二週続けての、明石文化博物館だった
米寿をお迎えになった先生は、50年前と変わらないお姿で
ご自身の自慢作の前でカメラに収まってくださった
毎月一度、「続ける男性料理教室」に通い始めて7か月になる
その料理教室の部屋からは明石公園の二つの隅櫓が見え
文化博物館の建物が緑のつながりの中に見える
料理教室で偶然にも一緒になった中学時代の同窓・茨木とは
漫才コンビと言われるほどに騒々しくしている
豪華4品の今日の課題を作り、それを完食した後
窓の外に見える建物をさして話した
「中学校の時の鈴木先生がなぁ~、あそこで書展開いてる…」
『ほんまかぁ?、わしも行くわ、一緒に。50年振りやわ…』
地獄坂を自転車で登る途中、かなりメタボ気味の彼は息が上がっていた
何十年前にはハンドボールの名選手だったのだが…
先生はお昼の休憩中だったけれど
娘さん(と言っても私たちとほぼ同じ年齢のはずだ…)が迎えに走ってくださった
ややあって登場された先生は、少し離れた場所から少し驚かれたご様子で
それでも小走りに…
先生の背丈を充分二人とも越えていたけれど
昔のままに、神妙な顔つきになって神妙な挨拶をした
『まぁまぁ、よく来てくれたねぇ~』
ひとしきり、昔の怖かった先生の話題が続いた
授業のサイレン(!!)が鳴るとほぼ同時に教室の戸が開く
そこから「消防自動車」渾名していた
数学の先生で、二年生の時の担任、おまけに修学旅行の時にも
学級委員だったからさんざん叱られた
ほとんど毎日が叱られ続けたことばかり…だったけれど
記憶に残る先生だったのは生徒に絶対迎合しなかったこと
次々とお祝いに駆けつける方たちの中には
私たちより一回り近くも上の先輩もいらっしゃった
当然だろう、米寿のお祝い展だ
先週は、同じ場所で幸ちゃんの絵更紗展を堪能し、今日は恩師の書展
気軽に足が運べることがうれしかった
帰りは、中学時代のセミ捕りで大暴れしていた公園を抜け
嘉永橋から王子に戻った
田中文明堂(だったか?)はなくなっているけれど
その隣にハゼランが無数に咲いている場所が残っている
本日の作品4品 韓流あえめん(ビビンメン)、冷しゃぶサラダうどん、
山芋とゴーヤの甘辛しょうゆ炒め、フルーツポンチ羹(サイダーのシュワッ!)
西新町一丁目に咲いているハゼラン
先生に教わっていた中学校はまっすぐ南に5分くらいの場所だ
(2009.07.11 上の丸・西新町)
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いいですねえ!
「書」のことはよく分かりませんが見るからに立派な書ですね。読めなくて意味が分かりませんけど・・・
米寿とはお元気でなによりです。
私は小学5年生のときの担任の先生とたまにハガキでお便りしあっています。
なにかと励ましいただけるので私の元気の元でもあります。
お料理の作品もお上手なので驚きました。
デザートまで作られるんですね。
うかうかしていられないです。
田舎料理しかできない身からすればなんておしゃれなのかと・・・
土曜日は久し振り和やかでした。
それでも、40年以上前の時間は毎日が恐怖?でしたよ。
インテリ女史でしたし数学の先生ですから、とにかく頭が切れる、
それでも必死で抵抗していましたから、『あなたたちの学年はとにかく悪者揃い、先生も必至だった…』と。
だから印象にも残るし、何十年ぶりでも覚えていて下さったのが嬉しかったですよ。
『あなたがお料理??食べられるの??』でしたが、
「山に入れば自分たちの食いものは作ってました…」と答えるのが精一杯。
男料理というものは楽しみ半分、遊び半分ですからとにかく愉快です。
家で作るのは、今のところ酢豚と焼きそば…