東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

東海道品川宿を歩く~その十一:小泉長屋

2014-11-01 18:21:29 | 品川区
 東海道品川宿を歩く。今回は本宿の一心寺の向かい側の路地を入って行った先、虚空蔵横町の奥を見ていこうと思う。歩行新宿から始まって、まだ目黒川を越えて南品川まで行こうというのに、これだけの題材が毎日扱えるほどに品川の町は見所が多い。それは、何度書いていることだが、東海道という我が国でも第一の幹線の宿場町として栄えた歴史と、震災と戦災の二つを免れたことで、その前の時代からの流れが途切れることなく続いているということによるものだ。都心部では失われたものが、まだここには残されているという感想を持っている。

 さて、虚空蔵横丁を入ったところには、虚空蔵菩薩のある明鏡山善光院養願寺というお寺である。天台宗のお寺で、正安元年(1299)の創建という。天台宗のサイトより。「当寺のある「品川」その地名は平安朝の時代から有り、古来より幾多の由緒に彩られた町です。鎌倉、室町、桃山、江戸時代に渡り栄え、江戸と上方を結ぶ重要な交通路でありました。
徳川時代に東海道に宿場が始めて設置されたのは慶長6年(1601)の頃になります。
当山養願寺御本尊虚空藏菩薩は木像で空海作と傅えられます。十三詣りでも知られ、福徳智恵を授かるといわれております。また丑年寅年生れの一代守本尊でも有ります。
他に阿弥陀三尊が安置されていますが、鎌倉時代制作と云われる善光寺式阿弥陀三尊で区文化財指定を受けています。
また木造不動三尊像三躯が安置され制叱迦童子立像の面部のはぎめの墨書の名及び玉眼のあて木にはさまれていた文書から此の三尊の由緒が知られました。仏師春達により万治元年(1685)に制作されたと記され区文化財指定を受けています。」


 横町の入口の案内板には、かつては本尊が阿弥陀如来であったが、現在は虚空蔵菩薩になっていると書かれている。つい最近に、境内の整備が行われたようで、真新しくキレイになっている。


 水盤は大きなもので、しかも古そうな物が置かれている。このお寺、門構えはあるが、正面は塀で囲われているわけでもなく、周囲の街並みに溶け込むように存在している。古い時代から、ずっとこの町の生活の中にあったことが忍ばれる。


 商店街に買い物に出た人が、通りすがりに手を合わせていくような、そんな雰囲気。この町の人々の生活の中に、それがごく普通の日常としてあるようなお寺になっている。


 昭和四年の銘の入った扁額が掛けられている。


 境内の周辺。塀もなく、そのまま周辺の町と一体化している。明治の古写真に出て来そうな、ハイカラな二階家。


 その裏手に入って行くと、細い露地が迷路のように広がっている。この辺りが、小泉長屋という辺りである。
「小泉長屋  北品川宿の字名で、面積五反八歩(四九八四平方メートル)の地域です。寛文四年(一六六四)に板倉主悦の抱地になった地で、その後、祐心という人物の所持となって百姓地となり、寛延のころ(一七四八~五〇)に祐心が小泉屋金左衛門に譲り、同地に貸長屋を建てたため小泉長屋と呼ばれました。」


 細い露地も、江戸時代のままの町割が残されている。そして、路地には井戸がある。井戸だけならともかく、その流しになっている部分がレンガ敷になっているのが、ハイカラの町品川らしい。


 その名の雰囲気を今も残した路地。建て替えも進んでいるのだが、町割りそのものは変わらない。


 歩き回っていると、お稲荷さんがあった。
「於春稲荷の由来
創建はいつ?
 一.武家屋敷の守り神であれば、寛文四年(一六六四)旗本板倉主悦の抱地となった時から長屋のできた寛延年間(一七四八~一七五〇)以前に創建されたと推定できる。
 二.庶民信仰であれば、長屋ができた後の寛延年間以後で稲荷境内に現存する歌碑の文久四年(一八六四)作、以前の爽軒が考えられます。
於春の名称について
 於春が姑にいびられて、この付近にあった池に身を投げた説。品川大火の時に防火に活躍した娘が於春であったなど諸説があり、名称の由来は定かではない。
《地域の火防稲荷として、例大祭を毎年十一月三日に行っています。》
 泉友会《於春稲荷の管理と継承の会》」


 丁寧な解説が掲示されていた。小さなお稲荷さんだけど、こんな風に大事に思われていて、地域で大切にされていることを感じる。


 マメに掃除などもされている雰囲気で、キレイに保たれている。どれほどの時をこの町と共に生きてきたのだろうか。


 さっきのものとは別のところにも、こんな風に井戸がある。手押しのポンプが懐かしい。


 こんな風に、細い露地が延びていく。舗装され、電気が通り、家々がモルタル仕上げに、そしてそこからまた建て替えられていく。



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