東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

目黒を歩く~その三:茶屋坂

2015-04-22 19:22:42 | 目黒区
さて、三田用水が新茶屋坂に突き当たるあたり、新というくらいなので、オリジナルの茶屋坂というのももちろん存在している。それが、この折り返すように斜めに下っていく道。勾配を緩和するために斜面を斜行していく形になっているのだが、かつては未舗装で馬で通ったりすることを考えると、かなりの難所であったことが分かる。


ここは徳川将軍が鷹狩りに出掛けてきたり、目黒筋の寺院への参詣もあっただろうが、そんな時に通っていたらしい。


坂の途中に案内板が建てられている。
「茶屋坂と爺々が茶屋  三田2-12~14
 茶屋坂は江戸時代に、江戸から目黒に入る道の一つで、大きな松の生えた芝原の中をくねくねと下るつづら折りの坂で富士の眺めの良いところであった。
 この坂上に百姓彦四郎が開いた茶屋があって、3代将軍家光や8代将軍吉宗が鷹狩りに来た都度立ち寄って休んだ。家光は彦四郎の人柄を愛し、「爺、爺」と話かけたので、「爺々が茶屋」と呼ばれ広重の絵にも見えている。以来将軍が目黒筋にお成りの時は立ち寄って銀1枚を与えるのが例であったという。また10代将軍家治が立ち寄った時には団子と田楽を作って差し上げたりしている。
 こんなことから「目黒のさんま」の話が生まれたのではないだろうか。
 平成3年3月 目黒区教育委員会」


三代将軍家光という人の名前は、品川、目黒周辺ではとりわけよく目にする。江戸の成立期に精力的に周辺までも足を伸ばして、寺を造ったりといったところに、家光が力を注いでいたのだろう。


今は芝原なんて想像もできない住宅街になっているのだが、下っていくと古道の面影は僅かに感じる曲がりくねった道筋が残る。
「茶屋坂は、昔はたいへん寂しいところだったらしく明治維新で世情が混乱のころには、茶屋場はたびたび泥棒に見舞われ、島村家は、ついに坂下の村の方に移ってくることになったという。今日では、茶屋場の跡を正確に知る由もないが、茶屋坂には、昔からきれいな清水がコンコンと湧いて樹木が茂っていた。
明治にはいって、山手線が通ると、目黒、恵比寿の中間ほどに位置する茶屋坂一帯は、工場立地の条件がそろい、海軍の火薬製造所が建設された。同工場は、あたりに住宅が建ち始める昭和の初めに移転したが、その後も海軍技術研究所などの施設が入った。
やがて、今日のマンション時代を迎えることになるが、そうなると、このあたりは高台で展望がきくうえ目黒というイメージがマンションにぴったり合って、高層建物が建ち並ぶようになり、まちの景観を変えてしまった。
昔から湧いていた清水も、マンション建設のつち音が響き始めると、水脈が変わってか、パッタリ止まってしまったという。将軍も食べたという目黒のさんま。今では秋に催される「目黒のさんま」祭りで、その味を楽しむことができる。」(目黒区のサイトより)


坂下には、目黒区立茶屋坂街かど公園がある。中には石碑が建てられている。


「茶屋坂の清水の碑によせて
落語で有名な「目黒のサンマ」の話のもととなったといわれている爺々ヶ茶屋は、現在の三田二丁目に位置する茶屋坂の途中に、その由来を示す説明版があります。この爺々ヶ茶屋は、江戸時代、徳川歴代の将軍、三代家光公、八代吉宗公が、鷹狩りにおなりのさい、背後にそびえる富士の絶景を楽しみながら、湧き出る清水でたてた茶で喉を潤したと云われています。中でも八代将軍吉宗公は、祐天寺詣での折にも利用したと伝えられています。こうして長い間、身分の垣根を越えて皆に愛され親しまれてきた「茶屋坂の清水」も、昭和8年、分譲地の造成工事のため、埋没の危機にさらされました。この時、この清水を惜しんだ、分譲地の一画にあった水交園の管理人夫妻が、清水の保護に努力されて「茶屋坂の清水」は、守られ、次の世代へと受け継がれてきました。その後、この清水は、東京大空襲の際には、消防用水、炊事用として付近の人びとの命を救ったのでした。この碑は、戦後、「茶屋坂の清水」の由来を長く後世に伝えるため、この清水の恩恵を受けた人々によって建てられました。残念ながら現在は、その清水も渇き、この碑だけが唯一、当時を語っています。目黒区では、この碑の中に流れる人々の心を、受け継ぐ意味から公園に移動しました。この碑の心が区民の皆様にも長く伝えられ、当時を偲ぶ資料となれば幸いです。
 平成7年3月 目黒区土木部公園緑地課」


この碑は、下ってきた道の公演を挟んだ反対側の私道を行ったところにあったという。


左が茶屋坂の道。右が元石碑のあった私道。


その先は、清掃工場に突き当たる。


工場の周辺は公園になっている。その公園から、茶屋坂の道を望む。

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