立会川の谷から、再び台地の上まで登り切った辺り、もうすっかり宅地化されているのだが、そんな町中に三谷八幡神社があった。ここは少し大きめの神社。元は、前に取り上げた小山八幡神社がこの辺りの鎮守であったのだが、宗教上の争いからこの神社が創建されたという。境内には、平成四年銘の創建三百年記念碑が建てられていた。
手水舎。
神楽殿は参道左手にある。
社殿。木造の立派なもの、
銅葺きの屋根も美しい。
三谷八幡神社の扁額。今は勿論、小山八幡神社との間の諍いなどはなく、お祭りも両社で揃って行うのだという。
社殿の左手には、境内社の稲荷社が祀られている。
敷地に隣接して、金山地蔵尊も祀られている。江戸初期からあるもので、八幡通りと碑文谷道の交差する辻にあった。(現在の小山5-15-8)大正末期に行われた耕地整理でこの場所に移された。小山村の旧家である石井、伊藤両家の塔種が九品仏に願を掛け、叶ったので、地蔵菩薩を祀ったのがはじまりという。昭和二十九年に劣化と戦災のため、お堂と石像が再建されたという。
昭和29年に再建された地蔵尊。
庚申塔も並んでいる。これらも、大正末の耕地整理に伴ってここに移されたという。庚申供養塔は右寄り二基は正徳二年(1712)と享保四年(1719)のもの、左端は元禄年間(1688~1703)ものを昭和三十二年に再建したものだという。馬頭観世音菩薩供養塔は、農村であった小山村の農耕馬の供養のためのもの。これも昭和二十九年に再建されたものだという。
手水舎。
神楽殿は参道左手にある。
社殿。木造の立派なもの、
銅葺きの屋根も美しい。
三谷八幡神社の扁額。今は勿論、小山八幡神社との間の諍いなどはなく、お祭りも両社で揃って行うのだという。
社殿の左手には、境内社の稲荷社が祀られている。
敷地に隣接して、金山地蔵尊も祀られている。江戸初期からあるもので、八幡通りと碑文谷道の交差する辻にあった。(現在の小山5-15-8)大正末期に行われた耕地整理でこの場所に移された。小山村の旧家である石井、伊藤両家の塔種が九品仏に願を掛け、叶ったので、地蔵菩薩を祀ったのがはじまりという。昭和二十九年に劣化と戦災のため、お堂と石像が再建されたという。
昭和29年に再建された地蔵尊。
庚申塔も並んでいる。これらも、大正末の耕地整理に伴ってここに移されたという。庚申供養塔は右寄り二基は正徳二年(1712)と享保四年(1719)のもの、左端は元禄年間(1688~1703)ものを昭和三十二年に再建したものだという。馬頭観世音菩薩供養塔は、農村であった小山村の農耕馬の供養のためのもの。これも昭和二十九年に再建されたものだという。
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