9月19日 (木曜日) 晴れ
今日は満月。中秋の名月も今夜は見えそうだと言う。
~~~~~~~~~
中秋無月・雨名月
9月19日(木)は、旧暦の8月15日にあたり、
十五夜、中秋の名月となります。
お団子を食べながらお月見をするという方も多いかと思いますが、
この「中秋の名月」は、よく「中秋無月・雨名月」とも言われます。
それは、今の時期がちょうど秋雨や台風の時期にあたり、
名月が雲に隠れてしまうことが多いため、そのように呼ばれているんです。
過去5年間をみても、秋雨前線や台風の影響を受けている年が多く、
ある地域ではよく見えていても、全国的に天気に恵まれることはあまりありません。
東京に関して言うと、十五夜の夜によく晴れる確率は大体3割程度で、
3年に1度くらいしかきれいな名月を眺められない計算となります。
☆お袋が生きていたころは”毎年ダンゴ・ミカン・サトイモ”などを飾って
お月見だった。古い人で暦の通りやらないと気がすまなかったんだろう。
ススキを獲って来るのが、私の役目であった。
今、思うと懐かしい!
なんか忘れ去っていったものが・・沢山・呼び起こされる!この時期だ・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
昨夕、東の空に月が上がったので撮ってみたが
上手く撮れない。
早朝は西の空に煌々と光っている。
いよいよ彼岸花も咲きだして来た。
稲穂は一面色ずいて、黄金色に光りはじめている。
桜より 桃よりうれしい 稲の花 (尊徳)と言うのがあったが
工業化社会になる前の、昔の農耕時代が忍ばれる。
~~~~~~~~~~~~~~~~
ランタナの花が咲き誇っている。
七変化(ランタナ) ・熊葛(くまつづら)科。
・開花時期は、 6/20 ~ 11/10頃。長い間咲き続ける。
・同じ茎から 微妙に違った色の花を咲かせる。
まさに色の”七変化”。 実も、緑→青→黒、と変化しておもしろい。
・別名「ランタナ」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
三越伊勢丹ホールディングスは18日、
伊勢丹の買い物袋を55年ぶりに新調すると発表した。
写真左が新調したタータンチェック柄の買い物袋。同右は従来の柄(同社提供)
☆このことでも大きなニュースになるんだから、何かを変えると言う事は
大変な事なんだ。
☆その昔、仕事を受けて、これは大変だ!と言ったら
君、良いかい!・・ その文字は
”大きく変わると書いてタイヘン”と読むんだ。
だから、変えるのは容易なことではないんだと・・・・よろしく・と
三越と伊勢丹が一緒になって商売することになったニュースはびっくりしたものだが・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以下読み飛ばして・・・・
☆三越は
元々”越後屋”の呉服部門で東京に進出と覚えている。
日本で初めて「デパートメントストア」を宣言したことで有名で、
そのため日本初の百貨店(デパートメントストア)と見る向きもあるが、
実際の店舗の百貨店化では必ずしも三越が最初ではなく、
この点については議論が分かれている。
三井財閥(現三井グループ)のルーツとなった
「越後屋」の呉服店事業を引継いだため、
「三井財閥(現三井グループ)の礎を築いた企業である」とされることも多いが、
企業としての三越としてみるならば、
三井の事業から呉服店部門のみを「合名会社三井呉服店」として
分離したのが始まりである。
~~~~~~~
越後屋・三井呉服店時代
1673年 伊勢商人
・三井家の三井高利が江戸本町一丁目(現在の日本銀行辺り)に、
呉服店「越後屋」を開業(間口9尺の小さな借り店舗)。
1683年 大火にあい、本町から駿河町に移転し、両替店(現在の三井住友銀行)を併置。
1691年 大阪・高麗橋一丁目に越後屋大阪店と両替店を開設。
1837年 大塩平八郎の乱で大阪店が襲撃され全焼。
1872年 三井大元方(三井家全事業の統括機関)から分離して、
新たに名目上の一家「三越家」名義で経営。
1875年 大阪店が規模を縮小し高麗橋三丁目に移転。
1888年 駿河町に「三越洋服店」開店。
1893年 越後屋を「合名会社三井呉服店」に改組。
1894年 大阪店が高麗橋二丁目堺筋角に復帰。
1895年 高橋義雄が理事に就任。経営の大改革に着手。
11月には土蔵造り2階の大広間を打ち抜き陳列場として帳場座売りを廃止。
1900年 座売りを全廃。階下の座売場も陳列場となり全館開場。
開店から客が流れ込み午前10時には表戸を閉切りにする程の盛況。
女子社員の採用開始。
~~~~~~~~~~~~~
☆さて伊勢丹は
1886年(明治19年)11月5日 - 初代・小菅丹治が神田旅籠町
(現在、東京都千代田区外神田・秋葉原駅前)に、
伊勢屋丹治呉服店を創業。
1923年(大正12年) - 関東大震災が起こる。神田店焼失。
1924年(大正13年)4月 - 神田店再建。従来の座売制から陳列販売方式へ。
以後、百貨店形式に変更。
1930年(昭和5年)9月30日 - 株式会社 伊勢丹を設立。新しい出店地を新宿へ決定。・・
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伊勢商人は、大阪商人、近江商人と並ぶ日本三大商人の1つである。
江戸時代の伊勢国出身の商人で、安土桃山時代の16世紀後半から、
本所となる伊勢以外にも江戸、大阪、京都などいわゆる三都に出店し
日本全国に商売のネットワークを広げていった。
伊勢商人として、最も代表的な存在は江戸に呉服店越後屋を出店し
三井の基礎を作った三井高利である。
伊勢商人の屋号は主に「伊勢屋」「丹波屋」など。
江戸では主に伝馬町界隈に出店する事が多かったようである。
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今日は満月。中秋の名月も今夜は見えそうだと言う。
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中秋無月・雨名月
9月19日(木)は、旧暦の8月15日にあたり、
十五夜、中秋の名月となります。
お団子を食べながらお月見をするという方も多いかと思いますが、
この「中秋の名月」は、よく「中秋無月・雨名月」とも言われます。
それは、今の時期がちょうど秋雨や台風の時期にあたり、
名月が雲に隠れてしまうことが多いため、そのように呼ばれているんです。
過去5年間をみても、秋雨前線や台風の影響を受けている年が多く、
ある地域ではよく見えていても、全国的に天気に恵まれることはあまりありません。
東京に関して言うと、十五夜の夜によく晴れる確率は大体3割程度で、
3年に1度くらいしかきれいな名月を眺められない計算となります。
☆お袋が生きていたころは”毎年ダンゴ・ミカン・サトイモ”などを飾って
お月見だった。古い人で暦の通りやらないと気がすまなかったんだろう。
ススキを獲って来るのが、私の役目であった。
今、思うと懐かしい!
なんか忘れ去っていったものが・・沢山・呼び起こされる!この時期だ・・
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昨夕、東の空に月が上がったので撮ってみたが
上手く撮れない。
早朝は西の空に煌々と光っている。
いよいよ彼岸花も咲きだして来た。
稲穂は一面色ずいて、黄金色に光りはじめている。
桜より 桃よりうれしい 稲の花 (尊徳)と言うのがあったが
工業化社会になる前の、昔の農耕時代が忍ばれる。
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ランタナの花が咲き誇っている。
七変化(ランタナ) ・熊葛(くまつづら)科。
・開花時期は、 6/20 ~ 11/10頃。長い間咲き続ける。
・同じ茎から 微妙に違った色の花を咲かせる。
まさに色の”七変化”。 実も、緑→青→黒、と変化しておもしろい。
・別名「ランタナ」
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三越伊勢丹ホールディングスは18日、
伊勢丹の買い物袋を55年ぶりに新調すると発表した。
写真左が新調したタータンチェック柄の買い物袋。同右は従来の柄(同社提供)
☆このことでも大きなニュースになるんだから、何かを変えると言う事は
大変な事なんだ。
☆その昔、仕事を受けて、これは大変だ!と言ったら
君、良いかい!・・ その文字は
”大きく変わると書いてタイヘン”と読むんだ。
だから、変えるのは容易なことではないんだと・・・・よろしく・と
三越と伊勢丹が一緒になって商売することになったニュースはびっくりしたものだが・・・
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以下読み飛ばして・・・・
☆三越は
元々”越後屋”の呉服部門で東京に進出と覚えている。
日本で初めて「デパートメントストア」を宣言したことで有名で、
そのため日本初の百貨店(デパートメントストア)と見る向きもあるが、
実際の店舗の百貨店化では必ずしも三越が最初ではなく、
この点については議論が分かれている。
三井財閥(現三井グループ)のルーツとなった
「越後屋」の呉服店事業を引継いだため、
「三井財閥(現三井グループ)の礎を築いた企業である」とされることも多いが、
企業としての三越としてみるならば、
三井の事業から呉服店部門のみを「合名会社三井呉服店」として
分離したのが始まりである。
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越後屋・三井呉服店時代
1673年 伊勢商人
・三井家の三井高利が江戸本町一丁目(現在の日本銀行辺り)に、
呉服店「越後屋」を開業(間口9尺の小さな借り店舗)。
1683年 大火にあい、本町から駿河町に移転し、両替店(現在の三井住友銀行)を併置。
1691年 大阪・高麗橋一丁目に越後屋大阪店と両替店を開設。
1837年 大塩平八郎の乱で大阪店が襲撃され全焼。
1872年 三井大元方(三井家全事業の統括機関)から分離して、
新たに名目上の一家「三越家」名義で経営。
1875年 大阪店が規模を縮小し高麗橋三丁目に移転。
1888年 駿河町に「三越洋服店」開店。
1893年 越後屋を「合名会社三井呉服店」に改組。
1894年 大阪店が高麗橋二丁目堺筋角に復帰。
1895年 高橋義雄が理事に就任。経営の大改革に着手。
11月には土蔵造り2階の大広間を打ち抜き陳列場として帳場座売りを廃止。
1900年 座売りを全廃。階下の座売場も陳列場となり全館開場。
開店から客が流れ込み午前10時には表戸を閉切りにする程の盛況。
女子社員の採用開始。
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☆さて伊勢丹は
1886年(明治19年)11月5日 - 初代・小菅丹治が神田旅籠町
(現在、東京都千代田区外神田・秋葉原駅前)に、
伊勢屋丹治呉服店を創業。
1923年(大正12年) - 関東大震災が起こる。神田店焼失。
1924年(大正13年)4月 - 神田店再建。従来の座売制から陳列販売方式へ。
以後、百貨店形式に変更。
1930年(昭和5年)9月30日 - 株式会社 伊勢丹を設立。新しい出店地を新宿へ決定。・・
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伊勢商人は、大阪商人、近江商人と並ぶ日本三大商人の1つである。
江戸時代の伊勢国出身の商人で、安土桃山時代の16世紀後半から、
本所となる伊勢以外にも江戸、大阪、京都などいわゆる三都に出店し
日本全国に商売のネットワークを広げていった。
伊勢商人として、最も代表的な存在は江戸に呉服店越後屋を出店し
三井の基礎を作った三井高利である。
伊勢商人の屋号は主に「伊勢屋」「丹波屋」など。
江戸では主に伝馬町界隈に出店する事が多かったようである。
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