自分の書いた文章を見ながら、あれっと思った。
妹の出生について、母は先日、
「あんたが妹が欲しいと言ったんでしょう。
赤ちゃんを産まないお母さんは馬鹿だと責めたでしょう。」と言った。
ずっと、だから私は妹を可愛がらなければいけないんだって思ってきたけれど、これって変。
だって、妹が欲しいと言ったのは、まだ4歳になる前の私。
母は、妹を産んだことを、今もなお、そんな小さい子どもが言ったせいだと言ってるわけ??
産んだのは、私の責任ではなくて、父と母の責任だよね。
いくら私が頼んだからといって、産まない選択も出来たわけだし、その選択をせずに産んだのは、どう考えても私の責任じゃないよね。
でも、私はずっと私の責任のように感じてきた。
大人になってもずっと…
でも、これも変だよ。
母がそう言ってきたことは事実だけれど、私の責任だと思い込んでいたのは、私だから。
私の責任なんかじゃないと逃げ出す選択も出来たはずだから。
結局、人のため、子どものためと言いながら、自分で責任を取ることから逃げてきたんじゃないかと思う。
母も、私も。
きちんと自分で決めたことだったら、最後まで自分で責任が持てたはずだと思う。
こうやって生まれてきた妹の立場ってどうなんだろう。
私のためだけに生まれてきたんだって思うよね。
お母さんとお父さんは、私を欲しいとは思わなくて、お姉ちゃんのために産んだんだって感じちゃうと、私に対して恨みの感情が生まれても当然じゃないかと思った。
でも、妹もまた、大人なんだから自分の感情に責任を持ってもいいのだけれど…
結局、連鎖っていうのはこういう考え方を引き継いでいるってことなんだろうな。
自分のために、しっかりと生きていれば、自分がしたいようにして、自分の責任を自分で取る。
でも、自分を犠牲にして、夫のため、子どものためとやってるから、してあげてるのにという感情も生まれてくるし、自分のしたことの責任もあいまいになってくる。
共依存って怖いなぁ…
まだまだ、そういう思考の癖から抜け出せない私がいる。
自分の気持ちをしっかり自分に聞いて、行動する。
誰のためでもなく、自分のために行動する。
そして、その責任は自分でしっかりと取る。
当たり前の大人の行動のようで、難しい。
ポチッと押していただけると嬉しいです。
メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
mixi
妹の出生について、母は先日、
「あんたが妹が欲しいと言ったんでしょう。
赤ちゃんを産まないお母さんは馬鹿だと責めたでしょう。」と言った。
ずっと、だから私は妹を可愛がらなければいけないんだって思ってきたけれど、これって変。
だって、妹が欲しいと言ったのは、まだ4歳になる前の私。
母は、妹を産んだことを、今もなお、そんな小さい子どもが言ったせいだと言ってるわけ??
産んだのは、私の責任ではなくて、父と母の責任だよね。
いくら私が頼んだからといって、産まない選択も出来たわけだし、その選択をせずに産んだのは、どう考えても私の責任じゃないよね。
でも、私はずっと私の責任のように感じてきた。
大人になってもずっと…
でも、これも変だよ。
母がそう言ってきたことは事実だけれど、私の責任だと思い込んでいたのは、私だから。
私の責任なんかじゃないと逃げ出す選択も出来たはずだから。
結局、人のため、子どものためと言いながら、自分で責任を取ることから逃げてきたんじゃないかと思う。
母も、私も。
きちんと自分で決めたことだったら、最後まで自分で責任が持てたはずだと思う。
こうやって生まれてきた妹の立場ってどうなんだろう。
私のためだけに生まれてきたんだって思うよね。
お母さんとお父さんは、私を欲しいとは思わなくて、お姉ちゃんのために産んだんだって感じちゃうと、私に対して恨みの感情が生まれても当然じゃないかと思った。
でも、妹もまた、大人なんだから自分の感情に責任を持ってもいいのだけれど…
結局、連鎖っていうのはこういう考え方を引き継いでいるってことなんだろうな。
自分のために、しっかりと生きていれば、自分がしたいようにして、自分の責任を自分で取る。
でも、自分を犠牲にして、夫のため、子どものためとやってるから、してあげてるのにという感情も生まれてくるし、自分のしたことの責任もあいまいになってくる。
共依存って怖いなぁ…
まだまだ、そういう思考の癖から抜け出せない私がいる。
自分の気持ちをしっかり自分に聞いて、行動する。
誰のためでもなく、自分のために行動する。
そして、その責任は自分でしっかりと取る。
当たり前の大人の行動のようで、難しい。
ポチッと押していただけると嬉しいです。
メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
mixi
嬉しいときもあれば
重いときもある。
本気で何の見返りも求めず
誰かのために何かをできるのって、
どれだけ素敵なことかなって思うのに。
なかなかです。。
私は、あんたのせいで、ってよく言われているからよくわからなくなる。
自分で自分がわからなくなります。
大人だけど、何が自分の責任かわからなくなるんです。
本当難しいですね。
心でよく確認しようと思っています。
誰かのために自分がしたいと思っているのか、
それともしたくないのに仕方なくしようとしているのか…
前者であれば、見返りを求めないことを誓ってから行動出来るようにしたいなって思います。
出来るだけ、自分に正直で、素直でありたいと、そして自己責任が取れるようになりたいなと思います。
共感してくださってありがとうございます。
私も、あんたのせいってよく言われていましたよ。
ふっと心が弱ると、自分のせいなんだって思い込んでしまうのですよ。
人の人生まで、背負う必要もないのに、なんだか身の回りで起こる、嫌な出来事や上手く行かない出来事の責任が自分にあるように思ってしまう。
誰かに責められているような気持ちになってしまう。
そして、怒りが溢れてくる。
今までの悪循環だったんだなと思います。
本当に難しいです。
はるさんもIFFでカウンセリングを受けておられるのですね。
色んなワークショップに参加されていてうらやましいです。
ブログ拝見させていただきました。
もしかして、カウンセラーも同じ??なんて感じてしまいました。
今回の思考は、斎藤先生のカウンセリングや、ミーティングのあとの雑談の中で導かれていきました。
でも、まだ解決する能力もないのですが…
この仮説が正しいのであれば、私が変わったり、新しいことを始めるほど、妹との距離は離れていくような気がしてなりません。
明日、カウンセリングなので、相談してみようと思っています。
はるさんは、カウンセリングに依存されていないんですね。
私は、カウンセラーへの依存は止まったけど、カウンセリング自体には、まだまだ依存しているなぁと思います。
どうぞ、これからもよろしくお願いします。