旧朝倉家住宅から出てくると、再び目切坂上。前に掲載した道しるべと地蔵の横を下っていく路地がある。マンションのアプローチになっているが、かつてはここを三田用水が流れていた跡でもある。この先、駒沢通りに出て、鉄樋で道路上を交叉して向こうへと伸びていた。
そのすぐ近くのマンション入り口の前には、案内板が建てられている。目黒の富士塚がここにあったという。
「目黒元富士跡 上目黒1-8
江戸時代に、富 . . . 本文を読む
さて、観音坂を上っていくと、行き止まりかと思いきや、階段で逆落としのように下っていくところに出てくる。このあたりは渋谷区と目黒区の境界なので、行ったり来たりになるのだが、また目黒区に戻ってきた。観音坂の別称が、新富士坂であったのは、目黒新富士と呼ばれた冨士塚がこの辺りにあったからなのだ。
下っていく坂は別所坂という。その階段を少し下り掛けたところに目黒新富士の案内板が設置されている。
「目黒の . . . 本文を読む
さて、三田用水が新茶屋坂に突き当たるあたり、新というくらいなので、オリジナルの茶屋坂というのももちろん存在している。それが、この折り返すように斜めに下っていく道。勾配を緩和するために斜面を斜行していく形になっているのだが、かつては未舗装で馬で通ったりすることを考えると、かなりの難所であったことが分かる。
ここは徳川将軍が鷹狩りに出掛けてきたり、目黒筋の寺院への参詣もあっただろうが、そんな時に通 . . . 本文を読む
さて、目黒駅から恵比寿へ向かう尾根筋の道、今は道幅も広く、歩道もたっぷりスペースが取られていて快適な道になっている。この道を進んでいくと、小さな神社があった。三田春日神社という。このあたりは三田と言い、港区の三田と飛び地で遠い昔には同じ行政区であったらしい。
「目黒三田春日神社 由緒
当社は人皇六十二代村上天皇の御宇天徳二年(九五六年)春、上巳の節句に武蔵国国司藤原正房卿任国の折藤原氏の氏神たる大 . . . 本文を読む
今回から、目黒区を歩いてみてみようと思う。まず最初は、目黒駅から線路沿いの道を恵比寿方面に歩いてみる。この辺りは、私が高校生だった頃からうろうろしていた覚えがあるのだが、ガーデンプレイスができて、更にその後の道路拡張で様相が大きく変わったところでもある。そして、この道に平行するように、三田用水が流れていたところでもある。目黒川の谷に面した崖の上の道とも言えるし、その反対側には山手線の線路の谷が出来 . . . 本文を読む
目黒区にも、郷土資料館はある。めぐろ歴史資料館という名称で、中目黒駅から徒歩十分程度の距離。
地図などはこちらに出ている。山手通りから少し入った所。駒沢通りを過ぎて少し行った辺りだ。
開館時間:9:30~17:00
休館日:月曜日(ただし月曜日が休日の場合は火曜日)、年末年始
入館料:無料
駐車場は無く、館内は禁煙である。
山手通りには案内看板が出ている。
元は学校だった建物を転用して . . . 本文を読む
さて、目黒不動瀧泉寺の門前には古くからの寺であったからなのか、他にも多くの寺院が集まっていた。門前町の名物が筍飯と飴であったというのだが、今の門前町はこんな感じ。かつての賑わいが少し過去のものになりつつある雰囲気も感じる。
その門前の通りに、たこ薬師がある。成就院といい、慈覚大師円仁によって858年にに建立されたという。瀧泉寺が808年の創建と言い、碑文谷の円融寺が853年と言われているのだが . . . 本文を読む
目黒周辺の山手通りでは、目下首都高速道路の延伸工事が終盤に差し掛かっている。山手通りの地下を通っているのだが、間もなくこれが開通すると、都心部の道路交通もまた一つの変革期を迎えることになる。それに伴って、山手通りも拡幅されたり、道路沿いの街並みが変化の波に晒されていることを感じる。大鳥神社から目黒不動の方向へ向かう途中、今も残る木造民家の玄関先。木製のガラス引き戸に、明かり取りの窓の枠の意匠が細や . . . 本文を読む
目黒に競馬場があったというのは、かなり有名な話になっている。目黒通りには、元競馬場という交差点まである。その上、住宅街の中に、かつてのコースの名残である外周路がそのまま道路として残っている訳で、変化の激しい都心部では珍しい例でもある。目黒通り沿いには、目黒競馬場跡の記念碑がある。
銅像の馬は、トウルヌソル号(第1.5.6.8.9.12.回日本ダービー優勝馬の父)とのこと。
「 明治四十年(一九 . . . 本文を読む
目黒通りの大鳥神社交差点から、世田谷方面へと伸びる通りは坂に沿って古い商家の建物が残されているところでもある。今では、インテリアストリートなんていう名前でも呼ばれているようで、残されている古商家建築もほとんどがインテリアショップになっている。色々と手を入れられていたりするが、今も商いの現場として活かされているのは本望ではないかという気もする。坂を幟初めて最初にあるのが、esqというお店。眼の前を通 . . . 本文を読む