Kennyのブログあれこれ

写真付きで日記や趣味を書くあれこれ

日記(9.19) 十五夜・ランタナの花(七変化)

2013-09-19 13:59:42 | 日記
9月19日 (木曜日) 晴れ 

今日は満月。中秋の名月も今夜は見えそうだと言う。
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中秋無月・雨名月
9月19日(木)は、旧暦の8月15日にあたり、
十五夜、中秋の名月となります。


お団子を食べながらお月見をするという方も多いかと思いますが、
この「中秋の名月」は、よく「中秋無月・雨名月」とも言われます。

それは、今の時期がちょうど秋雨や台風の時期にあたり、
名月が雲に隠れてしまうことが多いため、そのように呼ばれているんです。

過去5年間をみても、秋雨前線や台風の影響を受けている年が多く、
ある地域ではよく見えていても、全国的に天気に恵まれることはあまりありません。

東京に関して言うと、十五夜の夜によく晴れる確率は大体3割程度で、
3年に1度くらいしかきれいな名月を眺められない計算となります。


☆お袋が生きていたころは”毎年ダンゴ・ミカン・サトイモ”などを飾って
 お月見だった。古い人で暦の通りやらないと気がすまなかったんだろう。
 ススキを獲って来るのが、私の役目であった。
 今、思うと懐かしい!
 なんか忘れ去っていったものが・・沢山・呼び起こされる!この時期だ・・
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昨夕、東の空に月が上がったので撮ってみたが
上手く撮れない。
早朝は西の空に煌々と光っている。


いよいよ彼岸花も咲きだして来た。


稲穂は一面色ずいて、黄金色に光りはじめている。

桜より 桃よりうれしい 稲の花 (尊徳)と言うのがあったが
工業化社会になる前の、昔の農耕時代が忍ばれる。
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ランタナの花が咲き誇っている。

七変化(ランタナ) ・熊葛(くまつづら)科。

・開花時期は、 6/20 ~ 11/10頃。長い間咲き続ける。
・同じ茎から 微妙に違った色の花を咲かせる。
 まさに色の”七変化”。 実も、緑→青→黒、と変化しておもしろい。
・別名「ランタナ」





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三越伊勢丹ホールディングスは18日、
伊勢丹の買い物袋を55年ぶりに新調すると発表した。


写真左が新調したタータンチェック柄の買い物袋。同右は従来の柄(同社提供)

☆このことでも大きなニュースになるんだから、何かを変えると言う事は
 大変な事なんだ。

☆その昔、仕事を受けて、これは大変だ!と言ったら
     君、良いかい!・・ その文字は
    ”大きく変わると書いてタイヘン”と読むんだ。
だから、変えるのは容易なことではないんだと・・・・よろしく・と

三越と伊勢丹が一緒になって商売することになったニュースはびっくりしたものだが・・・
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以下読み飛ばして・・・・

☆三越は
元々”越後屋”の呉服部門で東京に進出と覚えている。

日本で初めて「デパートメントストア」を宣言したことで有名で、
そのため日本初の百貨店(デパートメントストア)と見る向きもあるが、
実際の店舗の百貨店化では必ずしも三越が最初ではなく、
この点については議論が分かれている。

三井財閥(現三井グループ)のルーツとなった
「越後屋」の呉服店事業を引継いだため
「三井財閥(現三井グループ)の礎を築いた企業である」とされることも多いが、
企業としての三越としてみるならば、
三井の事業から呉服店部門のみを「合名会社三井呉服店」として
分離したのが始まりである。

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越後屋・三井呉服店時代
1673年 伊勢商人
・三井家の三井高利が江戸本町一丁目(現在の日本銀行辺り)に、
    呉服店「越後屋」を開業(間口9尺の小さな借り店舗)。
1683年 大火にあい、本町から駿河町に移転し、両替店(現在の三井住友銀行)を併置。
1691年 大阪・高麗橋一丁目に越後屋大阪店と両替店を開設。
1837年 大塩平八郎の乱で大阪店が襲撃され全焼。
1872年 三井大元方(三井家全事業の統括機関)から分離して、
    新たに名目上の一家「三越家」名義で経営。
1875年 大阪店が規模を縮小し高麗橋三丁目に移転。
1888年 駿河町に「三越洋服店」開店。
1893年 越後屋を「合名会社三井呉服店」に改組。
1894年 大阪店が高麗橋二丁目堺筋角に復帰。
1895年 高橋義雄が理事に就任。経営の大改革に着手。
    11月には土蔵造り2階の大広間を打ち抜き陳列場として帳場座売りを廃止。
1900年 座売りを全廃。階下の座売場も陳列場となり全館開場。
    開店から客が流れ込み午前10時には表戸を閉切りにする程の盛況。
    女子社員の採用開始。

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☆さて伊勢丹は
 1886年(明治19年)11月5日 - 初代・小菅丹治が神田旅籠町
    (現在、東京都千代田区外神田・秋葉原駅前)に、
     伊勢屋丹治呉服店を創業。
1923年(大正12年) - 関東大震災が起こる。神田店焼失。
1924年(大正13年)4月 - 神田店再建。従来の座売制から陳列販売方式へ。
    以後、百貨店形式に変更。
1930年(昭和5年)9月30日 - 株式会社 伊勢丹を設立。新しい出店地を新宿へ決定。・・
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伊勢商人は、大阪商人、近江商人と並ぶ日本三大商人の1つである。
 江戸時代の伊勢国出身の商人で、安土桃山時代の16世紀後半から、
 本所となる伊勢以外にも江戸、大阪、京都などいわゆる三都に出店し
 日本全国に商売のネットワークを広げていった。

伊勢商人として、最も代表的な存在は江戸に呉服店越後屋を出店し
三井の基礎を作った三井高利である。

伊勢商人の屋号は主に「伊勢屋」「丹波屋」など。
江戸では主に伝馬町界隈に出店する事が多かったようである。
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日記(9.18) お葬式 ・ 防犯パトロール

2013-09-18 18:25:26 | 日記
9月18日 (水曜日) 晴れ


朝の涼しくなったこと。
関東北部では5度を下回ったところもあるらしい。



暑さ寒さも彼岸までと言うが
 来週が過ぎたら秋本番かな!

平均気温に例えると、3月の春の彼岸は概ね11月下旬から12月初めの気温、
9月の秋の彼岸は概ね5月末から6月上旬の気温とほぼ同じであり、
それぞれ秋から冬への過渡期の晩秋、
春から夏への過渡期の初夏の平均気温と等しくなる。


なお、この慣用句の意味を転じて、
「辛いこともいずれ時期が来れば去っていく」という意味の諺として用いられることもある。

☆蜜柑の実が急に大きくなってきた。



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今日はお葬式

体操部時代から現在までお世話になっている体操教室でも先輩指導員である
そのA先輩のお母さんが亡くなられて告別式へ出かける。
立派な祭壇である。

大正9年生まれで94歳との事で、仲間の多くは先に旅立たれたのであろう。
私の母と同じ年だ!こちらはH16年に旅立ったから約9年も長生きをされたわけだ。
90代に入ると、友達も少なって、少々淋しくなるなあ~。
場所は”ゆうえん”、今はお通夜に来られる方が多く、告別式は平日とあって少なかったが
親族の方は多かった。
お寺さんは石上寺(真言宗智山派)
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実の弟さんがお元気で最後に挨拶された。
”とうとう私一人になったと肩を落としてお話された!”のが印象的であった。

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あまり体調がよくないが
”防犯パトロール”の予定日
4時半からの時間配分で、
自治会の区内を一周して廻る。

その前に
当自治会の防災倉庫が区画整理事務所フェンス脇に設置されているため
草が多く生えてくる・・・ので、定期的にT副会長が刈ってくれている。
夏の名残りとは言え、結構な草の量だ。
熊手で掻きとってまとめる。

かたずけ終わってパトロール1時間程歩いて廻る。暗くなった。
残暑と言っていいのだろうか?
日中は結構暑い。湿度が少ないためか為、穏やかな静かな時が過ぎて行く・・・
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日記(9.17) 台風一過 晴れ

2013-09-17 18:44:01 | 日記
9月17日 (火曜日)  晴れ

昨日は酷い台風で、TVばかりみて過ごす。
映像を何枚か撮ってみた。


あの京都の桂川が凄い濁流に、一寸信じられないなあ~!
渡月橋が流されてしまいそうだった・・・

台風も一気に駆け抜けて、夕方4時頃には空も青いところが見えた。

一日中、くすぶっていた孫君の要求でお菓子を買いに出かける。
自分の好きな物を買ってしまえば、帰ろうコール・・



☆夕刻に、自治会長会議が夕食会を兼ねて5時半から8時まで
 先日の敬老会の反省と11月予定の連合での防災訓練の打ち合わせがあった。
 M会長と私が幹事で進行することになったが
 殆んどM氏にやって貰っている。
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夕べから今朝の17日は
台風一過、良い天気になった。
あの激しかった雲の渦もあっちこっちに災いを残していなくなった。

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畑に行ってみた、
楽しみにしていた、インゲンはクネ毎倒れ全滅。
植えたばかりの、ブロッコリー・キャベツ・白菜など相当に叩かれて
グッタリしている。ああ~あ!という感じだ。少々ガッカリだ。

耕した場所はグチャグチャで踏み込めず
わずかに残ったキュウリを獲ってきた。
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午後
自治会の資料作りをしてみたり、荒れた庭のかたずけなどしたが・・
ダラダラと一日が過ぎて行った。

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日記(9.16) シルバー川柳

2013-09-16 14:34:19 | 日記
9月16日 (月曜日)  夕

台風も熊谷を直撃して通り抜けていったらしい、
一時南東からの風も強く吹きつけていたが、2時頃には
おとなしくなった。
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今日は敬老の日で、多くのイベントがあったところも
酷い天気でどうしたことだろう?と思う。
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そんな中シルバー川柳の記事が

「☆暑いのでリモコン入れるとテレビつく」
「お医者様パソコン見ずにオレを診て」。

わかるわかるとうなずく方も多かろう。

この川柳、公益社団法人全国有料老人ホーム協会が毎年募集し
「敬老の日」に向けて入選作を発表している。

○次の2作は今回と過去の入選作など
約90句を収めて今月刊行された「シルバー川柳3」から採った。

この本の表紙を飾ったのは56歳の女性の作で

「来世も一緒になろうと犬に言い」

言う人が男性か女性かは不明ながら、老いのさびしさは男女を問うまい
それにしても、川柳が冴えている。
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○そんなお年寄りの孤独を癒やし、
 言語・身体の障害改善にも役立っているのがセラピー犬だ。
 
○国際セラピードッグ協会の大木トオル代表は、
 訓練した犬たちを連れて高齢者らの施設を訪問している。

多くは殺処分寸前で引き取った犬たちだ。

○ブルースシンガーとして滞米経験が長い大木さんは
 米国で「動物介在療法」を学んだ。
 日本に導入すると、自力歩行をあきらめた高齢者が
 犬と一緒の訓練で歩けるようになり、
 腕を動かせない人が犬をなでようと努めるうちに
 一人で食事ができるまでに回復した。

○「人は犬に心を開く。犬のすごさです。なじみのセラピー犬を枕元に呼び、
 『ありがとう』と言って亡くなった人もいます」。


 そう語る大木さんは犬たちを連れて福島へ通う。
 仮設住宅で孤立した高齢者の自殺が目立つという。

○川柳では表現しがたい過酷な現実。

 一度は人に殺されかけた犬たちが、  
 今は人を慰め、死のふちから救おうと頑張っている。
 私たちも負けてはいられない。

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シルバー川柳3までのシリーズ累計が50万部突破と言う。
すごいなあ~!売れているんだ。読者層が増えてる事もあるのかな!

他に新聞広告に出ていたシルバー川柳が・・・

 ○アレとこだ? アレは」あそこに ソレですよ
 ○AKB  わしらはこれよ  AED
 ○誕生日 ろうそく吹いて 立ちくらみ
 ○アーンして むかしラブラブ いま介護


その他いっぱい・・

■「いらっしゃい」孫を迎えて 去る諭吉

■日帰り で行ってみたいな 天国に
■三時間 待って病名 「加齢です」
■目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ
■二世帯を 建てたが息子に 嫁が来ぬ
■改札を 通れずよく見りゃ 診察券
■年金の 扶養に入れたい 犬と猫
■ガガよりも ハデだぞウチの レディーババ
■女子会と 言って出掛ける デイケアー
■お迎えは どこから来るのと 孫が聞く
■カード増え 暗証番号 裏に書き
■まだ生きる つもりで並ぶ 宝くじ
■歩こう会 アルコール会 と聞き違え
■厚化粧 笑う亭主は 薄毛症
■さびしくて 振り込め犯と 長電話
■孫たちに アドレス聞かれ 番地言う
■お辞儀して 共によろける クラス会
■若作り した日に席を 譲られて
■驚いた(惚)ホれると(惚)ボけるは同じ文字
■あちこちの 骨が鳴るなり 古希古希と
■退職後 犬の散歩で 知る近所
■おれおれと 名のって妻に すぐ切られ
■こんにちは 笑顔で答えて 名を聞けず
■おい!おまえ!いつしか妻の 名を忘れ

暗くなってしまうなあ~!
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元気な方もいらっしゃる。

金原まさ子さんのエッセイ本。
『あら、もう102歳』(草思社)です。

若い!
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こちら、体調がなかなか戻らず、少し焦っている。
明日はMクリニックに行って注射をでもして貰おう。

元気で
川柳を作っている人に笑われそうだ!

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日記(9.16) 台風18号上陸

2013-09-16 10:36:54 | 日記
9月16日  (月曜日)  雨(台風) 愛知に上陸 特別警報発令

早朝から突風で熊谷も被害がでている。
場所は違うが・・未だこれからが注意がいる。

物凄い湿気の風と雨が建物に拭きつける。
雨戸を閉めて、エアコン入れて除湿してTVのニュースを観ている。


レーダー画像と衛星画像 9/1610時ごろ

気象庁

多分1999年頃だったかフィリピン国に行く時、台湾横を通過するとき
台風の上?を飛んで行ったことが有るが
上空は非常に綺麗に晴れていて、台風の雲の大きさを実感したことがある。
写真は当時のものとは違うが、この様に見えた。

下は凄いことになっているんだと想像して降りたら、
この国はその後、酷かった覚えがある。怖いです。
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敬老の日を前に総務省が15日発表した高齢者推計人口によると、


同日現在の65歳以上の人口は
前年比3.7%(112万人)増の3186万人で、
過去最多を更新した。


総人口に占める割合も0.9ポイント上昇の25.0%と過去最高に達し、
全人口の4人に1人が高齢者となった。

男女別では、65歳以上の男性は1369万人で
男性人口の22.1%、女性は1818万人で女性人口の27.8%を占めた。

また、東日本大震災による仕事への影響に関する調査では、
2012年10月1日現在、震災に伴い離職や休職などに追い込まれた高齢者は全国で38万3000人。

このうち岩手、宮城、福島3県の在住者は10万2000人だった。
同日時点の65歳以上の避難者は7万6000人で、うち6万4000人が3県に在住していた。

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☆4人に一人は高齢者か?・・ 
 50年前あんなに沢山いた学生の私達も皆、高齢になったわけだ。

当地区の敬老の日の対象者は75歳以上である。
又、イベントに参加してくれた方は1/3で、何歳になってもお元気でおられる方はいいなあ~!・・・
自分も今からおよそ10年後には仲間だが、
この様な会に出られるかも、こころもたない。

各自治会情報によれば、
記念品を配って終わりのところも多いと聞くが、
今後、集まってのお祝い事を続けて行くらしい。

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なお、国立社会保障・人口問題研究所は今後も増加傾向が続き、
35年には3人に1人の割合となると予想。



高齢者と言う言葉を改めて、よい名はないのか?・・”熟年者”とか


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話題は違うが、埼玉新聞によれば・・

利根川のアユの遡上が激減とあった。

利根川中流の行田市須加と群馬県千代田町をまたぐ
利根大堰を溯上するアユの数が大幅に減少したことが分かった。

水資源機構利根導水総合事業所が毎年4月17日から5月まで溯上数を調査していて、
昨年の溯上数は10万1471匹だったが、
今年はわずか1万7282匹までに減った。 大凡1/6だ!

産卵期に何らかの影響があったと考えられるが、原因は分かっていない。


サケの遡上はどうだろうかな?
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