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日記(12.26) 除夜の鐘のこと

2013-12-26 17:44:52 | 日記
12月26日 (木曜日)  晴れ→曇る。

多忙にして短日
身はそれほどでなくても、すぐに暗くなって、
気だけは急ぐから・・落ち着かない。
かたずけなくてはならない事も多いがなかなか手につかず。・・・

毎月の事であるが
自治会からの配布物が6種類と多い。副会長宅に回覧用部数に分けて配布する。
学校関係が3校と連絡文など・保育園・公民館・区画整理事務所からの
案内文などである。

講習会の行事案内があって、出席者の応募のまとめがあると、相談してメモを付けて
回覧することになる。
お留守だったりすると、二度手間がかかるが・・そこはコミュニケーションだ。

防犯灯も器具交換などで補助申請の準備(見積もり・地図・申請書)を準備。

2月3日高尾山節分祭・参拝願いへのお誘い案内が有って
2人で参加することにした。
早速、会費を納めに纏め役のK宅に行ってくる。
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午後は昨日と同じで孫君の遊びの手伝いだ!

日も押し詰まってきた。
すぐに大晦日で除夜の鐘。

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■除夜の鐘とは?

12月31日、
大晦日の夜を1年の日ごよみを除く夜と言う事で除夜と言います
1年の最後の夜を締めくくり、暮れゆく年を惜しむ意味で昔から
いろいろな行事が行われてきました。
その中に新しい年を迎えるにあたり除夜の鐘が108回あちらこちらのお寺でつかれます。
では除夜の鐘を108回つくのはなぜでしょう。


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108という数が人の煩悩の数だというのは有名ですが、
その108という数の由来については諸説があります。

まず、108の煩悩は人間の感覚を司る眼(げん)耳(に)鼻(に)舌(ぜつ)身(しん)意(い)の六根が、
それぞれに好(気持ちがよい)悪(いやだ)平(何も感じない)不同の3種があり
3×6=18の煩悩となり、これが、また浄(きれい)染(きたない)の2種に分かれ18×2=36の煩悩となり、さらに、現在・過去・未来の3つの時間が関わって、36×3=108となります。
これが、108の煩悩だといわれています。
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そのほかには1年の12ヶ月+24節気+72候を合わせて108とし、
108という数は煩悩ではないとするものなど色々とあります。

一方、鐘を鳴らすことは中国の宋の時代に起こったもので
その打ち方は『勅修清規』に
「慢(よわく)十八声、緊(はやく)十八声、三緊三慢共一百八声」と記されています。
除夜の鐘を聞きながら1年を振り返り、良い年を。
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除夜の鐘の事では連想することもある。
★もう10年程前になるが
 蘇州の工場立ち上げ時に何度か蘇州を訪れた。
 現地の董治長(社長)から観光地の案内もされて
 中国の蘇州の寒山寺では12月31日の夜は
 除夜の鐘を突く日本人でいっぱいと聞いた。!


 後でそのことについて調べたらら・・その訳は
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寒山寺はこの詩で大晦日の除夜の鐘を中心
 日本人がたくさん訪れます


詩の原文

月落烏啼霜満天、月(つき)落(お)ち烏(からす)啼(な)きて霜(しも)
            天(てん)に満(み)つ
江楓漁火対愁眠。 江楓(こうふう)漁火(ぎょか)愁眠(しゅうみん)に対            (たい)す

姑蘇城外寒山寺、姑蘇(こそ)城外(じょうがい)の寒山寺(かんざんじ)
夜半鐘聲到客船。夜半(やはん)の鐘声(しょうせい)客船(かくせん)              に到(いた)る

★私も一幅のこの詩の写しを購入してきたが、何処かにしまい忘れた。
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寒山寺は江南屈指の観光名所。
日本からも毎年大晦日になると、寒山寺で除夜の鐘をつこうと
多くの観光客が訪れます。


寒山寺を天下に知れ渡る名刹たらしめたのは、
ひとえに「楓橋夜泊」一首によるものですが、
右の説に従えば、実は寒山寺と張継の詩はまったく
無関係であったということになります。
しかしながら、この詩が蘇州の寒山寺を歌ったものとして
読まれてきた享受の歴史の長さは揺るがしがたいものがあります。
考証の信憑性の高さを以てしても、この詩の文学作品として風趣を減ずるものではなく、また寒山寺の詩跡としての価値をくつがえすものでもないでしょう。

詳しくは
名を天下に知らしめた漢詩 寒山寺 楓橋夜泊 - 遣唐の夢をクリック。


★それにしても
 12月24日から1月にかけては
 キリスト教・仏教・神教とめまぐるしいが日本は、八百万の神
 やおよろずとは具体的には、ものすごくたくさんと言う意味です。

 台所の神様、交差点等の辻の神様、まぁ神様だらけです。
 家の中なんか神様だらけですよ
 台所だけでも箸、茶碗、流し、包丁、何にでも神様感じちゃう国民なんです。
「もったいない」とか、「お天とさんが見てるとか」道徳とアニミズムが
 融合してるって事なんでしょうか?ねえ~。

 度量が広い国民性(教育かな!)なんだ。
そういう私も月始めには、家の周囲にお塩を蒔いてお清めをしている。
 私も結構信心深いほうである。
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何だか物ごとの本質をつき詰めると

 全てのものには魂?があると言う様な・・これは 
 イデア論だったか!高校時代に
 未だ着任間近い若い鈴木先生が教えてくれた。・・・
 そのまま”あだ名”が イデアとなった。

*今、考えればプラトン哲学の話であた。
 簡単には??・理解ができない哲学である。

この世の中には様々な「事物」がありますが、
それらにはいずれも、それをそれとあらしめる「本質」的なものが在って、
それのおかげで「事物」は「事物」たりえると考えます。
この「本質」的なものをイデア(真実在)と呼んでいます。

玉には玉のイデアがあり、美には美のイデアが在るというのです
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やおよろずの神から脱線した。



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