2011年1月1日(土曜日)初日の出が拝めた。
急激に天気が良くなって良い元旦である。
朝の雲を撮ろうと思ったが安物のデジカメでは限界がある。
今年は喪中で正月気分のものはなく平生の新年が始まった。
門松の竹の切り口お何故斜めに切るのか、新聞のコラムで読んだことがあるが、
確認の意味で調べてみた。
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お正月の門松は竹を斜めに切るがその由来
。
遠州三方ヶ原の戦いで武田信玄に敗れた徳川家康は浜松の居城に逃げ込んだ。
1572年の暮れのことである。籠城のまま歳を越し徳川軍の居城を囲む武田軍から
年始の挨拶として送られてきた書状にこんな歌が書かれてあった。
松枯れて竹たぐひなきあしたかな
松=松平(徳川)が廃れ、竹=武田が栄えるめでたい元旦である…というのが歌意。
その返信には以下の歌が添えられていた。
松枯れで武田首なきあしたかな
松平(徳川)が滅びず、武田信玄の首が飛ぶなんとめでたい元旦である…という歌意。
かなで書くと濁点を付け替えただけであることが分かる。
なかなか機知に富んだ返歌である。
この歌を見て徳川に知将の居ることを悟った
信玄が兵を引いたというのは出来すぎた話だが、
江戸幕府が開かれてからは正月になると江戸城の全ての門に
この故事に習って竹の先端を斜めに切った竹を使った
門松が飾られるようになったそうである。
日本人は戦国時代の話が好きであるが、
私たちの気づかない所に戦国の遺風が脈々と受け継がれている
というのはちょっと不思議に感じる。
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コラムの通りであった。
しかし斜めに切らずに節に平行に切った門松もある。(武田の子孫のお家かな?)
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