東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

目黒を歩く~その一:目黒駅から

2015-04-20 21:50:21 | 目黒区
今回から、目黒区を歩いてみてみようと思う。まず最初は、目黒駅から線路沿いの道を恵比寿方面に歩いてみる。この辺りは、私が高校生だった頃からうろうろしていた覚えがあるのだが、ガーデンプレイスができて、更にその後の道路拡張で様相が大きく変わったところでもある。そして、この道に平行するように、三田用水が流れていたところでもある。目黒川の谷に面した崖の上の道とも言えるし、その反対側には山手線の線路の谷が出来ているので、尾根筋らしい雰囲気がより強くなっているといえるかもしれない。鉄道敷設以前には、台地の縁という雰囲気がもっとはっきりしていたことだろう。
さて、ここは目黒駅から来て直ぐのところ。右手に行くと線路を越えていく橋に繋がっていて、長者丸という辺りの住宅街へと向かう道。


左手は直ぐに急な下り坂になっている。目黒川の谷が広がっている。そして、遙か彼方には富士山も見えた。


歩いて行くと、今は空き地のようになっている邸宅跡といった雰囲気のところがあって、片隅には庭に置かれていた石灯籠などが置かれている。この辺のどこかにかつては千代が池があったという。


この辺りには、かつては大きな屋敷が結構あったようで、その痕跡がこんな風に残っている。眺望の良さは、都内でも有数の場所だ。背後が直ぐ崖で、目黒川の谷になっているのが分かるだろうか。


この通り沿いにも、長者丸の名を冠したマンションがあった。最初の写真のところで右側に行った先の、山手線の内側を長者丸と呼ぶことは知っていた。山手線の敷設前には、一繋がりであったと言うことだろうか。


さらに行くと、目黒区立田道住区センター三田分室という区の施設と、公園があった。
「千代ヶ崎 三田2-10-31
 JR目黒駅近くの権之助坂上から恵比寿方面へ向かう目黒川沿いの台地は、かつて「千代ヶ崎」と呼ばれ、西に富士山を、東に品川の海を望む景勝地で、その様子は『江戸名所図会』にも描かれています。
 目黒区目黒一丁目、三田二丁目と品川区上大崎二丁目の区境あたりの地に江戸時代、九州の肥前島原藩主松平主殿頭の抱屋敷がありました。2万坪あまりの広大な敷地の庭には、三田用水を利用した滝や池があり、景色のあまりの見事さから絶景観と呼ばれた別荘がありました。
 屋敷地の一角(原、目黒1-1附近)には、かつて「千代が池」という池がありました。これは南北朝時代の武将新田義興が、多摩川矢口渡で'非業の死を遂げ、それを悲しんだ側室の千代が身を投げた池と伝えられています。千代ヶ崎の地名は、この「千代が池」が由来と言われています。
 平成22年3月 目黒区教育委員会」


島原藩主の庭園の中、池の辺りにあった石燈籠がキリシタン燈籠というもので、今は大鳥神社とその隣の大聖院に移されて保存されている。
通りに面した建物の裏手は直ぐに崖になっている。


千代ヶ崎というように、ここは少し谷川に出ている形になっている。振り返ると、恵比寿ガーデンプレイスの高層ビルが見える。


真向かいには、日の丸自動車教習所がある。


尾根筋の道、目黒駅方向を見たところ。かつては、もっと道幅の狭い裏通り然とした道だった。


不思議な形の建築物の裏手に、石積みの蔵が見える。


恵比寿方向を望んだところ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東京・遠く近きを読む(80... | トップ | 目黒を歩く~その二:目黒春... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

目黒区」カテゴリの最新記事