパーでも普通に売っているので、それを使うのが手っ取り早いが、あの粉末ソースがどうも馴染めない。
パサパサしていて、『○月』のようなしっとり感がまったくない。
そこで普通のウスターソースを使ってみることにした。
 まずはキャベツ、いか、豚肉などの具材を炒め、蒸麺を入れてさらに炒める。
そして、ウスターソースを絡めてみた。
 味は? ・・・・・ 「そこそこ旨いけど、○月と比べると、うーん 50点」
何かが足りない。
試しに鰹節を入れてみた。
「まあまあ旨い。 70点」
 それでもまだ何かが足りない。
 フライパンの前で、一人で考えていると、カミさんが、
「オイスターソース使ってみたら?」
と言ってきた。
「お、なるほど」
 早速オイスターソースを足してみる。
「ん? これは・・・・ かなり近くなってきた。
だいたい80点くらいかな?」
 でも、ここが限界だった。
この先がまったく分からない。
 この時、ふと、あの小さな『○月』のお店で、厨房の棚に小さなカンカンに入っていた調味料を思い出した。
だが、その調味料がなんなのかはまったく分からない。それどころか、そのカンカンには『魔法の薬』と書かれていたのである。
 やっぱり最後の詰めは、店主が考え出した企業秘密なんだろうね。
 でも、この自分流の『ソース焼そば』、結構いけるよ。
それも目玉焼は必ずのせる。
これが自分流の定番。


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『ソース焼そば 目玉焼のせ』 其の一

2010-02-02 21:55:35 | インポート
 例の深夜食堂で、『ソース焼そば 目玉焼のせ』をテーマにやっていた。
今でこそ、札幌でも『ソース焼そば』の専門店は数多くあるし、スーパーでも普通に売られている。
だが、私が子供だった頃は、せいぜいインスタントの『香港焼そば』があるくらいで、本格的な『ソース焼そば』というものは食べたことがなかった。
それが中学生になった頃だったと思う。近所に『ソース焼そばとお好み焼き』の店がオープンし、友達に誘われて行ってみた。
 この店は『○月』という5~6人が座れるほどのカウンターだけの小さな店で、店主は関西の人で京都出身らしい。
 私と友達は、恐る恐る暖簾をくぐると、カウンターに座り、『ソース焼そば』なるものを注文した。
すると店主は私たちの目の前にある大きく広い鉄板の上で、「ジャージャー」と焼そばを作り始めたのである。
こういう鉄板焼というものすら初めて見る光景だった。
そして、その『ソース焼そば』というものの味は、本当に美味しいものだった。
 私達は、もうこの店の虜になり、高校を卒業するまで通いつめたものだった。
あの頃の中学生や高校生の間では、ある種、この『○月』というお店はブームだったと思う。
放課後や土日ともなると、満員で行列ができるほどだった。
 あの頃から30年以上が経ち、あの小さな『○月』というお店も大きく成長し、札幌市内に何店もチェーン店を出すようになっていた。
 数年前に懐かしくなって、ある『○月』のチェーン店に入って30年振りに『ソース焼そば』を食べてみた。
だが、このチェーン店の『ソース焼そば』は、あの小さなお店で食べてた味とはまったく違っていた。
正直言って、インスタント的な、あるいはファーストフード的な味になっていたのである。
 あの『○月』という小さなお店で、店主が一つ一つ愛情を込めて作っていた『ソース焼そば』。
あの味をもう一度食べてみたい。
ふと思うことだった。


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